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ボクらは怪しい探検隊・出雲大神宮一万年の核心に迫る

さて、出雲大神宮が、極めて古くからの由緒があることは歴然としています。出雲大社の故地、すなわち元宮であるという伝承があっても不思議ではありません。

この立て札を見てください。

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なんと「皇祖より壱萬年以前」と書いてあります。皇紀元年は西暦紀元前660年にあたるとされますから、ほんとうなら縄文時代の開始早々ではないですか!!

では、境内の様子です。

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さてこのお社は、しめ縄をめぐらせた磐座があちこちにあります。

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下の、本殿背後に立つ巨大な磐座には、「神様の宿るご神体岩」という立て札があります。

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つまり、神様は本殿の中におられるのではなく、ここにおられるのだという、極めて重要なことが書かれているのです。もちろん現在は本殿に神様がおわすのでしょうが、社殿建立以前はこれが神様だったということです。



さて、パワースポットとしても有名な奈良の三輪山には、中腹と頂上にも巨石群があり、神の座として祀られています。出雲大神宮の神体山にも、頂上(ここは禁足地)と中腹にありました。

中腹の磐座へは、社務所で手続きをし、白いタスキをかけて神域に進みます。

では、中腹の磐座群の写真をご覧ください。

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奥にある、上の大きな岩は、極めて不思議な模様が浮かんでいます。これが中心の岩でしょうね。

なお神職の方にお聞きすると、長年の間に木々が成長して根も太くなり、磐座が不安定になっていて、前面の岩は転げ落ちてきたものだとか。誰も入れない禁足地だからと言って、古代からそのままの姿だとは限らないわけですね。


出雲大神宮のホームページには、この磐座群の写真を載せて、背後の御陰山の説明があります。

神々様が御降臨遊ばされたのは御神体山である御蔭山で、出雲大神宮の本殿が立てられる以前から公武を問わず、尊崇を集めてきました。古は千年山とも呼ばれた様に、永続の根本、つまり国の最も優れた中心地でありました。 御蔭山は国祖として知られる国常立尊がお鎮りになられ、『富士古文書』には当宮御祭神の三穂津姫命が御奉仕し、お隠れになられた折にはこの御蔭山に葬られたと記されています。

おそらく、ここが出雲大神宮の信仰の核心部分です。もし「皇祖より壱萬年以前」という立て札に何らかの根拠があるとすれば、ここは縄文時代の配石遺跡だということになります。


というわけで、当初の目的であった「松尾大社の聖地」ではなかったようですが、原始信仰そのままの、貴重なお社を探検することができました・・・・・
という〆で終わろうと思ったら、こんなとんでもない立て札が(?_?)

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丹波の国の桑田の宮」って何者? なんやねん、それ! 
そこへ引っ越したのか、そこから引っ越してきたのか、いずれにしろ御祭神は、ずっとここにお鎮まりになっていたわけではないというのです。
まさに「なんじゃこらー」(松田優作風に声を出してお読みください。)


ウィキペディアで「桑田神社」を探します。

すると、こんな記載を発見。


桑田神社
京都府亀岡市篠町山本北絛50.51

祭神[ソースを編集]
主祭神市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)
配祀神大山咋命 (おおやまくいのみこと)
大山祇命 (おおやまつみのみこと)

歴史[ソースを編集]

祭神の大山咋命・市杵島姫命は、鍬山神社(亀岡市上矢田町)祭神とともに、湖であった亀岡盆地を開拓のため保津峡を開削したといわれる。当地は盆地入り口にあたるため政治的にも重要な地で、秦氏の勢力がいち早く進出したとされる[2]。社伝では、この地は「田庭」と呼ばれており「丹波」はこの田庭より名付けられたとされる[3][4]。


なんと、松尾大社の主人公、「秦氏」が登場。さらに祭神の「大山咋命・市杵島姫命」って、松尾大社の祭神と同じではないですか。それが湖の干拓?

京都盆地を秦氏が開拓したのはよく知られています。
しかし、何ということでしょう(ビフォーアフター風にお願いします)、
亀岡盆地でも、大山咋命と市杵島姫命を守護神として、亀岡湖の水を保津峡に流す大土木工事を行い、今の亀岡市を作ったとしたら!!

イチから探検のやり直しです。

(続く)


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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