藤原千方伝説・忍者発祥地の平安ロマン
- 2019/01/24
- 16:03
三重県伊賀市高尾に、「忍者発祥の地」とも称される不思議な場所があります。
「千方窟」です。
忍者と聞けば、ファミリーで史蹟ハイキングに行く場所にも思えますが、実は全くそんな雰囲気ではありません。
柱状節理の巨石群が折り重なる要塞のような景観で、巨石慣れした私でも畏怖感を禁じ得ない、そんな場所なのです。
☆
伊賀市の山中を走る県道39号線。

その高尾付近で、保育所横の案内看板に従って山へ入ります。

こんな狭い道に車で来ていいのだろうかと、少し不安になるころ、道路脇のわずかなスペースを見つけて駐車。
そこからさらに、600mほど山を上ります。

幸い地元の地名研究会のグループが先を歩いておられたので、厚かましくも説明を聞きながら後ろを歩きます。
特にお一人の男性は、私たちが遠くから来たと知って、親切にいろいろ話をして案内してくださいました。
結構な坂道を登っていて、やや下りになったと思ったら到着。


意外にかわいいキャラです(^_^)/~

いよいよ千方窟です。






ここには、こんな伝説がありました。
藤原千方は藤原鎌足の末裔で、当初は朝廷に仕えていましたが、官位の昇進を望んで朝廷に強訴したものの失敗し、かえって朝廷に追われる身となります。
そして伊賀の国において、総勢五百の反乱軍を起こしたのです。
このとき千方は、この千方窟の岩城に立てこもり、風鬼、火鬼、土鬼、陰形鬼の四鬼を使って追討の官軍三千を翻弄しました。
四天王とも呼ばれる四鬼は、矢を射ても立たず、大風を起こし、洪水を呼び、姿も見えず朝廷軍を悩ませたと伝わります。
そしてその四鬼が使った術は後世の伊賀忍術の発祥とされているのです。
しかし朝廷側の将軍、紀朝雄は、
草も木も 我が大君の国なるに いずくか鬼のすみ家なるべき
という歌で四鬼の戦意を失なわせ、千方将軍は逃亡の途中大和の国で捕らえられ斬られたのです。
この伝説では、当然千方将軍は「朝敵」です。
「太平記」巻16「日本朝敵ノ事」の中にその記載があるそうで、「青山町史」には
「日本朝敵ノ事」の章は、わが国は天皇の治める国であるから天皇に背くものは皆滅びるということを古今の先例を引いて説いたもので、朝敵の実例として藤原千方・平将門・平清盛その他多くの人物が引合いに出されている。
と書かれています。
ところで、屏風のような巨岩の前に何かあると思ったら、「千方明神」の祠がありました。


悪者である千方将軍の、その恐ろしい悪霊を鎮めるための祠なのでしょうか?
☆
名張高校の郷土研究部が昭和55年に編集した、「なばりの昔話」に、
赤岩さんと千方将軍(滝之原)
という項がありました。
地元のお年寄りから聞き取った、赤岩尾神社の伝説が書かれています。
平安の昔、高尾の山城にたてこもった藤原千方将軍という武将がおってな。
将軍は赤岩にやってきては、武運長久の祈願をしましたんじゃ。それ以来、赤岩は、武運長久の神としてあがめられ、赤岩尾神社の名が広く知れ渡ったのじゃ。
ある日、千方将軍が祈願にやってきたとき、後をつけてきた敵軍に囲まれてしもうて、もはやこれまでと、もうあきらめた。そのとき、吹く風にさそわれて見つけた風穴に身を隠して難をのがれたこともあったそうな。
どうもこの昔話は、千方将軍の目線で語られています。
「朝敵=悪者」という図式ではありません。
そして、最後にはこう締めくくられます。
この山のふもとにはな、「子安地蔵」が祭られてな、子供がお祈りをすると千方将軍のように強い人になって長生きできると伝えられているそうじゃ。
話・山森雄蔵さん(明治三十六年生まれ)
滝永花子さん(昭和二年生まれ)
なんと、千方将軍は地域の英雄、崇敬の対象なのです。
となると、先ほどの「千方明神」は、単なる怨霊鎮めではありません。
☆
実は、歴史的には「藤原千方将軍」というのは架空の人物とされています。
「千方」という名の人物は実在するものの、時代や業績が合わないそうです。
さらにそれだけでなく、「忍者発祥地」というのもあり得ないとされます。
しかし、まったく架空の人物、それも「朝敵」に、地元の人々の崇敬の情が湧くものなのでしょうか。
さらに言うなら、地元の方々は、ありもしない作り話に騙されているのでしょうか。
私はそうは思いません。
「尋常小学校修身書」で
シンデモ ラッパ ヲ
クチ カラ ハナシマセンデシタ。
がお手本とされた時代を経てなお、全く架空の「朝敵」が崇敬され続けたとは思えません。
千方将軍のモデルとなるような人物、権力に刃向って殺された、地元の指導者が実際にこの地にいたのではないか。
根拠のない伝説ならば、いつしか消えていきます。
山間僻地の農山村といえど、人々は決して無知蒙昧ではありません。
ひょっとすると、忍者の起源というのも、どこかでつながっているかもしれませんね。
ネタが追い付かず、このブログがいつまで続くか不明ですが、よろしければ三つクリックしていただくと大変励みになります。
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「千方窟」です。
忍者と聞けば、ファミリーで史蹟ハイキングに行く場所にも思えますが、実は全くそんな雰囲気ではありません。
柱状節理の巨石群が折り重なる要塞のような景観で、巨石慣れした私でも畏怖感を禁じ得ない、そんな場所なのです。
☆
伊賀市の山中を走る県道39号線。

その高尾付近で、保育所横の案内看板に従って山へ入ります。

こんな狭い道に車で来ていいのだろうかと、少し不安になるころ、道路脇のわずかなスペースを見つけて駐車。
そこからさらに、600mほど山を上ります。

幸い地元の地名研究会のグループが先を歩いておられたので、厚かましくも説明を聞きながら後ろを歩きます。
特にお一人の男性は、私たちが遠くから来たと知って、親切にいろいろ話をして案内してくださいました。
結構な坂道を登っていて、やや下りになったと思ったら到着。


意外にかわいいキャラです(^_^)/~

いよいよ千方窟です。






ここには、こんな伝説がありました。
藤原千方は藤原鎌足の末裔で、当初は朝廷に仕えていましたが、官位の昇進を望んで朝廷に強訴したものの失敗し、かえって朝廷に追われる身となります。
そして伊賀の国において、総勢五百の反乱軍を起こしたのです。
このとき千方は、この千方窟の岩城に立てこもり、風鬼、火鬼、土鬼、陰形鬼の四鬼を使って追討の官軍三千を翻弄しました。
四天王とも呼ばれる四鬼は、矢を射ても立たず、大風を起こし、洪水を呼び、姿も見えず朝廷軍を悩ませたと伝わります。
そしてその四鬼が使った術は後世の伊賀忍術の発祥とされているのです。
しかし朝廷側の将軍、紀朝雄は、
草も木も 我が大君の国なるに いずくか鬼のすみ家なるべき
という歌で四鬼の戦意を失なわせ、千方将軍は逃亡の途中大和の国で捕らえられ斬られたのです。
この伝説では、当然千方将軍は「朝敵」です。
「太平記」巻16「日本朝敵ノ事」の中にその記載があるそうで、「青山町史」には
「日本朝敵ノ事」の章は、わが国は天皇の治める国であるから天皇に背くものは皆滅びるということを古今の先例を引いて説いたもので、朝敵の実例として藤原千方・平将門・平清盛その他多くの人物が引合いに出されている。
と書かれています。
ところで、屏風のような巨岩の前に何かあると思ったら、「千方明神」の祠がありました。


悪者である千方将軍の、その恐ろしい悪霊を鎮めるための祠なのでしょうか?
☆
名張高校の郷土研究部が昭和55年に編集した、「なばりの昔話」に、
赤岩さんと千方将軍(滝之原)
という項がありました。
地元のお年寄りから聞き取った、赤岩尾神社の伝説が書かれています。
平安の昔、高尾の山城にたてこもった藤原千方将軍という武将がおってな。
将軍は赤岩にやってきては、武運長久の祈願をしましたんじゃ。それ以来、赤岩は、武運長久の神としてあがめられ、赤岩尾神社の名が広く知れ渡ったのじゃ。
ある日、千方将軍が祈願にやってきたとき、後をつけてきた敵軍に囲まれてしもうて、もはやこれまでと、もうあきらめた。そのとき、吹く風にさそわれて見つけた風穴に身を隠して難をのがれたこともあったそうな。
どうもこの昔話は、千方将軍の目線で語られています。
「朝敵=悪者」という図式ではありません。
そして、最後にはこう締めくくられます。
この山のふもとにはな、「子安地蔵」が祭られてな、子供がお祈りをすると千方将軍のように強い人になって長生きできると伝えられているそうじゃ。
話・山森雄蔵さん(明治三十六年生まれ)
滝永花子さん(昭和二年生まれ)
なんと、千方将軍は地域の英雄、崇敬の対象なのです。
となると、先ほどの「千方明神」は、単なる怨霊鎮めではありません。
☆
実は、歴史的には「藤原千方将軍」というのは架空の人物とされています。
「千方」という名の人物は実在するものの、時代や業績が合わないそうです。
さらにそれだけでなく、「忍者発祥地」というのもあり得ないとされます。
しかし、まったく架空の人物、それも「朝敵」に、地元の人々の崇敬の情が湧くものなのでしょうか。
さらに言うなら、地元の方々は、ありもしない作り話に騙されているのでしょうか。
私はそうは思いません。
「尋常小学校修身書」で
シンデモ ラッパ ヲ
クチ カラ ハナシマセンデシタ。
がお手本とされた時代を経てなお、全く架空の「朝敵」が崇敬され続けたとは思えません。
千方将軍のモデルとなるような人物、権力に刃向って殺された、地元の指導者が実際にこの地にいたのではないか。
根拠のない伝説ならば、いつしか消えていきます。
山間僻地の農山村といえど、人々は決して無知蒙昧ではありません。
ひょっとすると、忍者の起源というのも、どこかでつながっているかもしれませんね。
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