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紫雲出山と浦島太郎・瀬戸内一の美ここにあり

香川県の荘内半島には、浦島伝説の地がいたるところにあります。その一つである「紫雲出山」は、浦島太郎が玉手箱を開け、出た白煙が紫色の雲になって山にたなびいたという伝説が知られています。

下は、昨日記事にした、「箱崎の蛭子宮」で見つけた磐座です。

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その蛭子宮がある岬の写真を撮ったのが、紫雲出山からでした。



この紫雲出山山頂には、約2000年前の弥生時代中期、当時の人々が集落を作った跡が発見されています。
1947年、郷土史家の前田雄三氏により発見されたこの遺跡は、小林行雄京都大学教授の監修を受けて発掘調査が進められ、弥生時代中期後半の高地性集落遺跡であることが分かりました。


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この遺跡の出土遺物の種類は、普通の集落跡における一般的なものがそろっており、防砦・見張台・烽台(のろしだい)というようなもののみによって成り立っている特殊な遺跡ではなく、軍事的・防御的性格を帯びた集落遺跡と考えられています。

しかし、農業に使う水どころか、生活用水さえ皆無の頂上に、「軍事的・防御的性格を帯びた」とはいえ、一般的な集落が営まれるとはとても思えません。

私が気になったのは、頂上一帯に、特殊な形状の岩石がたくさんあることです。


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これらの岩が山頂に散乱する様子は、奈良の三輪山等で見られる、奥津磐座を彷彿とさせます。確たる証拠はありませんが、ここは軍事的かつ祭祀的遺跡ではないのでしょうか。


いわゆる「神籠石」には、霊域説か城郭説かという論争がありました。
それについて

井関三神社奥宮・神籠石とタケミカヅチとニギハヤヒ 2017/12/26

において、沖縄の「グスク論争」をも踏まえながらこう書きました

そもそも霊域説か城郭説かという二者択一の発想が根本的な誤りです。近代的なビルの屋上に、昔ながらの赤い鳥居とお稲荷さんが祀られている光景はよくあります。だからと言って、その企業は宗教関係だというわけではありません。

一般に、古代にさかのぼるほど宗教色が強くなるのであれば、「お城」という「社屋」にかなりの規模の「屋上神社」が祀られていたところで不思議はありません。卑弥呼の昔から、守護神や先祖霊などの助けなしに戦いに勝つと信じていた指導者は、ほぼ皆無だったと思います。現在の「受験戦争」でも、天神さんや氏神さんのお守りなしで「戦い」に臨むのは少数派だと思いますから。

結局問題は、山城において領土防衛(拡大)のためにする活動で、軍事活動と宗教活動との比率をどう見るかでしょう。



私は特に井沢元彦ファンというわけではありませんが、井沢氏の日本史学界における「宗教的視点の軽視や欠如」という批判は至極もっともだと思います。

「私はタタリや怨念などという非科学的なものを信じない。したがって長岡京や平安京と怨念やタタリの関係についても認めない。」という歴史学者の態度を痛烈に批判されています。

確かに、西洋史はキリスト教の知識なしでは読み解けませんから、「私は現在クリスチャンではないから、西洋史におけるキリスト教の関与は認めません。」などという態度はありえません。ところがそれに似た態度が日本史に関してはあると思います。

いったい何が言いたいかと言うと、古代であれ中世であれ、山城には軍事機能と宗教機能の両方があったということです。神体山の研究をしていると、頂上に残る磐座などの信仰遺跡と、山城が同居複合している事実があまりに多いことに気づきます。


元の浦島太郎の話に戻りますが、蛭子宮裏の磐座同様、紫雲出山山頂の岩石群は磐座であり、その宗教性が浦島太郎伝説形成の土台となったのではないかと思う次第です。(しかしまあ、地域振興や町おこしのために、浦島太郎伝説をオーバーに取り上げるというのはあると思いますが。)

これは、紫雲出山にある、竜宮ならぬ「竜神社」の標示です。
いつごろからの信仰かはわかりませんが、この山に竜の信仰があったことは確かです。

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この山や御崎の先端に、常世などからやってくる神霊が依り付くという古い信仰が、浦島太郎伝説を根付かせる精神的土台のひとつだったのではないか、そんな気がします


 ☆


さて、下の看板。

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瀬戸内一の美ここにあり」と書かれています。

ではその美しい景色とは?


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ところが、快晴の日にもかかわらず、ある方向だけは、まるで曇天の夕暮れのような景色が・・・・


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不思議な景色でした。まるで雨がやんだ夕暮れのような、幻想的な雰囲気なのです。雨雲ではありません。
快晴の日に、なぜこんな現象が起こるのでしょうか?
海水温と気温の差で局所的に霧が発生しているとしか思えませんが、神秘的でした。。

昔の人なら、龍神様にかかわる現象と思ったかも・・・
そしてやはりこの山は、神霊の依りくる特別の山だという観念を増幅したかもしれません。


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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