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夢のお告げと真鍮の製法・広徳寺の不思議な伝説

大変珍しい由来を持つ寺社のひとつが、滋賀県甲賀市水口町の「広徳寺」です。
ここには、金属の信仰があるのですが、鉄でも銅でもなく、真鍮(しんちゅう)の祖神・開祖を祀ります。

≪日本民俗学は、「藁の文化」すなわち稲作文化のみに固執し、金属器文化に注意を払わなかった≫
とその著書『青銅の神の足跡』に書いたのは、谷川健一氏でした。たしかに日本は稲作文化の国だと、無意識に思いがちなのは確かです。

谷川健一氏に敬意を払い、この広徳寺を紹介します。、

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ここには、こんな伝説がありました。

今から約四百年前、庚申山広徳寺の麓に「藤左衛門」という貧しい百姓が住んでいました。
働いても働いても生計は苦しく、もう村を出てどこかへ行くより仕方がないと考えましたが、日頃から広徳寺の本尊である庚申尊を深く信仰していましたので、最後に庚申尊におすがりしてみようと思い立ち、文禄二年(1593年)正月二十三日、広徳寺に篭って断食し、日夜ひとすじに家運の隆盛を祈願しました。

またたくうちに日は過ぎて、ついに十七日の満願の夜となってしまいました。もはやこれまでと一心不乱に祈念するうちに、すでに精根尽き果てていた藤左衛門は、ついうつらうつらしてしまいます。すると・・・ その枕元に卒然として七才ばかりの童子が現われ、なんと!銅に亜鉛を混ぜる合金の法を細かに伝授されたのです。

お告げに感泣した藤左衛門が早速その方法を試してみたところ、なんたる不思議!黄金色の光沢をした合金を得ることに成功しました。藤左衛門がお告げのとおりに「真(しん)に鍮(い)た」ことからその合金は「真鍮(しんちゅう)」と名付けられ、これがわが国における真鍮精錬の始まりであると伝えられています。

その後、藤左衛門は慶長四年(1599年)、京都に出て本格的に真鍮の製造を始め、家業大いに繁盛し、巨万の富を築くに至りました。そして元和二年(1616年)には報恩のために広徳寺の本堂を再建しました。以来、庚申山広徳寺の御本尊は『わが国の真鍮の祖神』として金属加工を生業とする人々から崇敬され、今も各地から多くの参拝者が訪れています。


実際、境内には金属関係の会社や団体名がぎっしり。

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ここには、「日本伸銅協会」に加盟する多くの団体や企業の名が刻まれています。「神戸製鋼所」や「三井金属鉱業」など、聞いたことのある社名もたくさんありました。業界の神様ですね。



ところが2013年4月22日、漏電による火事で広徳寺本堂を焼失。
復興に向け、地元住民による協議が行われたそうですが、費用負担などを理由に消極的な声が多く、再建のめどが立たない状況だったそうです。神社仏閣の建設費用は多額ですから当然でしょう。

しかし再建に向けた関係者の努力により、昨年7月1日に本堂落慶法要が開催されました。業界の支援もなんとか得られたのかな?
多くの関係者の方の多大な苦労がしのばれます。

では、再建された本同を拝観します。

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神仏習合なのでしょう、鳥居をくぐって石段を上ります。

木の香りが漂うような、ぴかぴかの新しい本殿です。


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吊るしてあるのは、なんでしょうか。岐阜県に多い「さるぼほ」の一種かな?


さて、背後に回ると、例によって巨大な露岩です。

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岩に遠慮して、屋根が変形していますから、磐座あるいは影向石の類であることは確実です。

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そういえば、こんな立て札がありました。

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あきらかに、起源は巨大な露岩に対する信仰ですね。
「目に見えぬ力を与える丈余の岩」と書かれていますから、今現在も巨岩への信仰があると言えます。

下は火事後の、実際の岩の様子です。

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では、開山伝承はどうなっているのか。ここの由緒を見てみます。

延暦2(783)年比叡山の開祖伝教大師(最澄)は、延暦寺建立の用材を求めて地方巡歴の途中、当庚申山頂に光明輝き紫雲たなびくのを見られ、不思議の念にかられながら頂上に登られたところ、丈余の岩の上、稲妻の発する中に霊姿を感得せられ、妙法の「我は大青面金剛童子なり、天地和順、生物育成、悪病除災、開運守護の本願によりて出現せり、「汝仏心豊かなれば、末世衆生救済のために我が身相を刻して後世に残すべし」と。大師は直ちに三礼沐浴して尊姿(法身9寸)を刻して祀られたのが、廣徳寺の始まりであります。尚、通称、庚申山廣徳寺と言われ、開山始めの頃は、金成山廣徳寺と号し、近世は端應山龍花院廣徳寺と改号と「近江輿地志」に記されている。

立札と同じ「丈余の岩の上」という素朴な記述ですが、やはりもともと古代の巨石信仰があったのでしょう。

さらにこの山には、山頂周遊路の途中にこんな岩組みがありました。

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この岩の下に入れば、風雨を避けて修行できそうです。さらに、縄文土器とか石器とかが落ちていそうな雰囲気もあります。
正体不明の巨石でした。


それにしても、
「枕元に卒然として七才ばかりの童子が現われ、銅に亜鉛を混ぜる合金の法を細かに伝授された」
という伝承は、事実なのでしょうか。

蛮族に捕まって、柱に縛りつけられ、そこへ槍を持った戦士たちがやって来て、取り囲む。その戦士たちの持つ槍には、丸い穴が空いていた・・・この夢からアイザック・メリット・シンガー(1811-1875)はミシンを発明したといいます。しかし実際には、ミシンは、1810年頃にドイツで発明され、アメリカでも現在のミシンと同じ構造のものが独立して発明されているとか。


夢で合金の発明というのは、何とも不思議で神秘的ですね。
「藤左衛門」という貧しい百姓は、いったいどんな人だったのでしょう。金属に関わる一族の出ではなかったとしたら、唐突になぜそんな夢を見たのか、謎というしか言いようがないですね。



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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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