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鐸比古鐸比賣神社・謎の磐座・世界遺産仁徳天皇陵古墳

昨日の続きです。
(画像縮小機能はトラぶったままですが、ごまかしごまかし書きます(>_<)

近鉄大阪線の竪下駅から見えた、山腹の白っぽい巨岩。


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直下に鎮座する、鐸比古鐸比賣神社の磐座に違いないと感じ、ネットで調べてたどり着いたのが、下の露岩群と奥の院らしき祠でした。
(もっと大きな岩もあります。)

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ところが、帰宅してからよく写真を比べると、その日撮った磐座は、明らかに駅から見えた磐座とは別物でした。

となると、鐸比古鐸比賣神社の磐座は、中腹と峰の頂上の二ヶ所にあるのでしょうか?
奈良の三輪山でも、中津磐座と奥津磐座の二ヶ所が有名ですから、鐸比古鐸比賣神社の磐座も同じパターンかもしれません。
とにかくはっきりさせたくて、二週間後に再度行って見たのです。

  ☆

晩秋の境内には、ご神職や氏子さんの姿はありません。


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磐座は二ヶ所あるのか、あるとしたらそれぞれ何を祀っているのか、そして中腹の磐座へ至る道はあるのか、そんなことを聞いてみたいのですが、無理なようです。
ご神職がおられたなら、磐座へ登るご挨拶もしたかったのですが、あきらめて磐座へ登れそうな山道を探します。

すると、境内横から続く踏み跡があったので、登りはじめました。
しばらくすると、急斜面に人工的な石垣が出始め、その上に目指す磐座が姿を現しました。


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注連縄もあり、磐座であることは明白です。間違いなく、駅から見えたのはこれでした。

ではここで、それぞれの地点から見下ろす景色をご覧ください。

まずは神社の境内から。


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次は中腹の磐座から。


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一の鳥居から手前に延びる参道は、明らかにこの磐座へと延びていることが判ります。
この磐座こそが、鐸比古鐸比賣神社の核心部なのでしょうね。


最期は頂上部の磐座からの大阪平野です。


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  ☆


昭和の初め、大阪府学務部が発行した『大阪府史蹟名勝天然記念物』には、こう記されているそうです。

山頂に鐸比古神社の址あり、高さ五丈・周囲凡九拾間・広さ百五拾坪の地にして、奇岩怪石屹立し、一小社を存して今に奥の院といふ。同所を下りて東方四拾間余の所に復た鐸比売神社の址あり。周囲参拾間広さ四拾四坪にして、巨岩累々雑木繁茂して人跡なし。里俗は其の地を比売御前と呼び、字を姫山と称せり

頂上部の磐座が鐸比古神社の旧跡で、中腹の磐座が鐸比売神社だったのでしょうか。

それにしても、不思議なのは「」という文字です。
昨日、コメント欄に、「名無し様」より貴重なご示唆をいただきました。

鐸の字の読み

銅鐸の鐸の字は「ぬりで」と「さなぎ」の2つの
読み方があって、
意味は同じ銅鐸型の楽器のことですが
「ぬで」というのは「ぬりで」が縮まったんでしょうね。


なるほど、やはり銅鐸という青銅器と関係がありそうです。

谷川健一さんは、『青銅の神の足跡』のなかで、
『古語拾遺』に
「天目一箇神として、くさぐさの刀・斧、および鉄鐸(さなき・古語は佐那伎)を作らしむ」
とあることから、
「古くは鉄鐸をサナキと呼んでいたこと」「もともと銅鐸もサナキと呼んだのであろう」
と記されています。

そしてこのすぐ後に、「丹生のみならず佐那からも水銀が採れた。」とも。

星谷寺の記事でも書きましたが、阿波の信仰遺跡に精通されている鯨様のご教示で調べたところ、星谷寺から約6km南、「西の高野山」と呼ばれる太龍寺北側斜面にある若杉山遺跡は、弥生時代にはすでに水銀(丹朱)がさかんに採取されていたことがわかりました。
そしてその近くには、まさに「佐那河内村」という「サナ」

いずれにしろ鐸比古鐸比賣神社が、本来は金属神としての性格を備えていることは間違いないでしょうね。
ここから東へ3㎞ほどの山中には、金山媛神社が鎮座し、その麓には金山彦神社があります。
鐸比古鐸比賣神社の古い姿と同じ様式で、金山媛神社には大きな磐座もありました。


この地域は、古代における金属生産の一大基地だったのでしょう。
「鉄は国家なり」とはドイツ帝国宰相のビスマルクの言葉ですが、青銅器の獲得によっても農業生産効率の向上や軍事的優位性の確保が可能でした。そしてそもそも日本には、青銅器・鉄器の技術の両方が同時期に伝わってきたとされます。

金属は、古代日本社会の飛躍的な発展と職業の分化、軍事と文化レベルの向上をもたらしました。

鐸比古鐸比賣神社から眺めるこの景色。


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単なる丘ではなく、巨大な前方後円墳です。恐らく応神天皇陵古墳だと思います。
仁徳天皇陵が世界遺産へという話題がニュースになっていましたが、 この辺りの平野に広がる巨大古墳群と、山麓に点在する、権力の源たる金属精錬の神。


300px-NintokuTomb[1]
(ウィキペディアより)


そしてこの銅鏡の重要性。


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単なる磐座探しでは済まない、極めて重要なものが、ここにあったようです。


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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