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立石大明神と御座浦石仏地蔵尊・海に沈む神仏の霊威

リアス式海岸で有名な英虞湾の中央部、志摩市阿児町立神の立石浦。

高さ2mと0.6m程度の夫婦岩が立石大明神として祀られています。

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満潮時には小さい方の石は海に沈んでしまうのですが、この時は干潮でした。


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下までよく見えますね。露岩ではなく、人為的に置いたようです。
この岩が自分でここまで移動してきたという伝説も、なんとなく納得できる雰囲気ですね。

この海は、川か湖のように穏やかです。荒々しい波はほとんどないでしょう。
置いただけでも、倒れたり、波にさらわれたりはなさそうです。


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この説明版を読むと、謎の「瀬織津姫」も登場。罪や穢れを払うには完璧ですね。さらに倭姫やウガヤフキアエズ命も登場するため、いろいろとご神威がありそうです。

陸側から見ると、しっかりとお社の様相でした。


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歳の暮れには大石に掛けられている大注連縄が掛け替えられます。
1年間大石に掛けられていた古い注連縄はご利益があるといわれ、1センチ程度の小束にまとめられたその小束は「かざぼ」といって、擦ることで皮膚病に効果があるといわれています。

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  ☆


同じ志摩町の海岸にもう一つ。

御座浦石仏地蔵尊も海中に祀られ、潮の干満によって現われたり消えたりすることから「潮仏」と呼ばれています。


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腰から下の病に苦しむ人、子供を授かりたい人、安産を祈る人、人それぞれの願をかけて日参する人が多いとか。


背後の岩礁には、鳥居があります。

ここも海の神が依り付く場所なのでしょう。


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干潮時、特に大潮の時には完全に沈んでしまう岩というのも、神威の賦活など特別の意味があるのだと思います。


下は、和歌山県すさみ町の「恋人岬」です。

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恋人岬と黒島の間の狭くて浅い海峡に、東西から打ち寄せる波が寄り添う姿に見え、「婦夫波」と呼ばれます。
あるいは、波がぶつかりあって高く立つことから別名「合掌波」ともいわれ、「和歌山の親しめる水辺66」にも選ばれています。

ここもまた、浅瀬のため潮の干満で波の様相が変わり、満潮時には波が消えたりします。
小豆島の「エンジェルロード」などと原理は同じです。

民俗学的には、海中と陸上の境界に限らず、ボーダー上に存在するものは「畏怖すべき特別のもの」として認識されてきました。

余談になりますが、中世には日本の多くの職能民が大小さまざまな差別を受けてきました。川の渡し船にかかわる「渡し守」も少し差別を受けていたそうです。殺生禁断の時代に動物を殺める仕事をしていたから「悪人」扱いされ、「いわんや悪人をや」で救われたというのなら理屈として理解できますが、なぜ「渡し守」が差別されなければならなかったのか。

そのキーワードは、「ボーダー」「あいまい」という言葉だという、人権関係の研究家が結構いらっしゃいます。
境界線をつなぐ仕事で、陸と水の境界線もあるからでしょうか。
ところが驚いたことに、西洋中世史の中で、ドイツなどのヨーロッパでも、この仕事は差別されていたという記述を目にしたことがあります。
渡し守という仕事は、身分の高低や殺生とかではなく、ボーダーを行き来する畏怖すべき存在というのが、「おれたち普通の農民とは違うスジ」として遠ざけられたのかもしれません。

また中世日本においては、「逢魔が時(おうまがとき)」は「逢魔時」「逢魔が刻」「大禍時」とも言われ、ただの夕方にもかかわらず、特別の恐ろしい時間帯でした。それは、この時間は夜と昼のボーダーだったからです。

  ☆

話が脱線しましたが、少なくとも陸と海の境界線にあり、沈んだり現れたりする神仏の依り代は、ずっと陸上にあるものや、ずっと海中にあるものに比べて、特別の畏怖感や土俗的霊威が感じられていた可能性は高いと思います。

月二回、新月と満月の日は大潮です。沖遠くまで潮が引き、老人や子どもでも、潮だまりの大きな魚や海藻、おいしい貝などを得ることができます。船着き場の波も穏やかです。
かつて月はカレンダーでした。これは太陽暦で暮らす現代の都会人には理解できない世界です。


全国津々浦々、海岸沿いには信仰の跡がたくさん存在しています。人も文化も信仰も、海という大動脈、海という表玄関から入ってくるということなのでしょうか。そしてその文化が、月の神を大切にする信仰であったことが、ほんの少し理解できるような海際の神仏でした。


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sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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