不治の病に効く「水の大師」の霊水と阪神淡路大震災
- 2018/06/12
- 17:40
「06/05:岩戸神社の洞窟・朽ち果てた祠と龍の悲しみ」の記事は、このブログ始まって以来かと思うほど多くの皆様に読んでいただき、本当にありがとうございました。
上記の記事は、国道を走っていて偶然見つけたのです。ところが、その近くでもう一ヶ所、偶然見つけて車を降りた場所があります。
それが、「水の大師」なのです。(洲本市中川原町厚浜)
ここには、弘法大師が、地に杖をついて水を湧かせたという伝説が伝わっています。そして、弘法大師が海に張り出た岩に彫ったとされる仏像が祀られています。
ちなみに出エジプト記には、イスラエルの民が水を求めた時、モーゼが杖で岩を打つと、そこから水が湧きだしたと記されています。
でも「すわ、淡路島と古代ユダヤとの関連!」と言うわけではありません。
弘法大師が杖を突いて湧き出したという「弘法清水」の伝説は、それこそ日本中にあり、淡路島だけではないからです。
ではまず、弘法大師が彫ったとされる仏像を訪ねて、海岸に降ります。


降りた先は、ここです。


これがその仏像のようです。



全容を写すために、外側の岩に移ります。

振り返ると、こんな景色。


それにしても、なかなか美しく荒々しい海岸です。

じつはここ、江戸時代から知られた景勝地で、洲本八景にも選ばれています。
下の絵図が、昔の様子です。
![106-d02-m[1]](https://blog-imgs-117.fc2.com/s/a/z/sazanami217/20180612171317311.jpg)
船の上から見れば、この巨大な岩塊の岬はかなり目立ったでしょうね。神仏のおわす場所と思われていた可能性もあります。
そして、その岩の根元から、豊富な霊水が湧きだし、建物も付随していたようですね。
ところが近世、国道の拡張工事の影響か、霊水の湧出量が減ったらしいのです。
それでも不治の病に効く霊水として、遠方からも水を汲みにくる人が絶えませんでした。


この大師像の横にある建物は一部しか写っていませんが、結構広くて駐車場もあり、かつて食堂や土産物店、さらには水の大師荘という宿泊施設まであったそうです。
ところが今はどうなったのか。
私たちが最近訪ねた時には、すでに建物はすべて閉じられ、ひっそりとしていました。それどころか、廃墟探険ブログにここが出てくるぐらいなのです。
不治の病に効く霊水なのに、なぜ閉鎖?
・・・・・実は、阪神淡路大震災で、水が出なくなったのです。
阪神淡路大震災という名前は、阪神間だけでなく淡路島北部も甚大な被害を受けたために名づけられました。ここでは、地下水の流路が塞がってしまったのですね。
今ではもう、大師堂が奥にひっそりとたたずんでいるばかり。

不治の病に効く霊水・・・いったいどんな水だったのでしょう。飲みたかったなあ。
調べてみると、
「地下水学会誌 第36巻第4号」に、淡路島13箇所の湧水や井戸の水質分析表がありました。
それを見ると、「水の大師」の霊水は、pHが二番目に高く、同じアルカリ質の湧水の中では最も水温が高いなどの特徴がありました。電導度、硬度、その他微量成分もそれぞれの水で大きく異なっています。同じ淡路島にあるからと言って、同じような成分だというわけではないようです。
やはり病気を治すような成分がふくまれていたのでしょうか。
もう霊水は出なくなりましたが、海の景勝地として、そして弘法大師伝説の地として、確かな存在感のある岬でした。

家計と休日予定を何とかやり繰りし、各地を回っております。ネタも少なくなり、先行きが不安ですが、それぞれクリックしていただくとネタ集めの励みになりますのでよろしくお願いいたします。

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それが、「水の大師」なのです。(洲本市中川原町厚浜)
ここには、弘法大師が、地に杖をついて水を湧かせたという伝説が伝わっています。そして、弘法大師が海に張り出た岩に彫ったとされる仏像が祀られています。
ちなみに出エジプト記には、イスラエルの民が水を求めた時、モーゼが杖で岩を打つと、そこから水が湧きだしたと記されています。
でも「すわ、淡路島と古代ユダヤとの関連!」と言うわけではありません。
弘法大師が杖を突いて湧き出したという「弘法清水」の伝説は、それこそ日本中にあり、淡路島だけではないからです。
ではまず、弘法大師が彫ったとされる仏像を訪ねて、海岸に降ります。


降りた先は、ここです。


これがその仏像のようです。



全容を写すために、外側の岩に移ります。

振り返ると、こんな景色。


それにしても、なかなか美しく荒々しい海岸です。

じつはここ、江戸時代から知られた景勝地で、洲本八景にも選ばれています。
下の絵図が、昔の様子です。
![106-d02-m[1]](https://blog-imgs-117.fc2.com/s/a/z/sazanami217/20180612171317311.jpg)
船の上から見れば、この巨大な岩塊の岬はかなり目立ったでしょうね。神仏のおわす場所と思われていた可能性もあります。
そして、その岩の根元から、豊富な霊水が湧きだし、建物も付随していたようですね。
ところが近世、国道の拡張工事の影響か、霊水の湧出量が減ったらしいのです。
それでも不治の病に効く霊水として、遠方からも水を汲みにくる人が絶えませんでした。


この大師像の横にある建物は一部しか写っていませんが、結構広くて駐車場もあり、かつて食堂や土産物店、さらには水の大師荘という宿泊施設まであったそうです。
ところが今はどうなったのか。
私たちが最近訪ねた時には、すでに建物はすべて閉じられ、ひっそりとしていました。それどころか、廃墟探険ブログにここが出てくるぐらいなのです。
不治の病に効く霊水なのに、なぜ閉鎖?
・・・・・実は、阪神淡路大震災で、水が出なくなったのです。
阪神淡路大震災という名前は、阪神間だけでなく淡路島北部も甚大な被害を受けたために名づけられました。ここでは、地下水の流路が塞がってしまったのですね。
今ではもう、大師堂が奥にひっそりとたたずんでいるばかり。

不治の病に効く霊水・・・いったいどんな水だったのでしょう。飲みたかったなあ。
調べてみると、
「地下水学会誌 第36巻第4号」に、淡路島13箇所の湧水や井戸の水質分析表がありました。
それを見ると、「水の大師」の霊水は、pHが二番目に高く、同じアルカリ質の湧水の中では最も水温が高いなどの特徴がありました。電導度、硬度、その他微量成分もそれぞれの水で大きく異なっています。同じ淡路島にあるからと言って、同じような成分だというわけではないようです。
やはり病気を治すような成分がふくまれていたのでしょうか。
もう霊水は出なくなりましたが、海の景勝地として、そして弘法大師伝説の地として、確かな存在感のある岬でした。

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