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久美浜 神谷神社の磐座・圧巻の存在感

京都府京丹後市、久美浜駅の北西にある神谷神社は、もとは神谷小字明神谷に祀られていましたが、中世の頃、戦乱で社屋が破壊されたため、現在地の太刀宮に合祀されたとされています。

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ここは、稀に見る巨石累々たる磐座信仰のお社です。
境内の様子をご覧ください。

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崇神天皇十年九月、四道将軍・丹波道主命が勅命を受けて山陰地方を巡視された時、武運長久を祈願して、久美浜の地に社地を定めて出雲国・八千矛神・天神玉命・天種子命を祀ったのが当社の創祀だそうです。

またこんな伝説もあるそうです。

同じ熊野郡の式内社・村岳神社の神は、太刀宮の神(丹波道主命)の命令で、神谷神社の社地を選ぶことになりました。ところが、村岳の神はいちばん良い社地である現在地を隠して別の地を選びました。ところがこのことが露見し、怒った太刀宮の神は剣を抜いて村岳の神を斬ろうとします。しかし誤って大石を断ち割り、怖れた村岳の神は、大根を下物として和睦の宴を開き和解したと言います。またこのため当社の例祭には奥馬地部落より大根が奉納されているとか。

この伝説には、新旧の支配者による権力闘争が反映されているのでしょうか。

なお、四道将軍というのは、10代崇神天皇は天下を征するため、丹波道主命を山陰(丹波)、大彦命を北陸、武淳川別命を東海、吉備津彦命を山陽(西海)に派遣しました。これを総称して四道将軍と呼びますが、どこまでが史実なのかはわかりません。



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sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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