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蛇塚古墳・太秦の住宅密集地に巨大な石室が!  (Megalithic tomb)

下は、飛鳥の「石舞台古墳」です。

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これに匹敵するくらいの巨大な石室が、京都の太秦にありました。
所在地は、京都市右京区太秦面影町。ここは京都府下で最大規模の後期古墳で、巨石を用いた横穴式石室がむき出しになっています。


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ここが石舞台といちばん違うのは、住宅街の真っただ中という、異様な立地です。


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面影町(おもかげちょう)という、とてもロマンチックな名前なのに、なんでこんなにぎっしり住宅で囲まれているのか、実に不思議ですね。

これだけの規模の石室なら、駐車場があってもいいのですが、道も狭くて短時間の迷惑駐車をするのがせいぜいです。

実はこの面影町に、私の友達の家がありました。それでよく知っているのですが、もともとは田んぼの中にぽつんと巨石が立っていました。フェンスも支柱もなく、勝手に入り放題。たしか藁が少し敷いてあった記憶があります。

ところがいつの間にか、周囲にぎっしりと建売住宅が建ちます。昭和の時代らしく、一軒あたりが今よりもっと狭くて同じ大きさの二階建てでした。地元高校の日本史のA先生が、

「貴重な遺跡が乱開発で潰されている」

と授業で危機感を露わにされていたことを思い出します。

当時、坂口安吾の「堕落論」に影響されていた私は、

戦後の庶民の夢は、「どんなに狭くてもいいから、トイレと風呂(ついでにテレビ・洗濯機・冷蔵庫)のある持家に住みたい」なのだ。昔の権力者のぜいたくな墓の周りに小さな住宅が所狭しと建っても、それは昭和という時代の新たな文化であり、誇るべき遺産である。たった一人の単なる墓である蛇塚古墳がなくなったところで、何も困らない・・・・などと小生意気な論評を書き、その先生から苦言を呈されることに。


まあそんな個人の思い出はともかく、この古墳のスペックを書きます。

蛇塚古墳は、前方部を西南方に向けた全長約75mの前方後円墳と推定されており、羨道を含めた石室の全長は17.8m、玄室は奥行き6.8m、幅3.8m、高さ5mを超えるという巨大さです。

1920年(大正9)ごろまでは墳丘の一部を残していたものの、現在は石室だけになり、周囲は厳重なフェンスが設けられています。築造時期は6世紀末から7世紀初頭頃とされ、嵯峨野一帯を開発した秦氏の首長墓と推測されます。
一説に、秦氏最盛期の首長である秦河勝の墓ではないかとも。

なお「蛇塚」という名は、古来よりこの玄室に多くの蛇が住んでいたという言い伝えから来ているそうです。(私が最初に行った時は、蛇なんかいなかったぞ!)

また後年、おしげという名の女賊がこの蛇塚を根城にし、三条通り(さんじょうどおり)を行く旅人を狙って追い剥ぎをしていたという伝説も残されているそうです。(そんな話、太秦小学校の子も知らなかったぞ!)





太秦映画村や広隆寺に来られたら、嵐電「帷子ノ辻駅(かたびらのつじえき)」から、のんびり徒歩でお越しください。
三条通りを渡って斜め左へ続く通りは「大映通り」です。ここは庶民の商店街で、昭和の映画スターが、時代劇の恰好のまま市場で買い物をしていました。

なお、事前連絡で石室内部見学可です。


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sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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