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かなり怪しい探検隊・亀岡湖の「蹴裂(けさく)伝説」と二本の丹塗矢

伝説では、神代の昔、亀岡盆地は「丹の湖」すなわち赤い波の立つ湖でした。そしてこれが「丹波」の語源だとも伝えます。

これは、出雲大神宮付近から見る、亀岡盆地です。写真の中央あたりから先に広がる地域が、かつては湖だったのでしょう。


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下は、その先にある保津峡です。この狭隘な渓谷の手前に、おそらく天然のダムのような形で水をせきとめていたため、亀岡が湖だったのでしょう。

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亀岡盆地と保津峡の境に、桑田神社が祀られています。ここの社伝では、祭神の大山咋命・市杵島姫命(松尾大社と同じ)は、鍬山神社(亀岡市上矢田町)祭神とともに、湖だった亀岡盆地の開拓のため保津峡を開削したといわれます。

下の写真も亀岡盆地ですが、遠く左端のあたりが、桑田神社がある場所、すなわち湖と保津峡の境です。


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地図で見ると、右下(東南)の桑田神社と、工事の同僚たる対岸の請田神社を結ぶ線を境に、保津峡の渓谷と盆地のゆったりした流れが分かれています。工事はここから始まりました。





では、一緒に工事をしたという、鍬山神社に行ってみましょう。

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下は、上賀茂神社の「立砂」を思い出します。やはり神体山を模しているのでしょうか。


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神社のホームページにはこう書かれています。

社伝によると、太古の昔、丹の湖であった亀岡盆地の南端の黒柄山に八柱の出雲の神々が降臨され、一艘の樫舟にのり、浮田の峡、現在の保津峡を鍬や鋤を使って開削し、水を山城国へ流し、人々が住める肥沃な耕地を造ったと伝え、その時に使った鍬が山のようにうず高く積みあがったことから、鍬山と呼ばれたとも伝えます。
ふるさと亀岡を開拓した先人の偉業を神話として伝えているものです。同社の祭神は大己貴命(大国主命)と誉田別尊(応神天皇)の二柱をお祀りしています。


特に誉田別尊については、

永万元年(一一六五)に天岡峯に弓矢を負った武人の姿で降臨されたと伝えられ、八幡宮として祀られました。

と、背後の神体山に降臨したことが書かれています。


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時代は比較的新しいにしろ、よくある勧請ではなく、もともと秦氏系の八幡神が、武人の姿で天岡峯に直接降臨したというのは重要なポイントです。大国主命が八柱の神々と協議をし、湖を切り開き現在の肥沃な亀岡盆地が生まれたというのは、単に神話としての蹴裂伝説ではなく、松尾系、秦氏系の神を奉斎しながら、秦氏の技術と経済力と動員力で地元勢力とともに工事を進めたことを表していることに間違いはないでしょう。

なお、調べてみると亀岡にも、松尾神社や月読神社など、松尾系の神社は結構あり、「亀岡は秦氏の拠点」と書かれた本もありました。



さて、旧亀山城下の街角から祇園囃子の音が響いてくる、亀岡最大の秋祭り、亀岡祭。口丹波の祇園祭として親しまれているこのお祭りは、鍬山神社の鍬山宮・八幡宮二社の例祭です。
たまたま鍬山宮・八幡宮の山鉾を写した写真がありましたので載せます。


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昔の話ですが、この鍬山神社を通りかかって参拝した時、たまたまご神職様と話をすることができました。背後の山には磐座があり、河原から運んできた石のようであることをお聞きしました。さらにご親切にも、何人か一緒ならその磐座へ案内してあげるよ、とも。

残念ながら案内していただく機会もなく現在に至るのですが、不思議なのは、背後に神体山がありながら、なぜわざわざ山奥の黒柄山(黒柄岳)に八柱の出雲の神々が降臨したのか?

黒柄岳は特に秀麗な山容でもなく、磐座があるわけでもなさそうです。しかも大阪との府境の山奥で、大変不便な所です。湖の干拓について、有力な地元勢力の代表が集まったと考えることは可能ですが、黒柄山のある地域はわずかな山村しかなく、干拓による利害はほぼありません。

なぜ「黒柄岳」なのか?


ここで話は変わります。

鍬という農具を冠した「鍬山神社」という名前は、なんか珍しいというか、土俗的な異質のパターンですね。
でも、日本神話に似たようなパターンの神社が出てくると言えば、「あー、あれか!」と思い出す方もおられるでしょう。

そう、大阪府茨木市の「溝咋(みぞくい)神社」です。田んぼの溝のクイを神格化して、神社名に付けているという、珍しいパターンのお社です。

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    (溝咋神社の正面です。祭礼の日でした。)


この怪しい探検隊シリーズは、丹塗矢の流れてくる川の探険から始まりました。ふつう丹塗矢伝承として真っ先に挙げられるのは、神武天皇の皇后にかかわるこの神社でしょう。誰も言いませんが、矢が流れてきたのは、隣を流れる安威川です。その安威川本流を北へ北へとさかのぼると、なんと黒柄岳の麓にたどり着きます。

下の地図で

いちばん下(南)のオレンジが溝咋(みぞくい)神社
紺・・・・・黒柄岳
緑・・・・・鍬山神社
黄・・・・・桑田神社と請田神社
ピンク・・本家の松尾大社

という位置関係です。





黒柄岳山頂部周辺を拡大すると、西側に府道46号線があります。小泉浄化センター付近から谷川を南へと下っていくと、名神高速や国道171号線をこえて、安威川沿いの溝咋神社にたどりつきます。

果たしてこの事実は、単なる偶然でしょうか?

(続く)

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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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