安達ケ原鬼婆伝説の「笠石」と長命寺の「六所権現影向石」
- 2018/03/31
- 16:08
昨日は、福島県二本松市、安達ケ原の鬼婆伝説にかかわる巨大な岩屋をテーマにしました。


これと同じカテゴリーではないかと思える巨石が、滋賀県近江八幡市の長命寺にあります。
「六所権現影向石」と呼ばれる不思議な岩組みです。

![img_1[1]](https://blog-imgs-120.fc2.com/s/a/z/sazanami217/20180331153647998.jpg)

「六所権現影向石」は、本堂の背面の斜面にあり、巨岩の庇が本堂屋根に覆い被さるように突き出ています。大震災にも耐えた鬼婆伝説の岩屋同様、崩れ落ちないのが不思議です。
この岩は「天地四方を照らす岩」といわれ、長命寺を開闢したと言われる武内宿禰が、この岩に長寿を祈願しました。すると360才まで長生きすることができたとされ、長命寺の寺名の由来ともなった岩です。
ウィキペディアにも
本堂裏の「六所権現影向石」をはじめ、境内各所に巨岩が露出しており、かつての巨石信仰の名残と考えられている。
とあります。
私は、この岩が本堂の背後にあることから考えても、「六所権現影向石」こそが長命寺でもっとも神聖な岩であり、ここから始まった古代巨石信仰が、武内宿禰を介して後世仏教系に引き継がれたものと思います。
また背後に続く津田山には、『古事記』で天地開闢の際に高天原に最初に出現した神とされる「天之御中主大神」を祀る大きな磐座があります。
この神名は、天(高天原)の中央に座する主宰神という意味で、宇宙の根源の神であり、宇宙そのものであるともされます。つまり、起源の極めて古い神であり、かつては神々の中でも最高クラスだったことが分かります。
長命寺山と津田山の山塊は、遠くから見るときれいな三角形が重なる不思議な景色です。かつては琵琶湖の中の島であり、おそらくは神奈備が連なる聖なる地として古くから意識されていたのではないでしょうか。
長命寺の「六所権現影向石」と観世寺の「笠岩」。
どちらもお寺にありながら、古代巨石信仰の伝統を引き継いでいると思います。そして本堂や観音堂という重要な建物の背後にあって、巨岩が張り出した大きな庇という特色も同じです。


下は、佐世保市の「岩下洞窟」です。


発掘調査では、縄文早期~前期の生活面および旧石器時代、縄文中期~後期、弥生時代、古墳時代の遺物が出土しました。 縄文早期から頭や胸位に石を乗せた埋葬人骨や磨製石器を副葬した埋葬人骨など20 体を超える埋葬人骨が確認されています。
巨岩の庇が、単に雨除け程度の意味ではなく、古代の信仰上、何らかの重要性を付与されていたのではないか。そのため「岩下洞窟」では天井を打ち欠き、長命寺の「六所権現影向石」と観世寺の「笠岩」では人工的に天井石を載せて、岩屋根のある聖地としたのではなかったのでしょうか。
いずれにしろ確実な物証もないため、単なる推測にすぎません。しかし実際にそれぞれの場所に行き、そこで感じたことをまとめれば、「石の庇(屋根)」は単なる雨よけや日よけとは思えないのです。おそらくは、聖地としてのシンボルのように思えます。
家計と休日予定を何とかやり繰りし、各地を回っております。ネタも少なくなり、先行きが不安ですが、それぞれクリックしていただくとネタ集めの励みになりますのでよろしくお願いいたします。

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これと同じカテゴリーではないかと思える巨石が、滋賀県近江八幡市の長命寺にあります。
「六所権現影向石」と呼ばれる不思議な岩組みです。

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「六所権現影向石」は、本堂の背面の斜面にあり、巨岩の庇が本堂屋根に覆い被さるように突き出ています。大震災にも耐えた鬼婆伝説の岩屋同様、崩れ落ちないのが不思議です。
この岩は「天地四方を照らす岩」といわれ、長命寺を開闢したと言われる武内宿禰が、この岩に長寿を祈願しました。すると360才まで長生きすることができたとされ、長命寺の寺名の由来ともなった岩です。
ウィキペディアにも
本堂裏の「六所権現影向石」をはじめ、境内各所に巨岩が露出しており、かつての巨石信仰の名残と考えられている。
とあります。
私は、この岩が本堂の背後にあることから考えても、「六所権現影向石」こそが長命寺でもっとも神聖な岩であり、ここから始まった古代巨石信仰が、武内宿禰を介して後世仏教系に引き継がれたものと思います。
また背後に続く津田山には、『古事記』で天地開闢の際に高天原に最初に出現した神とされる「天之御中主大神」を祀る大きな磐座があります。
この神名は、天(高天原)の中央に座する主宰神という意味で、宇宙の根源の神であり、宇宙そのものであるともされます。つまり、起源の極めて古い神であり、かつては神々の中でも最高クラスだったことが分かります。
長命寺山と津田山の山塊は、遠くから見るときれいな三角形が重なる不思議な景色です。かつては琵琶湖の中の島であり、おそらくは神奈備が連なる聖なる地として古くから意識されていたのではないでしょうか。
長命寺の「六所権現影向石」と観世寺の「笠岩」。
どちらもお寺にありながら、古代巨石信仰の伝統を引き継いでいると思います。そして本堂や観音堂という重要な建物の背後にあって、巨岩が張り出した大きな庇という特色も同じです。


下は、佐世保市の「岩下洞窟」です。


発掘調査では、縄文早期~前期の生活面および旧石器時代、縄文中期~後期、弥生時代、古墳時代の遺物が出土しました。 縄文早期から頭や胸位に石を乗せた埋葬人骨や磨製石器を副葬した埋葬人骨など20 体を超える埋葬人骨が確認されています。
巨岩の庇が、単に雨除け程度の意味ではなく、古代の信仰上、何らかの重要性を付与されていたのではないか。そのため「岩下洞窟」では天井を打ち欠き、長命寺の「六所権現影向石」と観世寺の「笠岩」では人工的に天井石を載せて、岩屋根のある聖地としたのではなかったのでしょうか。
いずれにしろ確実な物証もないため、単なる推測にすぎません。しかし実際にそれぞれの場所に行き、そこで感じたことをまとめれば、「石の庇(屋根)」は単なる雨よけや日よけとは思えないのです。おそらくは、聖地としてのシンボルのように思えます。
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