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平等院鳳凰堂に隠された太陽信仰・藤原頼通と西方浄土

平安貴族の栄華を今に伝える、京都・宇治の世界遺産「平等院鳳凰堂」の紹介です

最寄りの京阪宇治駅を下りると、目の前は宇治橋。宇治川の水量の多さに驚きながら渡ります。

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まず紫式部さんにお会いしました。宇治は源氏物語のゆかりの地ですね。

『源氏物語』の第45帖から54帖までは、主な舞台が宇治であるため、「宇治十帖」と呼ばれています。

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門前にはさまざまな店が並んでいます。

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宇治抹茶のたこ焼きがありました。

ふつうのでいいんですけど・・・・と思うのは野暮かな?


で、きょろきょろしているうちに平等院へ。

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水面に、さかさ鳳凰堂が映っています。

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水に程よい色がついていて、よく反射していました。これは、極めて重要な事なのです。

写真家の小川光三氏といえば、その昔『大和の原像』という著書で「太陽の道」を提唱され、NHKの特番で二度も放映されるなど、当時は代史研究家に大きな衝撃を与えた方です。

写真家としての太陽光線に対する繊細な感性が、「太陽の道」の発見につながったのでしょうが、その小川光三氏は、平等院鳳凰堂についてこのような見解を持っておられました。

低い山の間から出た朝日が池に射し、その反射光がキラキラと阿弥陀如来の顔を照らしだす。それこそが生きた阿弥陀如来、極楽浄土の阿弥陀如来をあらわしている
というような意味だったと思います。

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少し風があれば、反射光は微妙にきらめき、静止画では表せない動的な反射光の効果は、まさに極楽浄土の再現かもしれません。



しかしそれだけではありませんでした。

お堂の正面が東向きなら、裏側は西向き、つまり夕陽が差し込んでくる方向です。資料館である「鳳翔館」のビデオでも、背後から射す夕日のことが出てきます。

西は、西方浄土の方向です。

さらに、夕陽との関係について、決定的に参考になる事実があります。

岩手県平泉町にある史跡、無量光院は、藤原秀衡が宇治の平等院を模して建立した寺院です。
発掘調査の結果、四囲は東西約240メートル、南北約270メートル、面積約6.5ヘクタールと推定され、平等院よりも規模が大きかったと推定されています。平等院を上回るものを作ったのですから、奥州藤原氏の権勢には驚きます。

平泉というと、京都の真似をして「金色堂」とかの建物を田舎町に造った、などと軽く考えている人もおられるでしょうが、その栄華はすごいものでした。

例えば、以前記事にした「達谷巌」です。

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それでは元に戻り、平泉町教育委員会様による無量光院のCGで、その栄華と本質をご覧ください。

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夕陽の役割と重要性と計画性が一目瞭然ですね。

これをもとに考えれば、本家である宇治の平等院も、西方浄土から射す赤い夕陽がいかに重要であったかがわかります。

このことは、決して珍しいことではありません。


以前の記事、「極楽山 浄土寺・燃える夕陽に立つ阿弥陀仏」で紹介した兵庫県小野市の極楽山浄土寺は、背後から照らす夕日が床に反射し、巨大な阿弥陀如来像を下から赤く照らす構造でした。

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あるいは、大阪の四天王寺では、お彼岸に日想観という行事が行われます。この日は極楽門の彼方に夕日が沈むのです。(明日は雨みたいで残念!)

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平等院鳳凰堂中堂には扉が計12枚あります。
このうち西面扉は本尊の阿弥陀如来坐像の背後に位置するヒノキ造りの左右2枚(1枚の高さ約2・6メートル、横約1・2メートル)。外側の面は希少な天然鉱石の辰砂(しんしゃ)を顔料に使った光沢のある朱漆塗りで、2015年の暮れに内側は海に沈む夕日に合掌する極楽往生への修行を描いた「日想観図」が復元されています。

西方極楽浄土での往生(生まれ変わること)を願った、藤原頼通の思いが込められているのです。


  ☆


話は変わります。
日本神話の中には、いろいろな伝説やエピソードがぎっしり詰まっています。その中で、
「これを抜いたら、日本神話が根本的に成り立たない」
という最も重要なところは、天孫降臨神話だと思います。高天原と地上を結び付けるだけではなく、統治権の由来がそこで語られているからです。

天孫降臨とは、ニニギノミコトが日向の高千穂に降臨することですが、『古事記』では降臨第一声がこれです。

「此地は韓国(からくに)に向ひ,笠沙の御前を眞来通りて,朝日の直刺す國,夕日の日照る國なり。此地は甚吉き地」。

最も重要な個所に、「朝日の直刺す國,夕日の日照る國」という言葉が使われている事実は、日本人の伝統的な太陽信仰を如実に表しています。「朝日~、 夕日~」の対表現は、民間伝承にも語られる土地の褒め言葉ですが、これは神道とか仏教とかを越えた、根源的な日本人の信仰なのでしょう。



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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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