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藤原鎌足のミイラと蘇我入鹿の首の奇妙な符合

これは、藤原鎌足を祀る、奈良の談山神社です。
一昨日に行ったのですが、木々は結構色づいていました。


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談山神社のシンボル、十三重の塔です。


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鎌足の長男の定慧と次男の不比等が建立したとされます。
現存するのは室町時代の再建ですが、世界唯一の存在だとか。


  ☆


さて、大化の改新は645年、これは小学生でも知っている有名な年号ですね。
ちょっと残酷ですが、下の絵も有名です。


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皇極天皇の皇居において、権勢を誇っていた蘇我氏を暗殺して滅亡させた乙巳の変のシーンです。
無残にも、切り落とされた入鹿の首が宙を舞います。

実は、大化の改新の歴史的意義や実在性については様々な論点が存在し、現在でも大きく見解が分かれているとされます。
そもそも蘇我入鹿は本当に極悪人だったのか?
死人に口なし、私たちが学校で習ったのは、勝者の一方的な言い分にすぎない可能性は十分にあります。
もしこれが単なる権力闘争の側面が強いのなら、鎌足は入鹿の亡霊に怯えていたかもしれません。

  ☆

『日本の伝説・伝承』ブログ様の記事に、
追いかける生首、蘇我入鹿にまつわる伝説」という項目がありました。
一部をお借りします。

藤原鎌足と中大兄皇子が宮中で蘇我入鹿の首をはねた乙巳の変、そのはねられた首は藤原鎌足を追い回し、奈良県の各地に逸話を残しました。

例えば談山神社の近くには、逃げてきた藤原鎌足が「(入鹿の首は)もう来ぬだろう」とつぶやいたとされる蒙古の森や、有名な観光地となっている入鹿の首塚などです。

そして最終的に、はねられた首は、蘇我入鹿の出身地付近の、今の奈良県橿原市小綱町へと飛んできたと言われています。

橿原市のとなり、観光で人気の明日香村には、藤原鎌足の母の出身地である小山という集落があり、橿原市小綱町と明日香村小山では、なんと乙巳の変から後、1400年近く一度も縁組みが行われたことがないそうです。

また、蘇我入鹿は鶏鳴の会図で首をはねられたので、どこの家でも鶏を飼っていたような時代でも、小綱町では鶏を飼うことをしなかったそうです。


吉良上野介、平将門、アテルイなどと同じで、地元では支持されているのです。
それにしても、鎌足が入鹿の首に追い回されたという伝承は、単に荒唐無稽と切り捨てるわけにはいきません。
少なくとも、「やっぱりな」とか「ありそうな話だな」と思う人々がいたからこそ今に伝わる伝承だと思うからです。

  ☆

1934年(昭和9年)、大阪府高槻市で京都大学地震観測所の建設中に突然瓦が出土し、巨石にぶつかりました。
その内部には漆で布を何層にも固めて作られ、外側を黒漆とし内部を赤漆で塗られた、きわめて高貴な人物用の夾紵棺(きょうちょかん)が発見されたのです。

そして棺の中には、60歳前後の男性で、肉や毛髪、衣装も残存した状態のミイラ化した遺骨がほぼ完全に残っていました。


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その後は紆余曲折があって、いつしかこの騒動も忘れられていた1982年。
地震観測所の一室から当時のエックス線フィルムが発見されたのです。
その解析により、ミイラは藤原鎌足のものである可能性が高まりました。

さらに2013年(平成25年)12月、関西学院大学の調査により、阿武山古墳で発見された棺に入っていた冠帽が、当時の最高級の技術で作られ、さらに金糸を織り込んだものである事が判明。

日本書紀によれば、鎌足は死の直前に天智天皇から最上の冠位「大織冠」と大臣の位を贈られたとされており、この冠帽がそれではないかと考えられているのです。


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さらにこれは、ミイラの横にあったビーズの枕です。


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先ほどの談山神社拝殿に展示されていた複製品ですが、鎌足の亡骸の頭は、こんなきれいな枕に乗せられていたのですね。

それにしても、奈良にいたはずの鎌足のミイラが、どうして大阪の高槻・茨木の市境にひっそりと埋められていたのでしょう。
何とも不思議です。

下の写真をご覧ください。


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山の上に、白い塔のような建物が見えます。これが京大地震研究所です。
このすぐ横に、鎌足のミイラが眠っていたわけです。
そして、このあたりには奇妙な伝説がありました。

これは京大地震研究所に近い、茨木市安威の大念寺です。


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この境内には「黄金竹」と呼ばれる、昔から有名な竹が自生しています。


大阪府茨木市大念寺-黄金竹[1]
(大念寺様ホームページより)


この竹は全体に黄色みを帯びており、成長するにつれ枝先が枯れていくという変わった特徴を持っているそうです。
そしてこれには、鎌足と定慧にまつわる伝説が残されていました。

鎌足は亡くなった後、安威の地に葬られたのですが、鎌足の長男である定慧は多武峰(現在の談山神社)に改葬しようとします。
しかし鎌足を慕う安威の人々はそれに反対したため、定慧はやむなく、父の首だけを多武峰に持って行って葬ったというのです。そのため、鎌足お手植えであった黄金竹は成長すると、先端部分だけが枯れてしまうようになったとされています。

驚きました。
この伝説では、死して後ではあれ、入鹿と同じく首が体から切り離されているのです。
まさか入鹿の怨念ではないでしょうが、これらの伝説の裏には、どうも私たちが気付いてない謎があるような気がするのですが・・・・

つづく

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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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