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厳島神社と安芸の宮島・秘められた裏の顔とは?

日本三景・安芸の宮島(厳島)といえば、日本を代表する観光地です。


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古代より、島そのものが自然崇拝の対象でした。
弥山の山腹や山頂では、巨石信仰・磐座信仰にふさわしい不思議な巨石を観ることができます。


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頂上部は、奥津磐座とも呼ぶべき巨石群が並びます。


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その頂上から見る景色です。


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大同元年(806)には、唐から京の都へ帰る途中の空海が宮島を見て、ここは霊場に違いないと弥山に御堂を建て、百日間の求聞持の修法をしたと伝わっています。


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そしてこのとき修法で使われた火は、今なお霊火堂で燃え続けている「消えずの火」として連綿と受け継がれているのです。


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それにしても、空海がわざわざ巨石の横を選んだのは、いったいなぜか?


  ☆


さて、島の裏側には、厳島神社やフェリーターミナル周辺とは違った景観が広がります。

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宮島らしく、祭祀に関わる場所もたくさんありました。


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おや、なにやら異質な雰囲気の海岸・・・・


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おっと、これは大発見! 見事に磨かれた古代の鏡石にちがいありません。超古代の巨石文明だぁ~!!


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(・・・なんだか冷たい視線を感じます。はい、これの正体はのちほど。)


ウィキペディアには、
宮島北西岸の大川浦をはじめ下室浜・御床浦・須屋浦などの大野瀬戸に面した海岸一帯から、縄文から弥生時代の土器や石器が数多く発見されている
と記すものの、
弥山山頂一帯に見られる巨石群は磐座とみられる。磐座を祭祀対象とする山岳信仰の開始は一般に古墳時代以降とされる。
として、弥山に対する山岳信仰は古墳時代以降に始まったものとしています。

しかし、各地の縄文遺跡に、付近の神体山を意識した立石等がある事を考慮すると、宮島の弥山も縄文時代から祭祀があった可能性は強いと私は考えています。


宮島に詳しい方によると、かつて宮島の裏側を注意しながら歩くと、しばしば土器が拾えたそうです。
宮島の表の顔が中世の厳島神社とすれば、裏の顔は縄文時代の信仰遺跡・・・
しかし、それだけではありませんでした。なんと、裏側には軍事施設があったのです。

下は、包ヶ浦公園の南1.5㎞ほどで見た、砲側弾薬庫の残骸です。


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日露戦争前に、広島と呉をロシア艦隊から防衛するため、瀬戸内海の島々には砲台がいくつも作られました。
よほどバルチック艦隊が恐ろしかったのですね。
巨大なコンクリートの残骸が、令和の現代もまだ残されています。
山林へ分け入ると、コンクリートとレンガの兵舎跡等も生々しく残されているそうです。

というわけで、さきほどのなんちゃって鏡岩の正体は、コンクリート製軍事施設の残骸でした。


  ☆


宮島は、島全体が神域(神体)とされたため、血や死といった穢れへの忌避は顕著であったようです。
『棚守房顕覚書』によれば、島に死人が出ると即座に対岸の赤崎の地に渡して葬り、遺族は喪が明けるまで島に戻ることができなかったそうです。
現在でも島には墓地や墓は一つもないといわれます。

では、明治時代のロシアに対する軍事施設だけが例外で、宮島はずっと神様の住む清浄な島だったのでしょうか?


実は、そうではありません。

陶晴賢と毛利元就による「厳島合戦」では、何千人というおびただしい血が流され、死者の山が残りました。
厳島神社にも血が飛び散り、海水で洗ったそうです。

また、宮島名物のしゃもじは、日清・日露戦争のころ、「飯取る=敵を召し取る」という連想で、縁起物として有名になりました。
甲子園の広島代表や広島カープの応援にしゃもじが登場するのは、この伝統なのですね。


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さらにウィキペディアには、こんな興味深い事が記されていました。

島の東沖合いにある江田島に海軍兵学校が設けられたことから、神の島・厳島は兵学校生徒の尊崇も受けた。兵学校の訓練の一環として、弥山登山や遠泳も行われており、海軍の幹部にとっては思い入れのある島であるとともに、「神聖な島」というイメージが天皇への絶対的な忠誠という意識を喚起させていたことも、当時の日記などから読み取ることができる。

つまり、俗世間と離れて、宮島はずっと神聖な島だったのではなく、戦争や政治にも深く関わっていたのです。


  ☆


現在、宮島を訪れる人は、そのほとんどが商店街を通って厳島神社を見学し、時間があれば宮島水族館辺りまで散策して帰ります。
ロープウェイで登り、さらに霊火堂を見て弥山の頂上まで歩く人は、全体から見れはわずかの割合です。
それどころか、徒歩やレンタサイクルで島の裏側を探索しようという人は、さらにわずかだと思います。

しかし裏側には、日露戦争の廃墟が累々とあり、厳島合戦の伝承地があり、そのすぐそばには縄文土器が落ちているかもしれない・・・・そんな不思議なエリアでした


フェリーからでも、人を寄せ付けない急峻な谷や切り立った崖が遠望できます。


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おそらく原始林に覆われた山中には、まだまだ不思議なものがひっそりと隠れているのでしょうね。


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コメント

No title

こんにちは。。。
厳島へは2度渡っております。。。
弥山への途上にはお猿さんが群れていて、ビビった記憶がございます。。。
2度渡っていながら、まだまだ見たことない景色があるのですね~
違う視点から紹介していただける方々には個人的に本当に感謝しております。。。

お邪魔いたしました。。。

Re: No title

ViVid Mr.K 様

二度訪問されているんですね。猿がいるとは全く知りませんでした。
宮島はけっこう面積があるようで、一周すれば面白そうですが、道も途切れ、なかなか普通にはいけそうにありません。
もう少し奥まで行く機会があれば、また記事にしますので、よろしくです。

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sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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