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伊弉諾神宮(淡路島)と海神神社(対馬)・はるか東西に並ぶ意味とは?

『最新調査でわかった 日本の古代史』という本(宝島社TJmook)に、
「国生み神話の地・淡路島で相次ぐ弥生時代遺跡の大発見」というページがありました。

2015年に7個の銅鐸(松帆銅鐸)が見つかったことや、弥生時代の鉄器工房の五斗長垣内遺跡などから、古代の淡路島の重要性が見直されているようです。さすがに国生み神話の土地柄ですね。

これは、南あわじ市の沼島(ぬしま)にそびえる、高さ約30mの上立神岩(かみたてがみいわ)です。


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この海岸には、今にも動き出しそうな、こんな不思議な巨岩も。


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上立神岩は、イザナギ・イザナミ両神が国産みをする際に使った「天の御柱」とも言われ、また『和漢三才図会』では竜宮城の表門にあたるとも言われています。
この周辺を潜ってみると、何か見つかりそうですね(@_@)

なんとも神秘的な光景でした。

  ☆

さて、日本最古の神社ともいわれる伊弉諾(イザナギ)神宮が、淡路市多賀に鎮座しています。


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ホームページにはこう書かれています。

古事記・日本書紀には、国生みに始まるすべての神功を果たされた伊弉諾大神が、御子神なる天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「幽宮」を構へて余生を過ごされたと記される。
その御住居跡に御陵が営まれ、至貴の聖地として最古の神社が創始されたのが、當神宮の起源である。



境内をいろいろ歩くうち、驚いたのはこれです。
よくある伊勢神宮遥拝所なのですが・・・・


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何とここは、内宮と全く同じ緯度であり、完全に東西に位置しているというのです。

親子の神、それもイザナギとアマテラスという日本神話における至高の神が、まったくの東西線上に並ぶのは、単なる偶然とは思えません。

さらに境内には、こんな地図石板もありました。


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なんだか、現在は否定されている「太陽の道」のようなラインが描かれています。

伊弉諾神宮は、皇室とも関係が深く、いわば神社界の保守本流のような権威あるお社です。
そのお社が、全国のおもな神社と東西ラインや冬至夏至ラインでつながると明示しているのですから、よほど重要な意味があるはずです。

しかも驚いたのは畿内周辺どころか、はるか西の果て、対馬の「海神神社」と東西ラインでつながっていると描かれていることです。

私のような古代史マニアは、
「昔は太陽の道とかよく流行ったよな!」
なんて昔を懐かしんだりするのですが、新たに日本の神社界が認める重要なラインがあるということなのでしょうか?

ではさっそく、この地図石板に描かれたお社を、少し注目してみたいと思います。
まずは、この石板のお社のうち、最も知られていない、そして行きにくいであろう「海神神社」を紹介します。

  ☆

海神神社(かいじんじんじゃ)は、長崎県対馬市峰町木坂にある神社です。
対馬国一宮、式内名神大社とされる極めて格式の高いお社といえます。

しかし、コンビニどころか自動販売機もない淋しい道路を、ひたすら走ります。


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このあたりでよく見かける、民家の特徴的な石垣です。


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これは炭焼き窯でしょうか?


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まだ現役のようです。

何とも不思議なこの景色。
ケルンのような石塔は「ヤクマの塔」と呼ばれます。


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対馬固有の天道信仰にかかわる祭祀が、旧暦6月初午の日に行われるそうです。

さらに、背後に見える石積みの建物は、海藻を貯蔵して肥料にする倉庫のようです。
もうこのような習俗は対馬にもほとんどなくなったとか。


ところでウィキペディアには、海神神社周辺についてこう書かれています。

神社の南にある集落は、旧社人が居住していたので、穢れを忌む意識が強く、家屋は川の北側にあって、女性は出産に際しては川の南側に移って小屋の中で出産し、産後しばらく忌が開けるまで滞在した。

墓は参り墓が川の南岸にあり、埋め墓は南方の山を越えた海岸部にあるという両墓制の形態をとっていた。産穢と死穢を忌む意識が強い。

集落の北側にあって神社の鎮座する山を伊豆山と呼ぶが、伊豆はイツク(厳く)の意味で、神がよりつく神聖な山の意味である。
旧6月の午の日の早朝にはヤクマの祭りが行われ、西海岸に石塔を立てて、伊豆山の方向を拝む。元々は天道の祭りで、太陽を拝むと共に、麦の収穫感謝を願った。


古い古い伝統が、まだ残っていた地域なのですね。

  ☆

さて、めざす海神神社にやっと到着。


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奥にある、静かな境内の石段を上ります。
すると、途中にこんな岩が立っていました。


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磐座なのでしょうか。

さらにこんな岩も。


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これらは磐座信仰や巨石信仰の対象としか思えないのですが、事前の神社案内やネット情報には何も書いていませんでした。
磐座研究者ノーマークの遺跡?

しかしこのお社には、まだまだ驚くことがあったのです。

続く


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コメント

No title

おはようございます。種子島の海神神社へいく道、なんか風変りな石垣、イクマの塔?磐座と岩石・磐座の連続ですね!。次が楽しみです。なんか朝鮮半島の百済の石塔群を思い浮かべます。粗削りだけど、どこか惹きこまれる太古の息吹です。伊弉諾神宮の典雅さは全然異なった世界ですね。比較できて面白かったです。

Re: No title

> なんか朝鮮半島の百済の石塔群を思い浮かべます。粗削りだけど、どこか惹きこまれる太古の息吹です。伊弉諾神宮の典雅さは全然異なった世界ですね。比較できて面白かったです。

ありがとうございます。確かに人であふれる本州の神社とは、いろんな意味で違うなと実感しました。
昔、済州島の民家が、日本の八重山諸島の民家とよく似ていて驚きましたが、対馬の田舎もまた、同じ石積みでした。
同じ風土、同じ海人文化なのでしょうね。

それにしても、家屋はあっても、猫の子一匹見かけない、なんとも不思議な地域でした。神社の祭礼も今では途絶えたようです。
しかし、山腹の拝殿だけは立派で、昔のにぎやかな祭礼をしのぶことができました。
人の移動と流通手段が、舗装道路と車によって、海から陸へと変化したことが盛衰の原因なのでしょうね。

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sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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