FC2ブログ

記事一覧

生駒山宝山寺・大岩壁の聖窟をめざして

生駒山宝山寺は、背後に切り立った岸壁にある岩窟状の窪みで役行者が修行し、般若経を納めた事に始まる聖域です。その名も般若窟。

P2110057_convert_20180212222610_20180214185942ede.jpg


般若窟目指して

岩屋信仰、洞窟信仰はこのブログでもたくさん記事にしてきましたが、ここはその代表格のひとつですね。今日はその般若窟目指して石段を上ります。

まずは、模型で全体把握しましょう。

IMG_0251_convert_20180214125919.jpg


では、きのう紹介した本堂前広場から、ジグザグに石段を上ります。
文殊堂・常楽殿・観音堂を過ぎると、遥拝所の上に般若窟の大岩壁が見えてきます。

IMG_0314_convert_20180214130347.jpg

IMG_0343_convert_20180214154731.jpg


近寄って遥拝所の裏に回ると、通行止めの貼り紙。残念ながらここから上はいけません。

DSCN9249_convert_20180214130635.jpg

DSCN9248_convert_20180214125712.jpg



見上げると、岩窟状の窪みに祠が二つあります。その奥には仏像。

DSCN9251_convert_20180212220417.jpg

DSCN9234_convert_20180212220201.jpg



少し離れて、岩窟を望遠で撮影しました。

IMG_0403_convert_20180212220936.jpg

DSCN9269_convert_20180212220547.jpg


岩窟の坐像は弥勒菩薩。なんとも気高く存在感のあるお姿です。

IMG_0285_convert_20180214130030.jpg


DSCN9217_convert_20180212215908.jpg


残念ながら岩窟には登れないようなので、少し引き返して上を目指します。

朱の鮮やかな多宝塔。

P2110037_convert_20180212222508.jpg


弘法大師にかかわる大師堂の周辺は、弘法大師らしく高野山を彷彿とさせる石仏と石段です。

P2110033_convert_20180212222043.jpg

DSCN9289_convert_20180214133157.jpg


開山堂と奥の院にたどり着くと、ほぼ終点です。

IMG_0369_convert_20180214192826.jpg




宝山寺は、伝承によると斉明天皇元年(655年)に役行者が開いたとされる修験道場で、空海(弘法大師)も修行しました。その当時は都史陀山 大聖無動寺(としださん だいしょうむどうじ)という名で、江戸時代の延宝6年(1678年)に湛海律師が再興し、歓喜天を祀って今日に至ります。
このため、湛海律師が事実上の開祖という見方もあります。


ところが、湛海律師の再興には、こんな恐ろしい伝承がありました。


湛海さん危機一髪・黒夜叉の襲撃

奈良の「県民だより 平成23年 1月号」には、奈良の昔話としてこのような記述があります。

生駒山の夜叉と湛海さん

生駒山の巨大な岩壁の般若窟(はんにゃくつ)には、役行者の作といわれる不動尊と弁財天の仏像が祀られていた。山麓の村人は「この古仏を守ってくれる方がいたら山を寄進する」と、修験僧でもあった湛海さんにお願いした。実は、山には恐ろしい悪霊(あくりょう)が棲(す)んでいたらしい。
 延宝六年(一六七八)、湛海さんは菜畑(なばた)村の庄屋の案内で山に入った。岩をよじ登り般若窟に立つと、奇石が峨峨(がが)として聳(そび)え立つ断崖であった。
 湛海さんは石を取り除き、座禅する場所をこしらえた。ここに籠(こ)もって三、四日過ぎた夕暮れ、突然、怪力の夜叉が組み付いてきた。
 夜叉は黒く大きく、肌は岩のように硬くゴツゴツし、毛髪は鉄の針のように鋭く尖っていた。夜叉は「ここは俺の住まいだ。早く立ち去れ」と言った。
 湛海さんが「南無不動明王(なむふどうみょうおう)」と念じると、その腕力は夜叉の数十倍に変化し、夜叉は逃げ去った。
 その後、湛海さんは、生駒山には岩船大明神(いわふねだいみょうじん)が住み、山の北にその神が降臨した岩船谷があると聞いて参詣した。すると岩船の岩肌が、襲ってきた夜叉の肌と大変よく似ている。この時、大明神が夜叉となって現れたことに気づいた。今も般若窟には岩船大明神を祀る小社がある。



ここに出てくる「岩船大明神」とは、『天の磐船・巨岩の間の地底探検(2017/09/19)』の記事に書いた、磐船神社のことです。
本殿はなく、物部氏の祖神である饒速日命が高天原より降臨の際に乗ってこられたという、「天の磐船」(あめのいわふね)とよばれる高さ約12メートル、長さ約12メートルの舟形巨岩を御神体としています。ご神体の前にあるのは拝殿になります。
その時の写真を再掲。

P1010965[1]

P1010953_convert_20170918230021[1]

P1020397s[1]


先の伝説から分かることは、もともとこの般若窟は、ニギハヤヒを奉ずる磐船神社(物部氏)の古い聖地だったということでしょうね。それを知らない湛海さんが横取りする形になったため、磐船神社側とトラブルになったわけです。

しかし、般若窟がニギハヤヒの祭祀と関係があるとすると、もうひとつ別の謎が出てきます。
それはまた次回。

IMG_0570_convert_20180214130207.jpg
   (断食道場とか、神社周辺は大変濃いところです。)


  ☆


鉄ちゃんのコーナー(ケーブルカーよもやま話)

江戸時代には、宝山寺は商売の神として大阪商人の信仰を集め、聖天の霊場として多くの信仰を集めてきました。1918年には日本最初のケーブルカー、生駒鋼索鉄道(現、近鉄生駒鋼索線)が敷設されるほどでしたが、当初は経営が大変だったようです。

開通して間もない6月下旬には、社員給料の支払いはおろか翌日に使う切符の印刷費も出せないほどに財政が窮乏したとか。同社の取締役の一人が夜遅く宝山寺に向かい、寺に乗車券10万枚と引き換えに賽銭を貸して頂けないかと頼み込みました。当時の宝山寺管主は「宝山寺が生駒に駅を設けることを請願したため、貴社は生駒トンネルの建設に苦しむこととなった。よって当寺にも苦境の責任がある。力になれるならぜひとも」として、快く資金を都合してくれたという話が残っているそうです。この賽銭は給料にも回されたため、当時の社員の給料袋はズッシリ重かったといいます。

以上、鉄ちゃんのための話題でした(^^♪



家計と休日予定をやり繰りして全国を回っております。よろしければ三つクリックしていただくと励みになります。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村


にほんブログ村


神社・仏閣ランキング

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

フリーエリア