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能登の白比古神社・そして東須磨小学校同僚イジメに思うこと

本日は、石川県七尾市田鶴浜町に鎮座する白比古神社の記事です。


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下の説明板をご覧ください。


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少し離れた場所にもありました。


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田鶴浜小学校
田鶴浜地方史の会

と書いてあります。

おそらく田鶴浜小学校の高学年児童が、総合学習で探究した成果の発信として、田鶴浜地方史の会の方とともに立てた看板でしょうね。
一般の旅行者にもわかる形で郷土情報を発信するという、素敵な取り組みです。


そこで人格高邁、天使のように清らかな私は考えます。

・・・よーし、田鶴浜小学校のホームページを見れば、総合学習のところにこの神社のことが詳しく載っているかもしれない。
ネットにない情報が得られたら、苦労して地元で聞き込みをした結果こんなことが判明した、というネタにしてしまえ・・・

いや、も、もちろん冗談ですが(汗)、とにかくそういうわけで、立派な成果を上げておられる田鶴浜小学校のホームページを探しました。

残念ながら、現在のホームページには特に記載はなかったのですが、校長先生のご挨拶や入学式関連の写真も見ているうちに、神戸市立東須磨小学校で教師4人による同僚イジメ(暴言・暴行・ 器物破損など)があったことが思い浮かびました。


ここでちょっと脱線します。
教育ネタに興味のない方は、下の青字部分を飛ばして読んでいただけると幸いです。


七尾市立田鶴浜小学校の学校だよりは
「学校だよりを通して,学校や子どもたちのがんばっている様子をお伝えしていきます。」
というポリシーが貫かれています。

自分たちの頑張りが学校便りやホームページに掲載されるのは、子どもたちにとって大きな励ましになります。
ぼやけた集合写真の片隅に、家族しか識別できない程度の自分の顔が載るだけでも、素直に嬉しいものです。不登校気味の子どもでも、少し元気になります。
もちろん、似たような方針の学校は多いでしょう。

しかし私が驚いたのは、担任の先生方の板書が載っていたことです。
新たな一年生を迎えた入学式の翌朝、おそらく五年生と思われるクラスの板書を校長先生が写されたようです。

おはようございます。
五日の入学式、立派でした。
浜小が明るくよりよいものに
前進していることを強く感じました。

(以下略)

ここに載せれば単純に思えますが、担任の先生のナマ字で黒板いっぱいに、二色でメッセージが書かれているのは、なかなかインパクトがあります。
朝に登校した子どもたちが、この一年間しっかり頑張ろうと笑顔になる、素敵な板書です。
山本五十六ではありませんが、まさに「ほめてやらねば人は動かじ」ですね。

そして六年生の教室の板書。
やはり「おはようございます」で始まる板書のラストが名文句。

最後に!!
何かを変えたい時は、
自分で動きなさい!!


ここではっと気づいたのですが、チョークの字も生々しい板書写真が載れば、これを書いた先生たちもまんざらではないでしょう。
これはまた、教員に対する「ほめてやらねば人は動かじ」だと思います。校長先生の見事な戦略と言うべきでしょう。

少し気になって、東須磨小学校のホームページを見ましたが、メンテ中で接続できません。
「神戸市立東須磨小学校いじめ防止等のための基本的な方針」は掲載されているのですが、全く開くことはできませんでした。

前校長は、「あの先生たちにお世話になっているよな」と、被害者の先生に事実上の口封じをしたとか。
児童であれ若い先生であれ、弱い立場の者にこそ、寄り添いと励ましのメッセージを伝えるべきだったと思います。

・・・もし教育に関わる方が読まれたら、「部外者は勝手なキレイ事言えるからな」と思われるかもしれません。その通りです。
ただ私は一時期、アテ職ながら地域と学校の関係に関わる仕事をしていました。全都道府県の学校代表のみなさんに、文部科学省でお話をしたこともあります。尾木ママからもゴーサインをいただきました。

ほんの数年間ですが、全国各地の学校・校長先生・教育長さんと接してしみじみ思ったことは、優れたリーダーは、隅々まで目を配ってほめ上手だということです。困っている教職員を見逃しません。
そして、怪しげなボス教員とつるんで学校経営をしないこと。もしボス教員のまわりに有力教員が2人以上つるめば、新任校長は必ず負けます。教育委員会の適材適所人事が問われるところです。


  ☆

田鶴浜町の白比古神社は、本来海岸から参道が通じていたのでしょう。しかし現在の狭い参道でさえ、JRで分断されています。


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この鳥居には、磐座が横にあります。


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しかしこれも、車道の設置によって移動しているため、本来の位置とはずれています。

よく見ると、ところどころに磐座のような岩も見られます。


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これが社殿です。


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たまたま境内の掃除をしておられた氏子さんにお話を聞くと、白比古神社のシラは新羅なのだそうです。
たしかに韓国の人は新羅をシㇽラとか発音していますね。

対馬海流と北西の季節風に乗って、古代より朝鮮半島から能登地方に多くの渡来があったとされます。
能登の神社については、全体の八割が渡来系の神であるといわれているほどです。この白比古神社も、古くは新羅神社といわれていたとか。


伝説では、白比古神は海上より石船(いわふね)に乗って白浜海岸の黒岩(くるわ)に登臨し給うたといわれます。
この地点は石船崎の黒岩です。


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海岸側から見ます。


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岩船に乗った太陽神、おや、どこかで聞いたような気が・・・・

  ☆

韓国の浦項市にある迎日湾には、延烏郎の伝説があります。

「迎日」という地名は高麗時代の延日県に由来し、『三国遺事』阿達羅王四年(157年)の延烏郎と細烏女の説話に現れる。それによれば、日月の精である延烏郎細烏女夫婦が日本へ渡ったため日月が光を失い、王が使いを寄越したが、延烏郎は日本で王(新羅人が王になったという記録がないことから大王のことではなく地方を治める小王であるとみられる)として迎えられているのを天命として帰国を拒み、代わりに細烏女の織った綃(絹の織物)を与え、それで天を祭ったところ日月が元に戻った事から、天を祭った所を迎日県または都祈野と呼んだのだという。
(ウィキペディアより)

新羅の太陽神が、地元新羅を捨てて日本に渡ってしまったという伝説ですね。
何らかの史実を反映しているのでしょう。

日韓関係が最悪の今日、古代日朝関係史を研究するのはハードルが高い面もあります。
しかし田鶴浜小学校の卒業の皆さんをはじめ、地元の方々が郷土史の掘り起しなどを通じて、時の政治潮流に左右されない日韓友好の草の根的な機運を盛り上げていただければ素晴らしいと思います。


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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