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天照大神高座神社・大関高安.聖徳太子.秦河勝.空海が関わる濃密な聖域とは?

2019.1.23の夕刊フジのニュース
「高安、示した大関の意地 貴景勝に“先輩”の実力見せた 」

高安と貴景勝に、是非ともこれからの相撲界を牽引して欲しいと、多くの相撲ファンが願っているでしょうね。

さて「高安」という名前ですが、力士は十両、幕内昇進など番付を上がるにつれ、新たなしこ名を名乗るのが普通です。なぜ「高安」のままなのか?
そして茨城県土浦市出身なのに、そもそも「高安」とはどこの地名なのか?

実は、父の栄二さんが先代師匠の故鳴戸親方に
親類一同、高安を使ってもらえばありがたい
と直談判し、本名で通した経緯があるのです。

「高安」それは、大阪の古い地名でした。
栄二さんは、
天智天皇の時代、山城として高安城が築かれた。公家の内部抗争に負けて関東の方まで流れたと、高安家では言われている。大阪には高安駅があるし、高安病院、高安犬という犬もいた
と、1300年以上前から続く武家の一族であることを誇りにされているようなのです。


  ☆


誇り高き地名である「高安」とは、大阪府八尾市の東部、玉串川沿いの旧大和川堤防跡の東から生駒山地・奈良県境にかけての広範囲にわたる地名です。
そしてそこにそびえる高安山の麓に、本日紹介する天照大神高座神社が鎮座しています。

『延喜式』神名帳 河内国高安郡に「天照大神高座神社 二座 並大社」とあり、古くからの由緒あるお社であることが分かります。
しかしそれだけではありません。
「天照(アマテル)」を冠する神社は他にあるものの、「天照大神」という最高神の神名をそのまま神社名に冠する式内社はここだけなのです。

さらに
「宇治山田原に御鎭座ありましたが、今より約1500百年余年前雄略天皇23年当地に御鎮座になりました」
という由来がありますが、宇治山田と言えばあの伊勢神宮の所在地です。
伊勢より遷座して「天照大神」を冠するのですから、日本古代の太陽信仰に関わる重大なお社であることは確実だと思います。


では、天照大神高座神社と、実質境内が一緒の岩戸神社の様子をご覧ください。


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本殿は、L字状の岩壁に開いた洞窟を隠すように建てられています。


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『市杵島姫命』を祀る岩戸神社も、巨大な岩肌が背後にあります。


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ここは、空海が高座神社参籠中に、大神の御神託により創建されたものと伝えられています。

いずれにしろ、これらのお社は、岩盤や洞窟などに対する原始信仰がその起源であることが明らかです。

その他、境内の様子と石碑群です。


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  ☆


さて、ここの地名は大阪府八尾市大字教興寺です。
ではそもそも「教興寺」とは何か?

寺伝によれば、聖徳太子物部守屋の討伐を祈願するため、秦河勝に命じ崇峻天皇元年(588年)に建立したという由緒を持ちます。

しかし後に戦乱で荒廃し、江戸時代に浄巌和尚によって再興され、浄厳と親交のあった近松門左衛門がしばらく寺に寄宿していたのだとか。

天照大神、聖徳太子、物部守屋、秦河勝、空海、そしておまけに近松門左衛門。
まあすごいビッグネームばかりが並びます。
境内も大阪らしいコテコテに凝縮された、いい意味でのカオスと活力を感じます。
間違いなくここは、古代の岩窟信仰と太陽信仰に何らかの起源を持つ「聖地」と呼ぶべき場所でしょう。


ついでに、この不思議な聖地に生える、不思議な色のキノコ。

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  ☆


・・・・冒頭に書いた大相撲の「高安」の話題に戻ります。
高安関の先祖は、ここ八尾の高安にルーツをもち、先祖が茨城県へ移住したとされます。
しかし、それは本当に単なる偶然なのでしょうか?

「名字由来net」ブログ様の数字をお借りします。

「高安」という名字の方は、全国に約8600人おられるそうです。
その内訳の一部を取り出すと

大阪府・・・・約 420人
茨城県・・・・約1700人
千葉県・・・・約2100人
東京都・・・・約 980人
群馬県・・・・約  30人
栃木県・・・・約  30人


東京は近代になって全国から人が集まり、名前分布の特性はあまりないので、この数字を除外すると、大阪府・茨城県・千葉県の3府県で全体の55%を占めます。
同じ関東の群馬県・栃木県が各30人なのと比べて、あまりに明瞭な差があるのです。

もちろん八尾の「高安」とは別の系統の「高安」もこの中に混じっていると思います。
しかし高安関のお父さんが自ら言われているように、八尾の高安にルーツを持つ高安姓が確実に茨城におられるのです。
いつの時代かはともかく、大阪の高安から千葉・茨城方面に、多くの人が移住したのは確かでしょう。

『常陸国風土記』によると、
白雉4年(653年)に小山上物部河内・大乙上物部会津らが惣領高向の大夫らに要請し、筑波・茨城郡の700戸をもって信太の郡を設置した。この地はもと日高見国であったとされます。

この「日高見国」については諸説ありますが、太陽の昇る東の果て、つまり太陽信仰ともかかわる名であることは確実でしょう。
そして大阪や奈良から見れば、そこは夏至の太陽の昇る国でした。
伊勢から見ても、夫婦岩からは富士山に夏至の太陽が昇り、そのさらに彼方の地の果てが、常陸(日立ち)だったのです。

本来、高安一族は「東夷の荒賊の住むところ」とされた日高見の地に、高安の太陽神を奉じて移住したのではなかったのでしょうか?


  ☆



ついでにもう一つ、興味深い事実を出しておきます。

「いこまかんなびの杜」ブログ様に、こんな記事がありました。


中国の大河、長江流域にある九江市の南方、江西省の省都-南昌からさらに61kmの所には、高安市(人口78万人)があります。
  (略)
雄大さでは比較できませんが、古代の高安氏族は、河内平野を蛇行して流れる旧大和川と河内湖を望む高安山から信貴山周辺にかけた山々を、まさに中国の故地の景色や由来などに重ね合わせて、名称を付けたものかも知れません。
  (略)
高安山のふもとに居住していた高安(常澄)氏一族は、上記の史料によれば、先祖が中国の後漢の光武皇帝、孝章皇帝の子孫にあたる渡来氏族ということになります。



下の地図をご覧ください。
中華人民共和国の高安市と、大阪と、千葉茨城を結ぶと、だいたい夏至の朝日の方向にラインが引けます。





地球という球面を表した広範囲の地図に、直線ラインは正確に引けないのですが、大まかな方向性はわかると思います。
古代の氏族がグーグルマップとGPSを持って移動したわけではないので、単なる偶然だと考えるのが普通でしょう。

しかし空海も秦河勝も、中国を含めた東西線はかなり正確に把握していたことは明らかです。(以前の記事で述べました。)
ひょっとしたら、私たちが考えている以上の真実が、ここにあるかもしれません・・・・

何かのご参考にでもと、掲載させていただきました。


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コメント

カオスの風

今日もsazanamiさんの記事はボリューム満点に、高安関のルーツから、はては中国の高安市まで、大変グローバルに展開していますね!
それに、聖徳太子に秦河勝、.空海が揃いぶみ、これはもう見逃せません。
中国からのレイライン・・・あるいは、そうかもしれませんね!?
しかし、秦河勝というか秦氏は本当に不思議な一族で、ユダヤ系ともペルシャ系とも中国系百済人とも言われる足跡が多く残されていて、宇宙人説みたいなのも最近はあがっているそうですが、いずれにせよ古代日本史と大和朝廷に大きく文化貢献した人物には違いありません。

しかし、ここは本当に超デラックスなご神域ですね。
神様と、仏様(お不動様も!)役行者も揃い踏み、もう、仰る通り、カオスのパフェみたいなありがたいところですね。
岩にそそり立つ像や御堂、なんか、見ているだけ異次元空間に意識がまきこまれそうなパワーを感じます。ましてや、この地に立っていらしたsazanamiさんは尚更でしょうね。

今日も素晴らしいレポを、ありがとうございます。

Re: カオスの風

> 神様と、仏様(お不動様も!)役行者も揃い踏み、もう、仰る通り、カオスのパフェみたいなありがたいところですね。

なるほど、にぎやかに詰め込まれて、まさにカオスのパフェですね(^_^)/~
まだ境内には、旱天でも水が絶えることがない白飯の瀧があつて、修行の場となっています。
他にも「北斗七星」と彫られた大きな石碑など、この濃密さは他では味わえません。

実はここ、住吉大社の真東に位置していて、そのことだけでも深い意味がありそうです。
ネタがなくなったら、住吉さんとの関係でも書くことにします。

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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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