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「一つ目小僧」の衝撃・柳田国男と福崎の妖怪

下は、兵庫県福崎町の「辻川山公園」の池に出没する、河童の河次郎(がじろう)さんです。

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グロテスクながら勤勉で、子河童と一緒に、9時~17時の毎時0分・15分・30分・45分に水中から飛び出てきます。定期点検時以外は、有給休暇もとらず働いておられるようです。


柳田国男は、

古い信仰が新しい信仰に圧迫せられて敗退する節には、その神はみな零落して妖怪となるものである。妖怪はいわば公認せられざる神である。

と結論しました。となると、日本全国に分布する「河童」は、元々水神あるいは水神の御子神であったが、水神信仰が薄れてしまったために、零落して妖怪とされたものと言えるでしょう。

「河童」の話は単純なのですが、「一つ目小僧」の話は、衝撃的な展開になります。

  ☆

旅人が山中で日が暮れ、荒れたお堂を見つけて一晩泊まることにした。深夜、真っ暗なお堂の周りで足音がする。すると、入り口の戸が音もなく開いて・・・・

人里離れた深夜の山中で、目が顔の真ん中に一つあるだけの、不気味な妖怪がぬっと現れたら、大人でもちょっとパニックでしょうね。
一つ目小僧は、人気アニメ『妖怪ウオッチ』にも登場する有名な古典妖怪です。

一方、神社の神様の中に、片目が傷ついたという伝承を持つ神様がいます。
例えば、奈良市古市町にある御前原石立命神社(みさきはらのいわたちのみことじんじゃ)。
名前に「石立」とあり、磐座があるのかなと調べていたら、磐座はない代わりにこんな伝承がありました。

「古市ではそら豆は作らない。作っても実らない。それは、古市の神が炒っていたそら豆が裂けて、片目をつぶしたからだ」

もう一つの例です。
下の説明板は、滋賀県甲賀市の新宮神社にありました。

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神社の由緒書によると、このあたりで昔、神様同士の争いがあったそうです。お姫様をめぐって男神二人が争ったもので、負けた方の神様は左目を矢で射抜かれたというかなりハードな内容です。そして目に刺さった矢を抜き捨てたものが、後に成長して藪になったなどと記されています。

一つ目小僧と片目が傷ついた神様・・・・実は全国あちこちの民俗に潜んでいました。

一見何の関係もなさそうな両者を、見事に関係付けたのが柳田国男です。
彼は日本全土に伝わる伝説を幅広く収集整理して詳しく分析、それぞれの伝説の由来と歴史、そこに関わる人々の信仰や風習を意味づけ、「一つ目小僧その他」の中で衝撃的な結論を導きます。

一つ目小僧は多くの「おばけ」と同じく、本拠を離れ系統を失った昔の小さい神である。見た人が次第に少なくなって、文字通りの一つ目に画にかくようにはなったが、実は一方の目を潰された神である。大昔いつの代にか、神様の眷属にするつもりで、神様の祭りの日に人を殺す風習があった。おそらくは最初は逃げてもすぐに捉まるように、その候補者の片目を潰し足を一本折っておいた。そうして非常にその人を優遇しかつ尊敬した。犠牲者の方でも、死んだら神になるという確信がその心を高尚にし、よく信託予言を宣明することを得たので勢力を生じ、しかも多分は本能のしからしむるところ、殺すには及ばぬという託宣もしたかも知れぬ。

以前にも少し触れたことがありますが、イケニエの目をつぶし、足を片方折っていた遠い記憶が、一方では目を傷つけた氏神様として残り、一方では零落して一つ目小僧などの妖怪として語り継がれたというのです。

この仮説が全面的に正しいのかどうか、私には判断する力量はありません。谷川健一などの鋭い批判もあります。しかし、「妖怪は子どもだまし」「妖怪は実在するか否か」などというレベルではなく、妖怪を信じる人々の民俗心理やその歴史的変遷を、膨大な資料をもとに分析したという功績は、もはや常人のなせる技ではありません。

  ☆


下は、河童の出る「駒ヶ岩」です。

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柳田国男は、「故郷七十年」のなかで、「市川の川ぷちに駒ヶ岩というのがある。今は小さくなって頭だけしか見えていないが昔はずいぶん大きかった。高さ一丈もあったであろう。それから石の根方が水面から下へまた一丈ぐらいあって、蒼々とした淵になっていた。」と遠い昔をなつかしんで書いています。夏になるとこの岩の上で衣を脱いで水泳をしたり、うなぎの枝釣りをして遊んだようです。

この岩周辺にはガタロ(河童)がいて、「お尻をぬかれる」つまり水死する子どもも毎年あったようです。柳田国男自身も、見えない渦に巻き込まれておぼれそうになったと書いています。

この巨大な露岩は、川岸でもかなり目立ちます。やや小さな岩々も川に続いていて、失われた水神を祀る、古い磐座的な存在だったのでしょうね。

  ☆


柳田少年は、「日本一小さい家」と自称する下の家に住み、飢饉のときは一か月間おかゆをすするだけという生活でした。そして、口減らしのために他家に預けられます。

まずは「日本一小さい家」です。

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男ばかりの8人兄弟ですから、確かに小さな家です。

そして大庄屋だった近所の三木家に預けられます。
下は三木家の玄関写真ですが、中に入るとかなりの規模の屋敷でした。

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その三木家の内部です。

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門を入ったところは、かつて「お白洲」で、大庄屋ともなると一部裁判権があったのだとか。
桜吹雪の入れ墨を出して、というわけではないのでしょうが、それだけの地位が三木家にあったのですね。

広い座敷には、お雛様。

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大正時代には、すでに電話があり、家の中に電話ボックスを作ったのです。一般家庭に電話が普及したのは、昭和30年代以降ですから、さすが大庄屋。

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この三木家には、たくさんの蔵書があり、国男少年は自由に読むことができました。その経験が、のちの柳田国男の土台になったのでしょうね。


この後、兄を頼って茨城県布川に移りますが、八人兄弟の自分たちと違って、どの家でも子どもは二人。なぜ二人なのか。
それには衝撃的な理由がありました。「間引き」です。経済的困難から、新生児を育てる余裕がないのです。

これらの経験から、高級官僚になってもなおかつ、柳田国男の歴史学は「偉い人」ではなく「名もなき常民」への視線から始まります。おそらく全く違うと言われるでしょうが、私は、宮沢賢治と同じ魂をそこに見出します。

  ☆

現在、福崎町は町おこしのため、柳田国男にかかわりのある妖怪を前面に押し出しています。

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福崎では、天狗まで空を飛ぶのですから、町の意気込みは半端じゃないですね。

はてはサイダーまで。

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(どうしても買って飲む気になりませんでした。それはまあ、えーと、冬で寒かったからだと思います(*_*)


「妖怪はいわば公認せられざる神である」という歴史からは、ちょっとやりすぎの感はあります。しかしそれで故郷が元気になるなら、柳田国男さんも満足かもしれませんね。


ある高名な研究者がこんなことを言っていました。
「柳田国男の業績は巨大で、それを評論する人自身の持つ鏡の大きさにしか、彼を写すことはできない。」

ともすると私たちは、ごく一部の権力者や武将や貴族の動向の積み重ねが歴史なのだと錯覚しがちです。柳田国男は、名もない庶民の文化や習俗や人間関係や生産努力の中に、日本という国の本質を見ようとしました。そして観念優先ではなく、徹底して現実を分析する姿勢は「事件は現場でおこっているんだ。」のセリフと重なります。



もうこのような人は、日本には出ないだろうと思います。



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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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