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人身御供(いけにえ)と忍者と巨石信仰

人身御供(いけにえ)に関して、どうしても訪問したかった場所がありました。
かなり以前に一度参拝したものの、写真は説明板を写した一枚しか残っていないのです。

それは、滋賀県甲賀市甲南町新治の新宮神社


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新治のお姫様を巡って三大寺の神と深川の神が争った時、深川の神の目に矢が刺さり、その矢を抜いたものが生えついて「一つ藪」になったという伝説が描かれています。
それにしてもお姫様の取り合いで、矢で目を射るなんて残酷な話ですよね。

神さん同士で武装闘争はいけまへんがな(@_@)
子どもの教育に悪い。 ホンマやでしかし!
(やっさん風に読んでください。)

しかし、根拠のない単なる昔話なら、神様の尊厳を感じない残酷なストーリーですから、とっくの昔に消えて行ったはずです。
それが「一つ藪」などという具体的な伝承地まで残っているのですから、よほど重要な歴史的要素が隠れているのでしょう。

柳田国男は、全国各地に片目を傷つけた神様が存在することや、一つ目小僧の伝説から、かつては目や足を傷つけられたイケニエが存在したという結論を導きました。
「片目が傷ついた神様」なんてほんとにいるのかと、初めて読んだときは不思議に思いましたが、神社を巡るうちにその事例にもおいおい出会うことに。

そのひとつがここだったのです。


境内に、何か古いイケニエの痕跡はないかと探しました。

ここはJR甲南駅の南にある古社です。表門は五百年以上前に建造された、かつての楼門で重要文化財の八脚門。


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これは、境内の様子です。


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本殿の緻密で精巧な彫刻は、他ではなかなか見られない芸術性です。
(ただし、以前に比べると傷みが目立ちました。)


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しかし昨日の二社同様、現在の境内には、人身供犠を思わせる物は何もありません。

  ☆

視点を変えます。

案内板にも記されるように、このお社は飯道山の山麓に位置しています。
特に、矢を射たのは三大寺の神様ですが、三大寺は現在の日吉神社。
その日吉神社から飯道山の山頂へは、地図上の直線距離でわずか2700mしかありません。まさに山頂と山麓の関係なのです。飯道山登山口にあるため、安全祈願のため当社に参拝後登山するのだとか。

「その飯道山というのは何か意味があるの?」
と思われた方もおられるでしょうね。

では、山頂から少し西南に鎮座する飯道神社の磐座をご覧ください。


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奇岩怪石が林立するこの場所は、天台宗の三大修行道場のひとつとして栄え、中世には甲賀忍者の修行場だったとか。
さらにその起源は、神社背後の磐座信仰・巨石信仰として見るべきでしょう。

昨日の尾張大国霊神社(国府宮)にも、縄文時代からの信仰かといわれるストーンサークルがありました。
(ただし私が国府宮のご神職に聞いたところでは、弥生時代にはすでに信仰があったとしか聞けませんでしたが(^_^)/~

人身御供がアニミズム文化圏に広く見られるのであれば、尾張大国霊神社(国府宮)同様、飯道山の古代文化圏にも、その痕跡があって不思議はありません。

さらに妄想をたくましくすると、巨石・磐座信仰とイケニエは関連があるのではないかとも思います。
(異様に大きい供物台の存在は、それを暗示しているという仮説は以前にも書きました。)


なお、飯道神社と日吉神社を結ぶ線を東へ延長すると、水口町の「岩神」へ至ります。


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この岩神と岩神社については改めて記事にしたいと思いますが、ここにも知られざる巨石信仰・磐座信仰の広域配置、古いネットワークがあったようです。


  ☆


J.G.フレイザーは、名著「金枝篇」において、人類史上における膨大な数のイケニエ例を示しました。


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それはマヤやアステカなど中南米だけでなく、ヨーロッパにおいても同様だと書いています。
さんざん実例を挙げたうえで、

ほとんどすべてのギリシア人たちは「木であるディオニュソス」に生贄を捧げた、と語られている。

総じてわれわれは、フリュギアとヨーロッパの両方において、穀物霊を表象する者は毎年収穫の畑で殺された、と推断してよい。

などと記しています。


そういえば、 ニコラス・ケイジ主演の映画『ウィッカーマン』では、人形に入れた生贄を焼くドルイドの祭儀が生々しく登場しました。

The_Wicker_Man_of_the_Druids[1]


映画としての評判は今一つでしたが・・・・・

  ☆

付け加えるならば、小川光暘氏が同志社大学文学部教授だったころに書かれた「黒潮に乗ってきた古代文化」という本の中で、酒船石は生贄の儀礼に使われたという説を提示されています。


さらに、以前にも引用した、この文。

高木敏雄「日本神話伝説の研究」岡書院1925年5月20日発行525頁―527頁

坂戸明神の話に移る。久しい間の伝承で神聖にされた、馬鹿にできぬ儀式がある。祭祀の儀式としての人身御供の存在説を主張する者の提供した、或は寧ろ提供し得る證據物件の中で最も有力なるものである。 爼(マナイタ)と庖丁(ホウチョウ)、それから生きた實(実)物の人間、考えたばかりでも身の毛が立つ。爼と庖丁とが、果たして人間を神に供えた風習の痕跡だとしたらどうだ。犠牲を享ける神は、鎮守の社に祀られる神である。捧げるものは氏子の部落である。捧げられる犠牲は、氏子の仲間から取らなければならぬ。人身御供という風習の言葉の中には、久しい間の慣例と云うことの意味が含まれているではないか。


補足すると、このお社には人身御供の言い伝えがあり、古くはお祭の日に村人が集まって、くじ引きで、神さまの生贄(いけにえ)になる人を決めたといいます。

くじに当たった人は神前に用意された俎板の上に乗せられ、神主さんが刀を抜いて、あたかも魚を料理するような手つきで切る真似をしたのです。切る真似だけで、からだには全然触れないのですが、このくじに当たって人身御供になった人は、三年のうちに必ず死んだそうです。

昔からのお祭だから仕方がないとはいえ、みんな内心このくじ引きは止めたいと思っていたのですが、里見義堯がこの地を治めるようになってから中止になりました。その代りに、竹で作った八角形の一つ目のお面を被った人が馬に乗って、神輿の通る村々の道を走り、終わりにお面を捨てて、同じ道は通らずに帰って来るようにしたといいます。

そしてここでも最後は、「一つ目のお面」が登場するのです。


  ☆


「一つ目」と「生贄」の関係については、もちろん批判もあります。
青銅の神の足跡』の中で、谷川健一さんはこう書いています。

かれ(柳田国男)がそこで提出した仮説、すなわち、大昔に神を祀る人を殺す風習のあったその名残が、のちにはいけにえとして目をつぶして他の常人と区別するやり方に変わり、それが目一つの神の伝承としてあらわれているという説は、きわめて魅力に富んだものであって、大向こうの喝采を博したものである。だが、それには大きな疑問がある。私の考えでは、目一つの神は、銅や鉄を精錬する人たちに多い職業病に由来する。

実は、飯道山と庚申山と岩尾山は「甲賀三霊山」といわれます。
このうち庚申山は、金属の神様でした。

私には柳田国男と谷川健一という巨人の間に割って入る度胸はありませんが、生け贄・一つ目・金属神・巨石磐座信仰・忍者・修験道という要素が、この地域で濃密に絡んでいることは確かです。

中途半端でなんの結論もないのですが、日本の宗教史における謎とミステリーを、ブログ読者の皆様に少しでも感じていただければ幸いです(^_^.)


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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