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建国記念の日・神武東征と幻の東京オリンピックと日本の原始信仰

おきよ丸とおきよ石の謎

神武東征の途中、大阪湾に上陸した神武天皇軍は、最強の敵であるナガスネヒコ軍に行く手を阻まれ、退却します。
その戦闘を記念した石碑が、春日神社の境内に立っていました。


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そして本殿横には、『おきよ石』なる不思議な岩が祀られていました。


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宮崎県の美々津には、神武天皇出航伝説にかかわる「おきよ祭り」があります。
何か、関係があるのでしょうか。

そこで、『おきよ石』の土台をよく見ると、その由来が記されていました。
それによると、『おきよ丸』という船で運ばれたのだそうです。

では、『おきよ丸』とはどんな船なのでしょう?


以下、宮崎県のホームページから、文と写真をお借りします。

おきよ祭りに再現される船出

さて、美々津に着いた神武天皇一行は、ここで船の建造にかかる。その監督ぶりはあまりにも忙しく、ほころびた衣を立ったまま縫わせたことから、美々津の町内を指す「立縫(たちぬい)」の地名が残った。また、しばし腰掛けて身を休めたという岩は「御腰掛岩」として、現在も立磐神社の境内に残されている。

船も整った後、出航の日を決めて風待ちをしていたところ、天候が良くなったことから急遽日程を変更、八月一日の夜明けに御船出ということになる。安心して寝入っている人々を起こしてまわる「起きよ、起きよ」の声が美々津に響いた。これが旧暦八月一日に行われる「おきよ祭り」の由来となっている。

昭和15年4月には、神武天皇東遷2600年記念として「おきよ丸」が進水。124名の乗組員とともに大阪に向けて航海を行っている。全長21m、二人漕ぎの櫓24挺と帆を備えたこの船は、西都原古墳群から出土した舟型はにわをモデルに作られた。



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上の写真は、1940年4月29日、大阪の堂島川筋を行く「おきよ丸」です。美々津を出港して12日目の朝だそうです。

つまり、神武天皇東遷2600年記念として実施された、「おきよ丸」の航海で運ばれてきたのが、「おきよ石」だったわけです。


ところでこの年、1940年には、ある大きな異変が起きていました。


幻の東京オリンピック

実はこの年、当時の東京府東京市において、アジア最初のオリンピックが開催される予定でした。下が、そのポスターです。


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(ウィキペディアより)

このオリンピックには、史上初めて欧米以外の、有色人種国家のオリンピック開催という意義がありました。元貴族院議長の徳川家達公爵が委員長となり、いろいろ準備が進められていたものの、日中戦争の影響等から日本政府が開催権を返上して、幻のオリンピックとなります。

翌1941年(昭和16年)12月8日未明が真珠湾攻撃ですから、もはや平和の祭典としてのオリンピックにかかわっている余裕は日本になかったのでしょう。
事実、日中戦争の長期化により鉄鋼を中心とした戦略資材が不足し、競技施設の建設にも支障が生じていたようです。
そして軍部からの圧力を受けた近衛文麿総理が戦争遂行以外の各資材の使用を制限する需要計画を決定し、この中に五輪の中止が明記されていたことから、事実上五輪の開催返上が内定します。


おきよ丸と幻のオリンピックが語る戦時体制
(この項は、近現代史の歴史理論ですので、古代史の好きな方は までパスしてくださいませ(^_-)-☆


神武東征を再現する「おきよ丸の航海」は、太平洋戦争前年の1940年。
この年の2月11日には、紀元2600年祝典が盛大に開催されました。同時に恩赦も実施され、あの阿部定を含む多数の囚人が罪を減じられたとか。
ではお祭り騒ぎだったのかと言えば、そうではありませんでした。その翌日、2月12日には 津田左右吉の『神代史の研究』などが発禁となるなど、思想統制が厳しく進められたことは事実です。
神武天皇は実在しない架空の天皇・・・などと言えば、謝罪程度では済まなかった時代です。

3月7日
戦争政策を批判した民政党斎藤隆夫議員を衆議院が除名処分。

3月28日
敵性語追放としてミスワカナ、ディック・ミネなどの芸名が禁止処分。

こんな年の4月29日、日向から12日間の航海の末に、おきよ丸が堂島川に入ったのですから、その政治的・思想的背景を無視して、単なる古き良き時代の再現だと気楽に考えるわけにはいきません。
オリンピック開催の返上と表裏一体で、時代は全面戦争へと突き進む訳です。
しかし、おきよ丸もおきよ石も、戦争へ向けた政治的プロバガンダに過ぎないかというと、実はそう単純ではありません。

ネットで検索できる研究論文として、宮崎公立大学学術情報リポジトリに含まれる、以下の論文を紹介します。

大阪の枚方遊園で開催された日向博覧会
・・・紀元二千六百年奉祝と地方・新聞社・鉄道会社・・・(倉 真一)


この研究論文には、「おきよ丸」にかかわって宮崎県と大阪毎日新聞と京阪電鉄の連携が果たした役割が見事に分析されていました。
ごく簡単にまとめると、次のようになります。

①陸の孤島とまで呼ばれた宮崎県は、神武天皇遺跡をテコに観光客誘致や産業育成を図りたいのですが、天孫降臨の地と言えば鹿児島県の壮大な霧島高千穂がライバル。なんとか挽回しようとあの手この手なのですが・・・

②大阪朝日新聞との熾烈な部数競争を繰り広げていた大阪毎日新聞は、皇紀2600年の記念イベントで優位に立とうと、おきよ丸に目を付けます・・・

③伊勢神宮や橿原神宮への路線を持つ後の近鉄(近畿日本鉄道)に対抗して、めぼしい神跡が沿線にない京阪電鉄は「枚方パーク」に日向博覧会を誘致・・・

という三つの企業の思惑が一致し、おきよ丸イベントを含む紀元二千六百年奉祝事業を通して形勢逆転を狙ったのではないかという、かなり説得力のある説です。そのターゲットは、都市の新中間層であること、その影響は戦後の「ハネムーンは宮崎」まで続いたことなど、ステレオタイプの思考からは想像もできないリアルな近代日本社会の様子が描かれます。

結論を言うと、おきよ丸とおきよ石は、単なる古き良き日本の復興でもなければ、軍部や国家による思想統制だけでもない、さまざまな意味を持つ存在だったわけです。(ちょっとまとめ方がテキトーなのはお許しください)

なお興味のある方は、ぜひ原文をお読みください。



熊野へ迂回した神武天皇のその後

さて、ナガスネヒコ軍に苦戦して、遠く熊野へ迂回した神武軍は、やはり原始信仰の場を通過しているようです。

例えば、神武天皇紀の「天磐盾」ではないかといわれる、和歌山県新宮市・神倉神社のゴトビキ岩

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この地に上陸した神武天皇に、高倉下(たかくらじ)という者が神剣フツミタマを献上し、それによって神武東征は成功します。
この剣を献上した高倉下がこの神倉神社の祭神なのです。
後の熊野三山信仰では、熊野の神が最初に現れた場所とされるなど、日本の信仰史上大変重要な磐座です。


さて、神武軍が吉野に着いた時、井戸の中から出てきた人は体が光っていて尻尾があったと記されます。
神武天皇が
「お前は何者か」
と問うと、
「私は国つ神で、名は井光(いひか)といいます」
と答えました。吉野の首部の先祖であるとされます。

その井光地域の奥にあるのが、神秘の磐座「大塔宮」です。


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ここは井光地域の守護神であり、神武天皇が勝利の後、矢を納めたという伝承を伝えます。



そして最後は、奈良県吉野郡吉野町矢治の岩神神社です。
神武天皇に協力した石穗押別命(石押分)を祀っています。


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それにしても、日本の巨石・磐座信仰を代表するような、畏怖感あふれる巨石ばかりです。
磐座は神々が去来するターミナルだと前回書きました。神武天皇に協力した者たちが、たまたま巨石信仰・磐座信仰を持っていたというだけではすまない、何らかの秘密があるように思うのは私だけでしょうか?


そして最後、神武軍は宿敵のナガスネヒコ(長髄彦)に勝利します。


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(橿原神宮)


そのナガスネヒコが統治していた生駒山東麓地域には、今でもなお多種多様な信仰形態や民俗が残ります。

たとえば、石切神社前の、何とも不思議な商店街。


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大龍禅寺不動院の山中に存在する、類例のないタイプの岩屋と磐座。


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一見普通の民家の庭に見える場所にも、こんな信仰が。


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ナガスネヒコの時代からあった伝統かどうかは分かりませんが、あちこちに不思議な雰囲気が残っていました。
その詳しい内容は、また後日とさせていただきます(^^♪。


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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