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飛鳥の顔面石とインドネシア文化

奈良の飛鳥周辺には、不思議な岩がたくさんあります。
その一つが、顔が彫られた岩です。人とも猿とも亀ともわからない顔が、あちこちにあるのです。

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近鉄吉野線飛鳥駅の北側にある、大きな欽明天皇陵。

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その横、小高い丘のような場所に、吉備姫王墓という小さな円墳があります。

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下の写真は、その中に置かれた不気味な4体の石像で、猿石と呼ばれています。猿石と呼ばれていますが猿ではなく、正体不明の石像です。

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高さは70㎝~100㎝くらいで、実は多面像なのだそうです。いずれも裸体で、股間を露出するなど、原始的な生命感が漂います。しかし、およそ日本の伝統とはかけ離れているなと感じるのが普通でしょうね。
これらはいったい何なのでしょうか。

11世紀の「今昔物語」には、すでにこれらの猿石が「石の鬼形」として話題になっています。それが一度埋められ、18世紀に再び掘り出されました。その後は欽明天皇陵の墳丘に並べられ、最終的には吉備姫王墓に置かれたらしいのです。
神社仏閣の中にも置かれず、かといって無視もできず、地元の人も扱いに困っていたかもしれません。


一方、聖徳太子ゆかりの橘寺の中には、二面石というこれまた顔を掘った岩があります。

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境内にある高さ約1mほどの石造物で、写真では分かりにくいのですが左右に善相と悪相が彫られており、人の心の二面性を表現しているとされます。おそらく後付けの解説でしょうね。



さて、下の写真をご覧ください。同じ系統の石像に思えるのですが・・・・

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         画像は(PagarAlam Beauty of south Sumatra)より

上は、インドネシアの石造物です。

インドネシア文化宮(GBI=Graha Budaya Indonesia、ICP=Indonesian Culture Plaza)様は、インドネシア情報発信基地として『インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)』というブログを運営されています。その中に、こう書かれていました。

2008/05/16
巨石文化といえば、考古学的には、紀元前4000~3000年に造られた、西ヨーロッパのドルメン(支石墓)がまず浮かび、そして石で構築された文化としては、ずっと後の時代になりますが、南米チリのイースター島のモアイ像も有名ですね。エジプトのピラミッドやジャワのボロブドゥール遺跡、そしてカンボジアのアンコールワットなども石文化の結晶です。
なんでも考古学で「アジアの巨石文化」という場合、古墳時代以前の先史時代のものに限るそうですが、その中にあって、インドネシアは今でも巨石文化の信仰が日常生活の中に垣間見ることのできる数少ない国です。インドネシア国立考古学センターのハリス・スクンダル(Haris Sukendar)所長が、2003年3月21日に、奈良県で開催された国際シンポジウム『謎の巨石文化を考える』で発表したコメントを引用すれば、
「東部インドネシアの島々では、現在も巨石文化の信仰が続いています。多くの場合、祖先崇拝と関係しています。(中略)そのほかに、太陽崇拝信仰とかんけいするものも一部あります。(中略)巨石記念物の多くには、人間や動物、植物、太陽や星などが装飾的に浮き彫りされており、それらの意匠はすべて、それぞれの社会で意味をもっています。人間の顔は、邪悪なものをそこで阻止する象徴です。また、そこに葬られた社会の長、つまり王にあたる人物の勇敢さや博識さを象徴するものとして、ワニなどの動物が描かれることがあります。さまざまな象徴が描かれることが、インドネシアにおける巨石文化のひとつの特徴です」と。

                   (太字は管理人)

私は、猿石と呼ばれるものの正体は、来日したインドネシア系の人々による、一種の魔よけのシンボルとして作られたのではないかと思います。そして本来は、インドネシアとゆかりのある人物を守るために、その人の住居や墓に置かれたのではないか。

「中国や朝鮮にゆかりがあるというならまだわかるが、インドネシアというのはありえない。」
と思われた方もあるでしょう。たしかに私自身、根拠に乏しい妄想かとも思います。
しかし昨日のブログで述べたのは、インド人が播磨や耶馬渓で活躍する話題でした。ペルシャ人が平城京の役人だったことも記しました。

また『日本書紀』崇峻元年春に
「寺院の建築士であるダラミタ、モンケコシ。露盤(ろばん=露盤は塔の屋根頂部に置いて雨仕舞の役割を果たす建築部材)博士であるショウトクハクマイジュン。瓦博士のマナモンヌ、ヨウオキモン、リョウキモン、シャクマタイミ。画工のビャッカ」
が来たと記されていることについて、京都大学名誉教授の伊藤義教氏は、
「中世ペルシャ語でダラミタは、そのまま寺工を意味し、コンケコシはテント型のお堂をさし、ショウトクハクマイジュンは露盤、マナモンヌは屋根葺き、ヨウキモンは丸瓦、シャクマタイミは鬼瓦、ビャッカは彫刻を意味する。」とされたそうです。

あるいは、「酒船石」に関する松本清張の「ゾロアスター教拝火壇説」などを思い出す時、古代奈良の文化は異国の文化と混交していたと考える方が自然です。特にその中で強調したいのは、おそらく奈良の「日本人」は、異国の文化や宗教を排除せずにうまく受け入れられた柔軟な「日本人」であったということです。
まさにこれこそが「和を以て貴しとなす」でしょう。

ならば、ルーツがインドネシア系の人がいて、伝統的な魔よけの像があったとしても、何ら不思議はありません。


実は、同志社大文学部教授であった小川光暘氏は、『黒潮に乗ってきた古代文化 石造遺物の謎を追って(NHKブックス) 』の中で、バリ島のマッシブ彫刻と猿石との関係に言及されています。
そして猿石の源流はバリ島やジャワ島で、いったん韓国の済州島を経由して日本にもたらされた文化だと結論されました。

さらに「日本人の縄文思想と稲作のルーツ」のブログの中で、レインボー様

最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)から、日本人のルーツは、最初に来たアイヌ系が35%、次いで南方から来たマレー系が30%、最後に朝鮮半島から来たツングース系が30%、その他が5%と分類されます。

と、遺伝子分析の側面から、マレー系の文化や人の流れの重要性を説明されています。

人の流れは一時的なものではなく、渡来は何度も繰り返すものとすれば、マレー系文化の一部が奈良に残っていたとして不思議はありません。

先ほど「南米チリのイースター島のモアイ像も有名ですね」という言葉がありましたが、小川光暘氏は「イースター島から済州島へという夢のような仮説」とも書いておられます。地球規模の海流の視点から、文化の流れを想像するのは、まさにロマンですね(^^♪


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コメント

石像とマレー民族

>私は、猿石と呼ばれるものの正体は、来日したインドネシア系の人々による、一種の魔よけのシンボルとして作られたのではないかと思います。そして本来は、インドネシアとゆかりのある人物を守るために、その人の住居や墓に置かれたのではないか。

〇記事、拝見しました。
 また、拙ブログ紹介、ありがとうございます。
 石像はマレー民族の影響大であることは、そのとおりだと思います。そして、その他の縄文時代由来の巨石文化のルーツはどうなのか、たいへん興味があります。
 草々

Re: 石像とマレー民族

顔と表情など、特徴があると関連性に説得力が出てくるのですが、巨石だけでは由来の特定が難しい気がします。特にドルメンなどはアジア中にたくさんあるようですね。またわかりやすい素材がないか、いろいろ探してみます。マレー系の言語で解釈できる名前とかあればいいのですが。

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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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