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土佐神社の圧倒的な伝統美に隠された十字架

Tosa shrine in Kochi City, Kochi Prefecture is a shrine created in the 5th century.
The old and beautiful tree building is in the form of a cross.

高知県高知市一宮しなねに鎮座する、土佐一ノ宮『土佐神社』は、5世紀の創建と伝わる古社です。
広大な境内の中に、美しくも厳粛な木の社殿がありました。

もちろんどこでもほとんどの社殿は木製でしょうが、土佐神社の木が発する、神さびたご神威は圧倒的です。

では、日本の木造伝統美の極致をご覧ください。


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これは、輪抜け祓所です。茅の輪潜りと同じ原理ですね。


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さて、土佐神社のホームページには、社殿についてこう書かれています。


元亀元(1570)年長宗我部元親公の再建御建立の現社殿(国重文)は入母屋造りの前面に向拝を付けた本殿とその前方の十字形をなす幣殿、拝殿、左右の翼、拝の出からなります。十字形の屋根は交差した部分が重層切妻であり、他は単層切妻です。弊殿を頭とし、尾に相当する拝の出を長くした十字形で、本殿に向かってとんぼが飛び込む形にみたてたいわゆる入蜻蛉形式で、凱旋を報告する社という意味があると言われています。

ここには、十字形という言葉が3回も出てきます。少々くどいくらいです。

ひょっとすると、なにか隠された意味があるのではないか・・・・

境内の説明版には、なぜか十字形に白枠がついています。


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次は、上空写真。


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十字架の分岐部分にあたる社殿です。


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普通の神社と違って、かなり十字形の要素があります。

土佐神社と十字形、何か隠された関係があるのでしょうか?


  ☆



現在の社殿は、長宗我部元親が再興したものです。


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では長宗我部家とは、どういう家系なのでしょうか。

平安時代末期、信濃・秦氏の一族である秦能俊が、土佐国長岡郡宗部郷(宗我部郷)の地頭として赴任し、長宗我部能俊(ちょうそかべよしとし)と称したのが、長宗我部家の始まりなのです。

もともとは「宗我部」と称しましたが、香美郡宗我部郷の豪族も宗我部氏と称したため、お互いに区別する為、郡名の頭文字を取り「長宗我部」「香宗我部」と名乗るようになったと伝わります。

長宗我部元親を祀っている土佐・長浜城下にある神社も「秦神社」という名前です。

つまり長宗我部氏は、あの謎めいた一族である秦氏の出自だったのです・・・・・


  ☆


江戸時代の人物、松浦静山は、多胡碑(群馬県)において十字架と、「J N R I」の文字が発見されたことを述べています。
この「JNRI」は、ラテン語のJesus Nazarenus, Rex Iudaeorumの頭文字、すなわち「ユダヤ人の王ナザレのイエス」を表します。

私がかつて持っていたインテリアグッズとしての十字架にも、イエスの頭の上に「JNRI」と同じ意味の「INRI」という文字が付けられていました。きわめて大切な言葉です。


奈良の正倉院に残る掛布屏風袋の銘文に、
上野国多胡郡 山部郷戸主秦人」という記述があり、多胡地域に秦氏が居住していたことが分かります。

言うまでもなく、秦氏は古代東方キリスト教徒あるいは景教徒(ネストリウス派キリスト教徒)だとする見解が広く知られています。

中国では石窟寺院から仏教経典と共に景教聖書が発見され、韓国では景教の十字架が慶州の仏国寺で発見されるなど、キリスト教と仏教の「神仏混淆」が東アジアにありました。

ならば、日本にだけは神社仏閣と原始キリスト教との習合はなかったと考える方に無理があります。


現代日本にも、「ハタ」という発音の漢字がつく名字をもち、「秦氏」の末裔としてひそかに先祖の研究をされている方が結構いらっしゃいます。
私の知人の中にも、昔から秦の始皇帝やイスラエルの失われた10支族に興味を持っている「ハタ」君がいました。

源平藤橘であろうと秦氏であろうと、みずからのルーツに誇りと知的好奇心を抱く方は多いはずです。
長宗我部元親は、宣教師への支援を約束していたと言いますが、それははるか昔の祖先とキリスト教の関係があっての行動だったかもしれません。

むろん同じ秦氏を先祖とする島津家や、長宗我部氏に干されてキリシタンになった一条兼定との微妙な関係もあります。

しかし私は、多少の無理を承知で思うのです。

長宗我部元親は、土佐神社の社殿の配置に、「天にまします我らが父」から見える巨大な十字架を隠したのではないかと。


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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