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死者の国へ通じる縄文洞窟とは?

一昨日の記事で、瀬川拓郎氏の『縄文の思想』(講談社文庫)について紹介しました。
この本では、アイヌや南島の人々の信仰や『出雲国風土記』などから、
洞窟を他界の入口とみなし、洞窟に埋葬することは、縄文時代から行われていた
と結論されています。さまざまな研究者の研究論文を紹介しながらの結論で、極めて説得力があります。

この本の146ページには、「他界の入口としての洞窟」という見出しで、斉場御嶽と猪目洞窟の白黒写真が載っていました。
カラーだとこうなります。


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さて、このブログでは一貫して、日本の原始信仰・自然信仰の源流の一つは、洞窟信仰にあるという主張をしてきました。

その洞窟信仰の源流が、「洞窟を他界の入口とみなす」という縄文時代の信仰にある可能性があるなら、今まで記事にしてきたさまざまな実例も、少し違った視点で見る必要が出てきます。

  ☆

これは、岡山県高梁市川上町高山市の山中に鎮座する、穴門山神社の『御神窟』です。


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『倭姫世記』によると、崇神天皇の命を受け、天照大神のご神体である御鏡をお祀りする場所を探し歩いた豐鋤入姫命が、四年間奉祭したのがこの洞窟と伝えられます。

天照大神のご神体である御鏡を洞窟に祀るということで誰しも思い出すのが、「天の岩戸神話」ではないでしょうか?

神話学的には、日食説であれ冬至説であれ、「天の岩戸神話」は太陽神の死と再生を象徴しています。
これは「洞窟を他界の入口とみなす」という祭祀思想と深い関係があることは間違いありません。

もちろん実際に、豐鋤入姫命が天照大神の御鏡を四年間奉祭したかどうかは不明です。
しかし、元来地域ローカルな太陽神祭祀がここにあり、後世に天照大神と関係づけられただけとしても、この洞窟の祭祀的重要性は変わりません。


それにしても、縄文文化とここは、何らかの関係があるのでしょうか?


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ここより洞窟の奥へは行けないので、何か遺物があったとしても一般人にはわかりません。

そこで周囲に縄文遺跡がないかと探すと・・・ありました。
権現谷岩陰遺跡が、ほんの数百メートル北の谷にあったのです。

岡山大学が発掘調査し、1983年に上川町教育委員会が報告冊子を出していました。
それを読むと、縄文後期の中津式・津雲A式の鉢型土器などと、700点に及ぶ石器・石片、さらに骨角器が発見されています。
そして、「本地域内の遺跡は、不明な点があまりにも多く、未知の遺跡の発見を含めて、詳細な検討は今後の課題である。」と記されていました。

あまりに神秘的な景観で、清水が流れ出る穴門山神社の『御神窟』にも、縄文人の信仰があったとして不思議はありません。

  ☆


ところで権現谷岩陰遺跡は、写真で見ると横長の比較的浅い岩屋のようです。
その上は巨大な絶壁のように見えます。

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実はこれによく似た洞窟が、穴門山神社の『御神窟』から南へ十数キロ離れた福山市山野町山野の山間部にありました。
その名は、岩屋権現

地殻変動によってできた大きな石灰岩巨大礫の洞窟の中に、式内社・多祁伊奈太岐佐耶布都(たけいなだきさやふつ)神社が鎮座していました。
別名「岩穴宮」とも呼ばれ,素盞嗚尊が八岐大蛇を退治したときに用いた剣がまつられていたという伝説があります。


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縄文遺跡との関係は不明ですが、主祭神の下道国造兄彦命 (シモツミチノクニツクリ アニヒコノミコト)という聞きなれない神名は、縄文の神様なのでしょうか?


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奥は鍾乳石で、さらに奥から水が流れ出しています。
これは、穴門山神社の『御神窟』と同じです。


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上の赤っぽい鍾乳石がご神体だったかもしれません。


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ここはもう、広島県です。しかし福山市山野町は、福山市内のほとんどが芦田川水系に属しているのに対して、ここだけは岡山県倉敷市に河口を持つ高梁川水系。穴門山神社と同じエリアと言えます。
そして洞窟は馬乗山の西麓に位置しますが、山頂部の馬乗観音には磐座がみられ、その東麓には弥生時代の遺物があちこちから発見されている土地柄です。

もちろんこの洞窟に、縄文人が関わっていたかどうかはわかりません。
しかし洞窟の祭神名や雰囲気は、原始信仰・自然信仰の系譜であることは間違いないと思います。


いずれにしろ穴門山神社の『御神窟』も『岩屋権現』も、日本の神社信仰の根源を見る思いがする、圧倒的な迫力と神秘感に満ちたお社でした。


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コメント

先日の新聞記事に・・・

いつも興味深い記事を拝見しております。ありがとうございます。先日の新聞記事で、岡山の岩陰遺跡が載っていました。いつの頃からか、ハンセン病の人達が暮らす場所になっていたとか。ハンセン病の痕跡のある大昔の人骨が、見つかるそうです。聖が枠外に通じる例かとも思いました。

Re: 先日の新聞記事に・・・

> ハンセン病の痕跡のある大昔の人骨が、見つかるそうです。

鋭い指摘ありがとうございます。
近現代のハンセン病患者の居住地跡や埋葬されたとみられる頭蓋骨が発見されていたという報道ですね。

実は、ブログ記事に載せた当該白黒写真は、そんな新聞記事の電子テータからこっそり取りました。(そもそも元データは、ブログ記事文中にも記載した上川町教育委員会の発掘調査の報告冊子です。)

報告冊子には、「縄文遺跡だが、近世に表土が改変されている」というような表記が複数あり、その時はなんのことかわからなかったのですが、ハンセン病患者の隔離と聞いて納得というか、大変驚いた次第です。

軽く触れるだけですむような事柄ではない、大変重い事実ですので、迷った末に触れないでアップしました。
網野善彦さんやもののけ姫に関係する記事を再度扱った時に、良く考えてから記事に書こうと思っています。

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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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