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宇佐神宮・石清水八幡宮・鶴岡八幡宮と猿田彦の不思議な関係を発見!

男山の石清水八幡宮は、貞観元年(859年)に南都大安寺の僧行教が豊前国の宇佐神宮にて受けた
「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」
との神託により、翌貞観2年(860年)清和天皇が社殿を造営したのが創建とされます。


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つまり、石清水八幡宮の神様は宇佐神宮の神様の分霊です。

その石清水八幡宮がある男山の山麓に、猿田彦神社があり、二つの磐座(夫婦岩)がありました。

まず左の磐座。

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右側、丘の上の磐座。


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このお社の由来については、

八幡大神が男山に登られる際に山崎の地にて一夜御休憩された。
翌朝山崎を出発され、猿田彦神がお伴をして大神を男山の峰にご案内申し上げた。
その出迎えの場所が現在の猿田彦神社であり、そこに猿田彦を祀る神社が建設された。


と書かれています。


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山崎云々というのは、離宮八幡宮の伝承が入っているのでしょう。

八幡大神の分霊を携えた神職一行が、はるばる宇佐から来て、最後に対岸の山崎で一泊したという歴史的事実の反映だと思います。
しかし案内するなら淀川の岸辺で待てばいいものを、かつては鬱蒼たる森林に囲まれていたであろう男山の中腹で待つのは、いかにも中途半端です。

峰の山頂部に磐座まで据えられている以上、この土地には何か意味があったはずだと思います。



それで、少し思うところがあり、地図上に線を引いてみました。


まず石清水八幡宮のご神域は、男山の山上台地一帯、神馬舎から若宮宮まで南北に300mくらいあります。


一方の宇佐地域は、現在の宇佐神宮社地とその奥宮とされる御許山山頂の大元神社、さらにどちらにも共通する三女神社にポイントを打ちました。






右端の石清水八幡周辺を、大きく拡大してご覧ください。

猿田彦神社がほぼライン上に乗ってくるのです。

余談ですが、たまに出雲へ出張される以外、神様は本殿の中にずっとおられる・・・・
などというのは後世的な考え方です。

かつて、神は移動する存在でした。神社の祭礼で神輿という乗り物が必要なのは、神は移動する存在であった名残りともいえます。
そして神がA地点からB地点へ移動する際、両地点を結ぶ直線上に休憩所や御旅所など由来のある場所が位置するのは、ごく普通に見られる現象です。

日本の古い信仰では、神は休憩しながらも直線上をまっすぐ移動します。飛行機は下界に山があろうと川があろうと、当然ながらまっすぐ飛びます。虚空を移動する神霊も同じというわけですね。

しかし、八幡大神と猿田彦との関係は全く不明です。宇佐八幡でも石清水八幡でも、ホームページには書いてありません。
男山山麓の猿田彦神社が、我田引水で勝手にそう主張しているだけで、位置はたまたま線上だったのでしょうか。


  ☆


実は八幡神と猿田彦の関係は、宇佐神宮の御神幸祭にありました。

上宮での祭典の後、ご神体が三基の神輿に乗り境内の頓宮までご神幸になるのですが、行列の先頭は猿田彦なのです。
その背後に蝶・鳥・駒(小学生奉仕)の美しい衣装を付けた前陣と、一文字笠に裃(はかま)を着けた供廻の人達と続き、宮司は輿に乗り、道ばやしの太鼓や笛を打鳴しながら300余人が神輿のお供をします。

猿田彦が祭礼の行列の先頭を歩くというのは、決してそう珍しいことではありません。祭りも盛大になるので、他所でもやっているからと付け加えた神社もあるでしょう。しかし宇佐神宮は、日本の神社の始原に関わる古い古い伝統を持つお社です。思いつきで本来無関係な猿田彦を付け加えるようなところではありません。

宇佐神宮の御神幸祭では八幡大神の先頭を歩き、石清水八幡の分霊には途中から案内をする・・・・

これだけなら、単なる偶然かもしれません。

しかし、それだけではなかったのです。


宇佐神宮、石清水八幡宮とともに、日本三大八幡宮のひとつとされる鎌倉の鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮のホームページには、こう書かれています。

当宮は康平6年(1063)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりです。

その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝公は、治承4年(1180)鎌倉に入るや直ちに御神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地にお遷しし、 建久2年(1191)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としました。
また、頼朝公は流鏑馬や相撲、舞楽など、今日にも引き継がれる社頭での神事や行事を興し、 関東の総鎮守として当宮に厚い崇敬の誠を寄せたのです。
以降、当宮は武家の精神のよりどころとなり、国家鎮護の神としての信仰は全国に広まりました。



つまり、社会科の教科書にも登場する鶴岡八幡宮は、石清水八幡宮の分霊なのです。分霊の分霊ですから、宇佐神宮の孫にあたるのかな?


では、先ほどと同じように、石清水八幡宮と鶴岡八幡宮(現社地と元宮の二つ)を直線で結びます。




ラインの中につけたポイントは、三重県鈴鹿市山本町の椿大神社です。

現社殿と奥宮の二箇所にポイントを付けていますが、その内側を石清水―鶴岡ラインが
通っているのです。


椿大神社のホームページには、こうあります。

伊勢国鈴鹿山系の中央麓に鎮座する椿大神社は、往古神代、高山入道ヶ嶽、短山椿ヶ嶽を天然の社として、高山生活を営まれた国つ神「猿田彦大神」を主神とし、相殿に皇孫「瓊々杵尊」、「栲幡千々姫命」を、配祀に「天之鈿女命」、「木花咲耶姫命」を祀っています。

猿田彦大神は、天孫 瓊々杵尊降臨の際、天の八衢に「道別の大神」として出迎え、高千穂の峯に御先導申し上げます。そのことより、肇国の礎を成した大神として、人皇第十一代垂仁天皇の二十七年秋(西暦紀元前三年)、倭姫命の御神託により、この地に「道別大神の社」として社殿が奉斎された日本最古の神社です。

仁徳天皇の御代、御霊夢により「椿」の字をもって社名とされ、現在に及んでいます。
また、猿田彦大神を祀る全国二千余社の本宮として、「地祇猿田彦大本宮」と尊称されています。


この椿大神社の磐座(仏岩)の写真を、磐座研究家のAlice様よりお借りしました。
日本でも最大規模の壮大な磐座です。


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土台石の左下に、楕円形の白い部分がありますが、おそらく全体の形を整えるために削ったものと思います。
また、このすぐ近くには、こんな巨石群もあります。

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同じ花崗岩の風化が、なぜこうも違う形状で現れるのか、不思議としかいいようがありません。

謎と神秘の椿大神社でした。

 
 ☆


宇佐神宮の元宮とされる大元神社は、比賣大神三柱が降臨された三個の大岩を祀ります。
しかしその神域は有刺鉄線に囲まれた禁足地で、さすがのネット映像にも出てきません。
まったく謎のベールに包まれた、原始神道の聖域です。

また石清水八幡にもあった安心院の三女神社には、以前にも参考映像で出しましたが、不思議な岩が無造作に集められています。

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それぞれがどんな意味を持ち、どんな祀られ方をしていたのか、いつの時代から存在するのか、全く不明です。
縄文時代からの伝統があるのか、それとも卑弥呼との関連があるのか、謎とロマンのお社です。

宇佐の大元神社、三女神社、鈴鹿の椿大神社は、いずれも今日の一般的な神社信仰とは違う、神社の始原に関わる極めて貴重なお社です。

  ☆

宇佐や八幡神の信仰内容は複雑で諸説あります。
また猿田彦についても、後世付加されたさまざまな性格や側面がありますが、神話学者の松前健先生は「原始的な男性太陽神」だとされました。

夫婦岩といえば二見興玉神社が有名ですが、これは海中に沈む猿田彦大御神の興玉神石と、日の大神(夏至の頃の日の出)を拝する鳥居の役割を果たしています。

男山の猿田彦神社の夫婦岩も、これにちなんで名づけられたなら、やはり夏至の太陽に関係する太陽神的性格を有する神なのでしょう。

もしかすると八幡信仰を奉じる勢力が東へ進む途中、土着の太陽神である猿田彦大神を勢力下におさめ、味方にしたことを暗示するのが、宇佐から鎌倉へ至る八幡ラインの本質かもしれません。


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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