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磐神社と神秘の巨大磐座・消滅寸前だった数奇な運命

兵庫県三田市市之瀬の山間部に鎮座する「磐神社」。
ここは、切詰バス停の少し北を左折し、200mほど奥へ入った谷にひっそりと佇むお社です。


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祭神は磐筒男命

磐神社に磐筒男命という組み合わせを見ただけで、ここがどういうお社かが分かります。
つまり、岩石信仰・磐座祭祀のお社なのです。

ここには二つの磐座が祀られていますが、まず本殿背後の巨大な磐座をご覧ください。


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たいへん不思議な形をした磐座です。

かなり横長で、尾のような部分は境内の外まで伸びています。


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先ほどの本殿奥には、扉がありました。

扉を開ければ、すぐ岩が見えるはずです。つまり、まちがいなくこの巨岩がご神体だということになります。


  ☆


さて、もう一つの磐座はこちらです。


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横に周ると、また違う印象です。


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磐座と御神木の組み合わせは、どちらか単体の時に比べると、生命感や畏怖感が飛躍的にアップするように感じます。

  
  ☆


本殿背後の磐座は、どうも動物か何かの姿をしているように思えるのですが、いかがでしょうか。
うずくまった姿で、頭部が社殿に接しているイメージが浮かんできます。

実は、イメージが重なる磐座がありました。
これは、福島県郡山市の「日吉神社」本殿前の不思議な磐座です。


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(よろしければ、こちらの記事も御覧ください。)

郡山市の日吉神社・不思議な人面岩の謎と坂上田村麻呂



日吉神社の方は、本殿背後ではなく、前から本殿を覗きこむような格好ですが、背中がまっすぐ伸びていることなどは同じです。


  ☆


私は、どこかしら生物を連想させる磐座は、日本の原始信仰におけるトーテミズムを研究する上で極めて重要ではないかと推測します。
この場合のトーテム(totem)とは、特定の集団や人物、「部族」や「血縁」に宗教的に結び付けられた野生の動物や植物などの象徴のことです。

ウィキペディアにはこんな説明がありました。

日本の神道を含めた自然崇拝の信仰形態において、部族や血縁に対し、生きる縁を与えるものとしてLife・Index あるいはLife・Tokenと呼ばれる、「自分と似たようなもの」が祝福あるいは生命力を与えると考えられた。彼らは、部族ごとに石、光線、動物、植物とさまざまな形で表され、異なる世界から来るマナを、共有していると考えられた。また、説明体系として「われわれは○○の子孫である」というものがあるため、ハレの日にその動物を食べる、逆に食べない、といったタブーが存在する。

南方熊楠は、トーテムを族霊と訳し、日本にトーテミズムがあるとしたが、発表したものが、「個人の守護霊」であり、部族の守護霊ではないという批判があったため「トーテムと人名」で、改めて論じ直し 大物主は、明らかに蛇トーテムであり、三島の神池での鰻取り、祇園の氏子とキュウリ、富士登山の際のコノシロのタブーをトーテムとした。



また有名な神道家の荒深道斉は、五島列島の紀行文のなかで

「凡ての日子座には、亀蛙牛馬鳥類魚類等の形を成せる大石を附属せしむるのは、大國主神代の禽獣が天孫の天降を歓迎して畏服する状態を示すもの」
と書いています。

この考えは、天孫降臨という理念上の神話を現実の磐座に結びつけたため、ほとんど無視されているように思います。
しかし磐座や巨石信仰と古代トーテミズムの関係という視点で見るならば、実は大きな問題提起を含んでいると私は思います。


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これ、ひょっとして、顔の部分を削られたのではないか?
いわば「神社版首なし地蔵」だったのでは、という疑惑も湧くのですが・・・・・


  ☆


ところで、原始神道期の信仰文化を研究する上で、極めて重要な可能性があるこの磐座は、過酷な運命をたどっていました。

地元、「髙平郷づくり協議会」様発行の資料によると、明治40年に木器の天満神社に合祀されていたのです。
しかし昭和22年には、元の地にご神体を戻し、社殿を新築したとのだとか。
そのため、現在の磐神社は「新制磐神社」と書かれていました。

明治期の合祀政策は、けっこう御神木や磐座を無視して強行されたようです。
全国で置き去りにされたそれらが、その後どうなったかは知る由もありません。

しかしこの神社では、地元の人々の厚い信仰心に支えられ、めでたく復活したのでしょう。
そのまま放っておかれたなら、孫の世代の頃にはすつかり忘れられ、ひょっとしたら単なる石材として破壊・運搬されて消滅していたかもしれません。あるいは忘れ去られた古い神として、妖怪扱いされていたか。

神社の磐座には、その信仰の起源が縄文時代や弥生時代に遡るものもあるとされます。
平成末まで信仰が続く日本の生きた遺跡として、それぞれのお社が地域で大切に守られることを切に願う次第です。


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(やはり、謎めいた巨石信仰の横には、清流がありました。)



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コメント

こんばんは

郡山市西田町の日吉神社のお話、興味深く読ませてもらいました。
当田村町も西田町とともに旧田村郡です。
旧田村郡には坂上田村麻呂にまつわる神話伝承があちこちにあります。
当守山にも田村神社(旧鎮守山泰平寺)があり、坂上田村麻呂公の座像がご神体として崇められています。
おそらく、征夷のために通った道筋がこの辺にあったのだと思います。
ちなみに三春の民具(同じ西田町内)、三春駒も田村麻呂公にまつわる説話があります。

Re: こんばんは

コメントありがとうございました。
雑な思い付きを書いているだけで、大変お恥ずかしい次第です。
それにしても、新幹線も高速道路もない時代に、京都から郡山周辺に軍隊が移動するだけでも気の遠くなるような話です。
権威と位はあっても、自分一人では何もできない朝廷の人々にとって、坂上田村麻呂という人物は何か不思議な力を持っていると感じられていたように思います。
またいい資料があればご教示ください。

話は変わりますが、かつて職場の中庭にイングリッシュガーデンを作ろうとしてました。
「そんなことしてるヒマがあったら仕事しろよ」と言われながら、ミニガーデンを作ったのです。
でも転勤後数年して見に行ったら、見事に崩壊してました。維持管理は難しいですね(^_^.)

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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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