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梅宮大社と『ジョーズ』と『パシフィック・ウォー』・この数奇な運命に驚きました!

ジョーズ』(Jaws)といえば、平和なビーチを襲う巨大人食い鮫の恐怖と、それに立ち向う人々を描いた有名な映画です。
スティーヴン・スピルバーグの名前を全世界に浸透させた作品としても知られます。


1996年、フロリダ州に住むハンター・スコットという12歳の少年が、この映画をテレビで見て、ひとつの興味を抱きました。

映画では、懸賞金目当てに鮫退治に乗り出した地元の荒くれ漁師サム・クイント(Sam Quint)は、太平洋戦争中に巡洋艦インディアナポリスに乗り組んでいたという設定です。
そしてこの軍艦は、終戦直前に日本海軍の潜水艦の魚雷攻撃で沈没し、漂流中に鮫の恐ろしさを知ったというのです。


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 (下は実際の救助シーン。いずれもウィキペディアより)



ハンター・スコット君は学校の課題のテーマとして、この事件に関するレポートを作成します。
そしてそれをきっかけに、驚くべき事実が明るみに出ました。それはまた、日本人にとっても衝撃の展開でした。

なぜならば、巡洋艦インディアナポリスは原子爆弾を極秘にテニアン島へ運んだ軍艦であり、帰路に沈没した責任を問われた艦長チャールズ・B・マクベイ3世は最後に自殺、そしてそれを撃沈した伊58潜水艦の艦長、橋本以行少佐は、信仰厚い梅宮大社の出だったからです。

運命の神が二人に与えた役割は、あまりに大きすぎました。
この二人の苦悩は、すべての日本人が知っておくべき歴史だろうと私は思います。


  ☆


「ハンター・スコット」という人名を検索すると、ウィキペディアの英語版には載っていました。
簡単な訳を付けます。

Hunter Alan Scott (born June 9, 1985) is best known for the research he did on the sinking of the USS Indianapolis as a sixth-grade student, which led to a United States Congressional investigation and exoneration for its captain.[1]

ハンター・アラン・スコット(1985年6月9日生まれ)は、アメリカ軍のインディアナポリスを6年生にして、米国議会の調査とその船長の証言を導いた研究で最もよく知られています。


さらに続けます。

Research into the USS Indianapolis sinking[edit]

As a 12-year old living in Pensacola, Florida, Hunter Scott created a National History Day project on the sinking of the USS Indianapolis, becoming interested in the subject after seeing it discussed in the film Jaws. Scott interviewed nearly 150 survivors of the Indianapolis sinking and reviewed 800 documents. The young man concluded that the ship's Captain Charles Butler McVay III, who had been blamed for the tragedy, was innocent.

USSインディアナポリスの沈没についての研究[編集]

ハンター・スコットは、フロリダ州ペンサコーラに住んでいた12歳の時に、USSインディアナポリスの沈没に関するナショナル・ヒストリー・デイ・プロジェクトを制作し、映画のジョーズで議論されたことを見てから興味を持った。 スコットはインディアナポリスの沈没の約150人の生存者にインタビューし、800件の文書を検討した。 この若者は、この悲劇の原因となった船長のチャールズ・バトラー・マクべイ3世は無実だと結論づけた。



sixth-grade studentとありますから、なんと小学校(elementary school)の六年生。
これにインディアナポリスの生存者らが協力し、最終的にはクリントン大統領をも動かす結果を生みました。

彼もまた、大きすぎる任務を神から与えられたのでしょうか。


  ☆


これらの話を知ったのは、ごく最近です。
ジェイコムの映画チャンネルで、『パシフィック・ウォー』という映画が何度も放映されていたのです。

インディアナポリスは、極秘任務のため駆逐艦の護衛もなく航行し、任務終了後の移動の途上で橋本艦長の伊58潜水艦の魚雷で撃沈されました。
救助到着までの数日間、乗員の大半は救命ボートもない状態で海上を漂うことになり、低温や飢え、そして海域に生息するサメの被害によって次々と亡くなり、生き残ったのは総員の3分の1以下にすぎませんでした。

1945年11月、マクベイ元艦長は軍法会議にかけられ、ジグザグ運動を怠り船を危険にさらしたとして有罪とされます。
アメリカ海軍自体の責任を、彼個人の責任にすり替えられたのです。

この裁判には橋本元艦長も日本から呼ばれ、マクベイ元艦長への有罪証言が期待されますが、
「ジグザグ運動をしていても撃沈できた」
と証言します。
つまり、マクベイ元艦長の責任ではないと明確に否定したのです。


映画では、法廷で
「ジグザグ航行していたら結果は違ったと思いますか?」と、被告のマクベイ元艦長の前で問われ、ほんの少し間をあけて
「ノー」
と明確に返答します。

そして
「至近距離でした。6本の魚雷から逃げ切れる見込みはなかった」
と話し終わると、マクベイ元艦長をじっとみつめ、わずかに首を縦に振ります。
駆逐艦の護衛もなく、たった一艦で危険海域を航行させられたマクベイ元艦長への、艦長同士にしかわからない究極の共感があったのでしょう。

ところがその証言を無視して、マクベイ元艦長は有罪となります。

アメリカは第二次世界大戦の戦闘で約700隻の艦艇を失いましたが、戦闘で撃沈された艦艇の艦長が軍法会議にかけられたのはマクベイ元艦長ただ一人でした。

映画では法廷でのシーンの後、裁判所の建物の外で、マクベイ元艦長と橋本元艦長が二人だけで話すシーンがあります。
こわばった顔の二人ですが、こんな会話が出てきます。

≪橋本元艦長≫
「日本ではありえないことだ。立場が逆でも、あなたが召喚されることはなかった。」
≪マクベイ元艦長≫
「回避策はあったのか?」

≪橋本元艦長≫
「あなたの艦は無防備で、我々が近くにいた。大日本帝国海軍の艦長として、敵を殺すのが任務だった。
だが人として・・・後悔している。」


≪マクベイ元艦長≫
「貨物の中身は およそ見当がついていた
私も任務を果たした。
・・・だが人として
まったく名誉など感じていない。」


≪橋本元艦長≫
「貨物の運搬を阻止していたら
結果は違っていただろう

今日かつての敵を許すことができた
いつの日にか
人として許し合えるだろう」


眼を潤ませたこの会話の後で、二人は互いに敬礼し、マクベイ元艦長は軍隊式の回れ右をして遠ざかります。
その後ろ姿に、橋本元艦長は深々と頭を下げます。

  
  ☆


有罪になったマクベイ元艦長は、死んだ乗組員の遺族に責められ続け、1968年に自宅でピストル自殺をしました。
映画では、自宅で軍服に着替え、直立姿勢でピストルを頭に当てるシーン。
続いてカメラは自宅全体をとらえ、乾いた銃声が響きます。


二人の最後の会話のシーンが事実であれば、橋本元艦長も
「原爆が運び込まれる前に撃沈していれば・・・」
という思いがあったのでしょう。

しかしたとえそうなっていたとしても、しばらくして再度原爆が運び込まれ、広島ではなく小倉が被爆した可能性が高くなります。
あるいは京都も、原爆投下の候補地でした。

また、インディアナポリス沈没時に一人でも米海軍の乗員を引き上げて尋問していれば、原爆投下前に原爆のことを大本営に連絡できたのではないか、そう悔やんでおられたそうです。


以下、映画の最終シーンです。

日本に戻った橋本中佐は 海軍から退役
その後 神職となった


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橋本元艦長は、昭和51年(1976年)から実家の梅宮大社で神職をされていたとききますから、背景はその庭園の池でしょうね。


さらに、1999年以降 橋本以行は
マクベイ艦長の名誉回復運動に協力



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2000年10月25日に他界した

その5日後
クリントン大統領により
マクベイ艦長の名誉回復が実現した



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  ☆


では、梅宮大社の写真です。


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庭園です。


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余談ですが
夕されば 門田の稲葉 おとづれて 蘆のまろやに 秋風ぞ吹く
(大納言経信)


この歌の舞台は梅津。
このころの様子を伝える建物が、これでしょうね。

  
  ☆


さて、橋本以行氏が宮司であった頃、私は梅宮大社のすぐ近くに住み、毎日のように横を通っていました。
そしてこんなシーンを想い出します。

ある大晦日の夜、めらめらと炎が上がる境内の焚火にあたっていた私と、その横のご神職。
あの方は、在りし日の橋本以行宮司だったのか・・・・。

すいません、近所の悪ガキとして、梅の宮さんに迷惑かけてました。
松尾さんの方がご利益あるわ、などと悪口も言ってました。
後々には、梅ノ宮神社バス停まで歩くのが面倒で、境内に無断駐車をして出かけたことがあります。

日米の国家に関わる、そんな重大な運命を背負って生きてきた方だとは露知らず・・・・


橋本宮司は生前
『日本軍は死ななくてもいいところで将兵を死なせてきた』
と話しておられたそうです。重い言葉です。
そして橋本艦長の直接の部下は、誰一人死なずに終戦を迎えたとか。

この方は、郷土の誇りです。


それにしても、この重い重い歴史を調べ直し、アメリカ海軍の隠蔽工作を世に問い、マクベイ艦長の名誉回復をもたらす契機になったのが小学六年生とは。
キリスト教の神か神道の神かはともかく、なにか見えざる神の手が働いていたとしか思えない、そんな不思議な話でした。


これらの件については、おいおい調べて、分かったことがあれば改めて報告します。


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コメント

No title

こんばんは
第二次大戦中にそのような出来事があったのですね。
私、全く知りませんでした、勉強になりますm(__)m
梅宮大社は未訪問ですから、これは是非行かなければなりませんね。
橋本元艦長と小学6年生は、直接会う機会があったのでしょうか。
興味は尽きません・・続編もお願いしますね。

Re: No title

オトーサン 様

いや、恥ずかしながらこの私も、ごく最近まで全く知りませんでした。
映画の登場人物をたまたま検索したら、梅宮大社という文字があって、大変驚いた次第です。
灯台もと暗し、自分の周りの神社仏閣をなおざりにして、遠いところばかり行っていてはだめだなと痛感しました。
また何か情報を得ましたら、すぐ続編を書きますので、よろしくお願いいたします。

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sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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