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松尾神社の謎・重森三玲と秦氏と磐座

2018/01/26付 「松尾大社の磐座・京都を代表する古社の神秘」の続編です。



松尾大社の本殿裏山に現れた巨大な岩肌が、本来は磐座であったという記事を載せました。
元々は、背後の山中にある巨大な磐座を祭祀の中心としていましたが、それは山間の急斜面にあります。人々の参拝、とりわけ天皇や貴族の参拝は無理でしょうね。第二の磐座がある現在地を、里宮として社殿を建てるのは必然的だったと思います。

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この松尾大社から見ると、比叡山は夏至の太陽が昇る山なのですが、松尾大社と比叡山頂を結ぶ線上には、不思議なことにさまざまな神社仏閣が並びます。

松尾大社は現社地と山中の磐座の二箇所、比叡山は大比叡(848メートル)と四明ヶ岳(839メートル)の二箇所に分かれるので、ラインにもその分の幅を持たせると、梅の宮大社・太秦広隆寺・木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)・下鴨神社などが並びます。



歴史上の松尾大社

ところで、そもそも松尾大社とはどんなお社なのでしょうか。
京都市民以外では知名度がいまひとつなので、簡単に説明します。

・『二十二社註式』によれば、平安時代中期には二十二社の1つとして上七社の中でも特に4番目に列している。つまり全国序列?第4位の神社。また平安期には、寛弘元年(1004年)の一条天皇の参拝を始めとして、後一条・後朱雀・後三条・堀河・崇徳・近衛・後鳥羽・順徳ら各天皇から10度にも及ぶ参拝があり、その際には神宝奉納や祈願があったことが国史に記載されている。

・京都のメインストリートである四条通りの東端が八坂神社(祇園社)で、西端が松尾大社。

・現在の氏子区域は右京区・西京区・下京区を主とした一帯で、京都市街地の3分の1を占め、戸数は4万戸ともいわれる

・元来は松尾山(標高223メートル)に残る磐座での祭祀に始まるとされ、大宝元年(701年)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けた。さらに平安京遷都後は東の賀茂神社(賀茂別雷神社・賀茂御祖神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称されている。

・古事記には
大山咋神。亦の名は山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し、亦葛野の松尾に坐して、鳴鏑(なりかぶら)を用つ神ぞ。
とある。
これについてウィキペディアの『大山咋神』の項はこう記す。

大山咋神(おおやまくいのかみ)
『古事記』では、近江国の日枝山(ひえのやま、後の比叡山)および葛野(かづの、葛野郡、現京都市)の松尾に鎮座し、鳴鏑を神体とすると記されている。
(中略)
「日枝山」には日吉大社が、松尾には松尾大社があり、ともに大山咋神を祀っている。日枝山と松尾については、共通の祭神を祀る社の存在だけではなく、八王子山と松尾山の両方に巨大な磐座と、古墳群(日吉社東本宮古墳群、松尾山古墳群)が存在し、共通点が多いことが指摘されている。



八日市の松尾神社

さて、舞台は滋賀県の東近江市に飛びます。
近江鉄道八日市駅の西側は、松尾町という地名です。ここには「松尾神社」があり、10年程前に参拝したことがあります。背後の山上に、なんとなく黄色っぽい巨石が樹林の間から見え隠れしていたのが印象的でした。

そして最近、岩戸山や瓦屋寺に参拝したついでに、二度目の参拝をしました。というより、瓦屋寺から最短距離で降りてきたら、偶然このお社に遭遇したのです。
「あれ、こんなところに神社がある。・・・・なんか、どっかで見たような?・・・。」

この季節は落葉のため山中が見えやすく、蜘蛛の巣や害虫被害もないため、磐座好きにはグッドシーズンです。偶然出会うのも何かの縁と、斜面の道路に駐車して境内に入りました。

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京都の松尾大社の庭園は、重森三玲氏の手になる現代の庭で、上古の庭は古代の神の依り代である磐座を再現する試みだそうです。しかし八日市の松尾神社には、奇遇にも同じ重森三玲氏が昭和11年に発見されたという豪壮な枯山水庭園があります。

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本家の松尾大社の庭園が重森三玲氏による
「神の依り代である磐座を再現する試み」ならば、それより以前に重森三玲氏が発見した、同じ「松尾」の古い庭園が、磐座と関係していたとして不思議はありません。

平安時代に書かれた日本最古の庭園書である。『作庭記』には、石に対する認識が単なる素材としてではなく、扱いを間違えると崇りや不幸をもたらす宗教的なものとみられていたことが明瞭です。日本庭園の起源が、単なる芸術性だけではなく、磐座信仰とも関わるものであるならば、重森三玲氏が目指したものが少し理解できるような気がします。

ところで、かつて神社背後の山の稜線に見えた巨石のようなものは、灌木が育っているせいか、今回は全く見えません。あきらめて帰ろうとした時、念のために本殿裏の斜面に廻りました。
すると、信じられないことに、しめ縄を廻らせた巨大な磐座があったのです???
なぜ以前は気付かなかったのかが不思議なくらいの巨石でした。

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古代はここに松尾の神が降臨していたのです。


本家の松尾大社の磐座は、本殿裏の露岩については三角です。しかし右奥の山中に鎮座する本来の磐座は、巨大な横長の磐座で、まるでそこに置かれたような不自然感があります。
この八日市松尾神社の磐座も、規模こそ小さいものの、本殿の右手奥にある、横長の巨石であることは共通しています。山中から突き出た露岩というよりも、そこに置いたという感じがするのも同じです。


というわけで、達成感を得て帰宅したのですが、ふと気が付きました。

松尾大社と松尾神社は、背後の山や磐座の形、庭園など、いろいろ共通している。松尾大社の祭祀形態を、そのままこちらに持ち込んだのなら、松尾大社と比叡山の関係が、ひょっとしたら八日市松尾神社にもあるのではないか・・・?


急いで地図を調べてみました。すると、重要な事実を発見(?_?)




上の地図を拡大してご覧ください。左のラインのオレンジ色は京都の松尾大社で、右のラインのオレンジ色は松尾神社の位置です。

松尾大社と同様に、八日市の松尾神社から、夏至の朝日が昇る角度、真東から北へ30度のラインを引くと、そこにあったのは、秦川山という、『秦』を冠する山の頂上でした。そしてその周辺の地名は「松尾」。
山麓には有名な古刹、金剛輪寺がありますが、この寺の別名は「松尾寺」でした。
さらに、このライン上には、秦一族の古墳群もあります。

これはいったい何を意味しているのでしょうか。
(続く)


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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