FC2ブログ

記事一覧

宗像大社の高宮祭場と周参見地主神社・社(ヤシロ)の起源は何もない空間?

「自然信仰や原始信仰に関わる絶景は、どこがおススメでしょうか?」
と質問されたら、「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコ世界遺産に登録された『熊野古道』は、間違いなくその答えの一つです。

例えば、和歌山県新宮市神倉に鎮座する、熊野速玉大社摂社の『神倉神社』。


P1020742_2019061221494295b.jpg


P1020762_2019061221504862b.jpg


P1020748_20190612214940ce6.jpg


P1020749_20190612214942a8e.jpg


P1020747_201906122149338ad.jpg


このご神体であるゴトビキ岩などは、見て良し・登って良し・見下ろして良しの、三拍子拾った素晴らしい原始信仰を感じることができます。



また、滝自体をご神体とする『那智の滝』は、だれが撮ってもカレンダーにできそうな写真がゲットできます。


IMG_0215_convert_20170913135109_convert_20190612213909.jpg


IMG_0192_convert_20170913142014_convert_20190612213816.jpg




ほとんど観光客が行かない、平尾井薬師でもこの迫力です。


P1370671_convert_20170818104600_20190612215056cc9.jpg


  ☆


一方、これらと反対で「何もない空間」という、インスタ映えしない社(ヤシロ)もまた、日本の原始信仰を今に伝える重要な場所でした。

例えば、同じく世界遺産である福岡県の『宗像大社』。


DSCF2440_convert_20170710102351_20190612214858788.jpg


海の正倉院と呼ばれてきた『沖ノ島』は、神社の歴史に興味のある人間なら誰しもが行きたい島ですが、その『沖ノ島』レベルの聖地が宗像大社陸上エリアにあります。

説明板に
宗像大神降臨の地
と伝えられ、沖ノ島と並び宗像大社境内で最も神聖な場所。


DSCF2448.jpg


その『高宮祭場』というのが、ここです。


DSCF2452_convert_20170710124521_201906122149460ee.jpg


DSCF2456.jpg


実質、何もない空間です。
沖ノ島と並ぶ聖地として、インスタ映えを狙って訪問した人には、残念ながら肩すかしでしょうね!(^^)!


  ☆


熊野に戻ります。

和歌山県のすさみ町から太間川を遡ると、JR紀勢本線の線路から離れたあたりの山中に、
地主神社
が鎮座しています。


DSCN6989_convert_20190612213706.jpg


参道らしき山道を登ると、大きな露岩と石積みが現れました。


DSCN6957_convert_20190612213150.jpg


その上にあったお社は、これでした。


DSCN6949_convert_20190612212935.jpg


DSCN6950_convert_20190612213021.jpg


DSCN6953_convert_20190612213105.jpg


このシンプルさは『高宮祭場』と同じですね。
由緒ある神社とは、立派な社殿があり、背後に古代信仰の磐座などがあったりすると思いこんで訪問すると、そんな予想と現実との落差にめまいがしそうです(@_@;)

これはいったいどんなお社なのでしょうか?
これがその説明板です。


DSCN6939_convert_20190612212839.jpg


それにしても、きれいな山が見えるわけでも、すさみの海が見えるわけでもなく、あまりに地味な立地です。
大きな露岩があるから、それが磐座とされたのでしょうか?

そこでどうも気になるのが、地主神社の前を流れる太間川にある、この岩。


DSCN6968_convert_20190612213429.jpg


DSCN6969_convert_20190612213518.jpg


ひょっとすると、この巨岩も磐座だったのではないかという気がしてなりません。


DSCN6961_convert_20190612213237.jpg


DSCN6966_convert_20190612213323.jpg


もちろん、五百年・千年という昔から、この岩がこのままあったという証拠はありません。
洪水の折に上流から流されてきたか、山腹から落ちたのではないかという疑問も残ります。

熊野本宮大社の旧社地は洪水で流されたのだから、川の地形や景観は大雨で変わると思われる方もあるでしょう。
確かに1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで、本宮大社の社地は熊野川の中州にありました。大鳥居の立つ「大斎原」がその場所です。


P1520538_convert_20180120004754_20190612215054dbe.jpg


しかしこれは、明治以後の急激な山林伐採で山が荒れ、保水力が失われた結果として洪水が引き起こされたもので、健全な生態系の山林なら、そうそう洪水は起こりません。

この景観をご覧ください。


P1360520_convert_20170719221318_2019061221505822d.jpg


P1360550_convert_20170719221447_convert_20170719223743_201906122151003eb.jpg


DSCF8004_convert_20170719221559_20190612214930e76.jpg


同じ和歌山県内ですが、川の中に立つ巨大な立石に祠が祀られ、橋が架かっています。

お参りのために橋を架けたのか、橋脚として立石を利用したのかは分かりませんが、少なくとも健全な川は、川の中の岩も安定していることが見て取れます。


  ☆


さて、『高宮祭場』は何もない空間でしたが、宗像大社全体としては『沖ノ島』もあり、陸と海がセットになっています。

規模は小さいながら、何もなさそうな『地主神社』もまた、川の中の岩上祭祀とセットで祀られていたのかもしれません。

というわけで、あまりまとまらない勝手な妄想的推理でした(^^♪


取材とネタに苦労しておりますが、三つクリックしていただくと大変励みになります。
よろしくお願いいたします(^_^)/~
にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

神社・仏閣ランキング

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

フリーエリア