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亀岡の行者山・役の小角と空海が重なるミステリアスな聖地

京都府亀岡市の行者山は、役の小角(役行者)が修行した場所として知られます。標高は400mほどの山ですが、ほとんど急登。そして思いがけない場所に巨大な岩や修行場が現れる、ミステリアスな山です。

行者山の山麓には、独鈷抛観音(とこなげかんのん)があります。ここは空海が唐より投げた独鈷が当山の松にかかり、帰国後白鹿に案内されて独鈷を探し当てたことから、寺を独鈷抛山千手寺と呼んだという伝説があるそうです。

役の小角も空海も、それぞれの伝説は日本各地にたくさんありますが、両方が重なる聖地はほとんどないように思います。その意味でも、ミステリアスな聖地なのです。


さて、亀岡盆地のJR千代川駅から西へ進み、高速道路をくぐると貯水タンク裏手に登山口があります。
ごく普通の里山の感じで登るうち、いきなり巨石が現れます。

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どうも人工的な雰囲気の洞窟の先には、岩の割れ目から漏れる日光にうっすらと浮かび上がる、役の行者の石像が。

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この洞窟の中で、役の行者あるいはその弟子が修行したのでしょうか。


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ほかにも、不思議な巨石はあちこちにありました。

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行者山の山頂です。

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ここから帰る途中、谷間に正体不明の石積みがありました。どうも気になって、道なき道を下りていくと、かなり大規模な石垣が延々とあります。傾斜は急で、寺坊や田畑があったようには思えません。猪垣の類にしては場所が変です。

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いったいこれは何なのでしょうか。



ところで、役行者は自ら修行するだけでなく、庶民の中に入って医療などに努めた僧として、古くから民衆に人気がありました。お礼に様々な喜捨を受けたりもしたでしょう。しかし、それだけだったのでしょうか。


そもそも役行者とは何者か?

役 小角(えん の おづの /おづぬ /おつの)は、舒明天皇6年(634年)から 大宝元年(701年)まで活躍した、飛鳥時代の呪術者です。
17歳の時に元興寺で孔雀明王の呪法を学び、葛城山で山岳修行を行い、熊野や大峰の山々で修行を重ね、吉野の金峯山で金剛蔵王大権現を感得して修験道の基礎を築いたとされます。20代の頃、藤原鎌足の病気を治癒したという伝説があるなど、呪術に優れ、神仏調和を唱えました。

文武天皇3年(699年)、人々を言葉で惑わしていると讒言され、伊豆島に流罪となります。人々は、小角が鬼神を使役して水を汲み薪を採らせていると噂しました。

ところで、8世紀は鉱山史の画期に当たると言われます。7世紀末から8世紀初め、律令政府にとって、金、銀の獲得が緊急の必要となり、地下資源などの調査報告をさせました。鉱物の大半は山中にあり、山林で修行する行者は鉱物探しの即戦力だったと思われます。役行者たちも、鉱山探索と山岳修行者の連携の役目を担った可能性があります。



「天然鉱石専門店 ミネラルショップ たんくらの店主の鉱山探訪記」様のブログに、こんなことが書いてありました。
2011-06-19 10:58:59
地元の鉱物産地8 行者山の鉱物写真前篇

 行者山は昨今採集禁止になって久しく、ハイキングですら白い目で見られる異常事態になってます。何か過去の産地になったような気がします。「誰かが削岩機を使用したとか」「山腹が掘場になっている」とか、最近様々なことを耳にします。筆者は2005年頃から全く行っていません。すでにいかなくなってから6年近く経ちます。

勝手に掘る行為が問題になっている、つまり、この山には、いろいろな鉱山資源がまだ眠っているのです。
同ブログには、昔拾った自然銅・黄錫鉱・少量の閃亜鉛鉱や黄銅鉱を伴う磁硫鉄鉱などの写真が掲載されています。

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事実この辺りは、明治末期に銅山として開発が始まり、大正三年からはタングステン鉱山として稼業。日本最大のタングステン鉱山となるも、昭和58年9月に閉山したという歴史を持ちます。


また上記とは別の、ある鉱物採集のブログには

行者山では、タングステンの鉱石の灰重石や錫石、晶洞に入った水晶などを採ることが出来ます。また、緑柱石やベルトラン石などの、ベリリウムが含まれている鉱物も採集出来ます。

とありました。

ひょっとすると、役行者の石像が祀られていた人工的な洞窟も、鉱物資源の試掘跡だったのかもしれません。
四国八十八箇所の霊場も、『空海鉱山株式会社』の現地作業場として水銀などを採掘していたところだという面白い意見もあります。ひょっとすると、空海も役行者も、同じ目的でここに来たのかもしれませんね。

それにしても、山間へき地の山岳で修行をしていた人々は、いったい何を収入、あるいは食料として生きていたのか。
貧しい農村や山村しかない地方で、豊富な喜捨や寄付行為がそうそうあったとは思えません。白い米をほとんど食べたことがない村、貧しさゆえに、嬰児を間引く習慣がある村などで、見ず知らずの怪しい修行者に渡す食料はないでしょう。
「兵站」というのも変ですが、最低限の組織的な物流や経済行為が、鉱物や薬草の活用をもとになされていたのだと思います。

日本の古代信仰、中世信仰は、巨岩や岩屋を対象とするものが極めて多いのは事実です。このブログでもたくさん紹介してきました。しかしそれらの場所は、鉱物資源が見つけやすい場所でもあったのでしょう。

唐突に話題を変えますが、カトリックに置いて宗教的禁欲生活は、修道士などに見られるように一種世俗から離れた特別なものであり、普通の生活を超えた善行によって神の救いを得ようとするものでした。われわれは「修行」などと言うとこの概念でイメージする傾向があるのですが、宗教改革の主要な人物であったルターが「各人の具体的な職業は神の導きによって与えられたものであり、この具体的な地位を満たせと言うのが神の特別の命令だ」 と考え、資本主義の発達に大きく影響したといいます。

修験者による鉱物資源の発掘も、おそらくは宗教活動と結びついた「天職」として、重要な意味付けがなされていたのではないか。
そんなことを思いました。


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コメント

懐かしいです

久しぶりに懐かしい光景を見せていただきました。
私は千代川出身なのですが今から40年ほど前は行者山には山伏が居て御札を貰いに行く日があり友達と一緒に毎年行ったものです。
このあたりは消費地京都に近い事もあり、いろんな鉱物の産地であることはよく言われますが面白いところでは鎌倉時代からの天然砥石の一大産地でした。
私は京都市内から引っ越してきたのですが、千代川駅前の新興住宅地の埋め立てが砥石の廃材だったのを覚えています。
亀岡は不思議な場所が多く、秦氏由来の月読宮もありましたし、その近くの出雲神社も裏山は古墳だらけで磐座だらけの斜面にあります。
月読宮は洪水で流れてしまい、いまは小さな祠のみですがかつては大きな神域があったそうです。

Re: 懐かしいです

> 久しぶりに懐かしい光景を見せていただきました。
> 私は千代川出身なのですが今から40年ほど前は行者山には山伏が居て御札を貰いに行く日があり友達と一緒に毎年行ったものです。

いろいろと貴重な情報ありがとうございます。
やはり地元の方は情報の質がすごいですね。
行者山は、名前通りの山だということがよくわかりました。

お墓参りが老ノ坂近くなので、その時はいつもアルプラザ前の「さと」でお昼を食べています。山陰線にSLが走っていたころから亀岡にはよく行きましたが、愛宕から続く山並みはずっと一緒で、見るたびにホッとします。

地元情報、またいろいろご教示いただければ幸いです。

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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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