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即位礼正殿の儀と三種の神器・「天叢雲剣」という聖剣への畏怖と天神社

三種の神器と天叢雲剣

「即位礼正殿の儀」で注目された三種の神器とは、日本神話において、天孫降臨の際に天照大神が瓊瓊杵尊に授けたとされる
八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を指します。


三神器[1]
(ウィキペディアより)

上はもちろん実物ではなく、実はよく似ているかどうかも不明です。
とりわけ天叢雲剣についてはさまざまな説があり、はっきりしません。
というのは、神道の最高位である天皇陛下でさえ、実物を見る事はないのです。


昨日は雨でしたが、天叢雲剣は天空に雲を発生させる剣だから、というツイ―トがたくさんあったようです。
以前、ヤマトタケルの記事に書いたように、天叢雲剣は日本神話において、スサノオが出雲国でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に大蛇の尾から見つかった神剣だとされます。
ヤマタノオロチの頭上にはいつも雲がかかっていたので「天叢雲剣」と名付けられたと言われるほどですから、昨日の雨でそれを想起する人が多かったのでしょう。

さて、スサノオはその神剣を高天原のアマテラスに献上し、アマテラスは天孫降臨でニニギノミコトに託したため、再び地上に降りました。
そして崇神天皇の時代に天叢雲剣(草薙剣)の形代が造られ、形代を宮中に残して本物の神剣は笠縫宮を経由して、伊勢神宮に移されたといわれます。
さらに景行天皇の時代、伊勢神宮のヤマトヒメは、東征に向かうヤマトタケルに神剣を託します。


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しかしなぜか、神剣なしで伊吹山の神に立ち向かったため亡くなり、妻のミヤズヒメと尾張氏が尾張国で祀り続け、熱田神宮の神宝となって現在に至ります。



もしGHQが皇室廃止と官幣大社等弾圧に踏み切っていたら?

ポツダム宣言受諾後、マッカーサーやGHQは、天皇制や神社神道をそのまま存続させると決めていたわけではありません。
「天皇 ヒロヒト ヒロヒトラー」と叫ぶ勢力から見れば、天皇と有力神社は軍国主義のシンボルだったはず。
もし皇室と神社神道の廃止が命令されれば、三種の神器のひとつを持つ官幣大社の熱田神宮も、弾圧はまぬがれなかったでしょう。おそらく三種の神器は、誰も知らない場所に封印されたに違いありません。

万一そんなことになっていれば、恐らく「失われたアーク(聖櫃)」のような存在、あるいは瀕死の重傷をも癒す聖杯のような聖遺物として、人々の記憶に残ったでしょうね。


レイダース
(レイダース/失われたアーク《聖櫃》 ウィキペディアより)


現在でも徳島県の剣山には、安徳天皇が天叢雲剣を納めたという伝説があります。
もし「失われた聖剣」であったなら、それこそ映画に小説にオカルト雑誌にと、格好のネタであった事でしょうね。



天叢雲剣を巡るちょっと怖い話とは?

『平家物語』では、天武天皇が草薙剣を内裏に移したあとの朱鳥元年(688年)6月、天皇は病に倒れます。
病気の原因は「宮中に神剣を置いたままにし、熱田に戻さない為の神剣の祟り」と判明し、陰陽師による御祓や仏教による功徳に期待して病の回復を祈るものの、結局天皇は9月に崩御したと伝えられます。

あるいは平安時代の陽成天皇(第五十七代)が宮中の天叢雲剣を抜くと、夜間にもかかわらず御殿の中は「ひらひらとひらめきひかり」とされ、恐怖に怯えた天皇が投げ出すと天叢雲剣は自ら鞘に戻ったという伝説もあるようです。

さらに天叢雲剣を覗き見た大宮司や神官もいたようですが、流罪となったり崇りの病で死ぬなど、その畏怖すべき霊力がまことしやかに語られてきました。
これでは、天皇陛下をはじめ、誰も見たくないのは当然でしょう。



笠縫邑とはどこか?

『日本書紀』や『古語拾遺」』によれば、もともと天皇が同床同殿で祀らせていたものの、八咫鏡と天叢雲剣の神威を恐れた崇神天皇は皇女トヨスキイリヒメに命じて笠縫邑(かさぬいむら)で祀らせます。

では、その笠縫邑とはどこなのでしょうか?
はっきりと確定はしていません。その有力な比定地を少し紹介します。

例えば檜原神社。


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これは、穴師坐兵主神社。


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飛鳥坐神社も候補地です。


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そして最後に、そんな候補地の中でも、かなり有力な桜井市小夫の天神社を、今回初めて紹介します。

このお社は、斎宮山の麓に鎮座し、集落の間の石段を上ります。


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社伝 倭笠縫縫邑・泊瀬斎宮 旧跡伝承地
往昔 小夫郷は倭笠縫邑と称せられ 当天神社 天照皇大神宮御鎮座は第十代崇神天皇即位六年秋九月二十二日。神人分離の一大変革により、皇女豊鍬入姫命が皇祖を奉侍し給うた最初の霊跡であり、当神社は斎宮山と称し、第四十台天武天皇即位二年夏四月大来皇女命が化粧川で禊され、宮を泊瀬斎宮と為し、皇祖天照皇大神を奉斎せられ元伊勢として今日に伝えられている。


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本殿は中殿・東殿・西殿と続きますが、その鮮やかさに驚きます。


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磐座もありました。


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また境内の西側には、県下最古と云われている「ケヤキ」があります。


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樹齢1500年以上で、元伊勢としての天神社の歴史をじっと見てきたのかもしれませんね。


ところで天神社付近には、古代の伝統を感じるさまざまな伝承地や遺跡がありました。


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すべて「諸説あり」の世界ですから、ここが本当に笠縫邑であったかどうか、そして天叢雲剣が置かれていたのかどうかはわかりません。
しかし、なんともぎっしり詰まった伝統の地であることは間違いないでしょうね。

宮中や熱田神宮などに、昔からずっとうやうやしく大切に保管されてきたと思いがちな、天叢雲剣という聖なる剣。
私たちには本物と形代とレプリカの区別さえ難しい世界ですが、激動の歴史を潜り抜けてきた、歴史と伝統のシンボル、いや、日本という国のシンボルであることもまた事実ですね(^_^.)


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コメント

天皇家は伊勢が嫌い⁉

いつも楽しく拝読しております。
三種の神器。謎が多いですね。

草薙剣が石上神社の七支刀みたく変わった形だったら滅茶滅茶面白いのですが、八岐大蛇からそれを取り出すときに銅剣が傷ついたという記述があるので鉄剣だったのは間違いなさそうで、だとすると変形剣の可能性は低そうです。残念。

正当な三種の神器は、歴史上2回は無くなっているはずなのです。火災による喪失を入れると3回とも。まず最初に、壇之浦の合戦で、瀬戸内海に消えたはず。これを義経が引き上げたことになっているそうですが、当時、そんなサルベージができたのかは疑問です。で、南北朝に分かれて、正統である南朝に渡った神器は?合体して南朝から北朝へ戻ったそうですが、では北朝が持っていた神器は何処へ行ったか不思議です。そもそも神器の話をはじめると、北朝方は正当な天皇でないことになってしまうので、存在自体が疎ましかったでしょうね、きっと。全部、形代で片付けられてしまうので、複製品はいっぱいあるのかもしれません。

もっと不思議なのが、明治の御代になるまで、歴代天皇で伊勢をお参りしたお方がいない(持統天皇は行幸されたらしい)のは、どうしてか?本物の八咫鏡が恐ろしかったという説がありますが、何で皇祖である天照皇大神の依り代が怖かったのでしょうか?不思議なことが多いです。

Re: 天皇家は伊勢が嫌い⁉

> 三種の神器。謎が多いですね。

『古語拾遺』に天目一箇神とイシコリドメの子孫が「神鏡」と「形代の剣」を造ったとあるそうで、神威はホンモノと変わらなかったとかいわれますから、どうもシモジモには意味の分からない話です。
壇ノ浦も形代だそうですが、「形代ならそこまで必死に探すなよな」とでも言いたい人は多いでしょうね(@_@;)

また古くは天照大神も伊勢もヤマト大王家とは直接の関係がなかったと私は思っています。
さらにイザナギ・イザナミも本来は淡路島の土着の神だったという松前説を取りますから、つぎはぎ神話にほころびがあるのは当然だと思います。
まあおめでたい時に、世が世なら連行されるような話はこれくらいにしときます(笑)

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sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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