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額田王「あかねさす・・・」と蒲生野の巨石信仰

昨日の記事で最後に載せた写真は、岩戸山から見る「蒲生野」の景色です。
蒲生野といえば、この歌が有名ですね。

天皇の蒲生野に遊猟(みかり)したまへる時、額田王(ぬかだのおほきみ)のよみたまへる歌

あかねさす 紫野ゆき 標野(しめの)ゆき

野守(のもり)は見ずや 君が袖ふる


           (額田王 『万葉集 巻1-0020』)


紫草の生えた野を、あっちに行ったりこっちに行ったりしながらそんなことをなさって。野の番人に見られてしまうではないですか、あなたが私に袖を振るのを。

大海人皇子様、ダメよ見られちゃうじゃないの、という内容で、宴席の歌ともされます。

万葉歌の好きな歌アンケートをすれば、常にナンバーワンに挙げられるのがこの歌だそうです。
宝塚歌劇団のミュージカル作品としても、このテーマは何度も取り上げられ、『あかねさす紫の花』は、1976年に安奈淳主演(大海人皇子役)で初演されて以来、再演を何度も繰り返しています。
それほどまでに人気のあるテーマ、まさに国民的関心事なのですね(^'^)



船岡山の原始神道と巨石文化

さて、岩戸山に近い船岡山には、こんな施設がありました。

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歌の情景を巨大な陶板画で表しています。ほとんど野外ステージですね。
この背後の丘にも、昔から歌碑が巨石に刻まれています。


広い蒲生野の中の、どの地点が歌の舞台なのかはわかりませんが、この船岡山から眺める景色のどこかであったのは確かでしょうね。


ところでこの船岡山は、国道421号線側の阿賀神社から、丘の稜線を伝って稲荷の祠に至るまでの間は、磐座あるいは巨石が累々と並びます。

まず阿賀神社。
まさに巨石信仰、磐座信仰のお社です。

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神社の背後を登ると、万葉歌碑があり、その後方の頂上には、全国的にも珍しい配置で磐座が密集しています。
まず東側の麓から直接石段を登ると、両側に巨石が並び立つ参道。

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何度も記事にしたように、ここにも門のような配置の岩があり、古式の磐座祭祀をうかがわせます。また稲荷の祠の周囲は、大小10個程度の岩で、噴火口のように囲まれています。まるで特殊なストーンサークルです。

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祠の背後、ご神体の位置にある岩組みなどは、もはや巨石遺構でしょう。

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額田王の系譜と新羅

額田王の出自には諸説ありますが、『日本書紀』には鏡王の娘とあります。鏡王については近江国野洲郡鏡里の豪族ともいわれ鏡神社の伝承によれば、額田王は、姉の鏡女王とともに巫女として宮廷に仕えたとか。


紀温泉に幸せる時、額田王の作る歌

三諸の山見つつゆけ我が背子がい立たせりけむ厳橿が本

今しばらく、懐かしい三輪の山を眺めつつお行きなさい。いとしいあの人がお立ちになっていた、あの山の麓の、神聖な樫の木のもとを。

神体山の三輪山を歌った、こんな歌を見ると、やはり巫女的な性格が見て取れます。



さらに、額田王はこんな歌も

三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情こころあらなも 隠さふべしや  ( 巻1‐18)

三輪山をみられるのも、もうこれが最後だというのに、雲よ、どうしてそんなにいじわるをするの


三輪山は、秀麗な三角形で、山自体がご神体です。とりわけ山頂をはじめとする聖なる岩石群、すなわち磐座があり、注連縄に囲まれて21世紀の現在も厚く崇められています。その信仰形態を額田王が知らなかったはずはありません。

蒲生野は、太郎坊山、岩戸山、船岡山、紅かす山など、美しい山容で巨石信仰や磐座信仰を伴う神体山が林立する、きわめて特殊な地域です。さらに、原始神道のワイルドな面影を残すとともに、渡来文化が日本海から押し寄せ、きわめて濃密で刺激的なエリアだと言えます。額田王が、この地域の神体山と磐座が醸し出す神聖感に無関心であったとは考えられません。


ところで、鏡神社の祭神、天日槍(あめのひぼこ)は新羅の王子で、当地に須恵器を伝えたといい、日本書紀には、天日槍と鏡山、近江国の鏡村の陶人(すえびと)の話が出てきます。

一方、袖を振った大海人皇子は、新羅派とされます。即位後の天武年間(672~686年)に、唐からの使者は来日しておらず、新羅からの使者は実に15回来日しているのですから、かなり密接です。当時の東アジア情勢と天智・天武の外交方針を考えた時、「あかねさす・・・・」を単なる三角関係の恋歌とのみ見るのは、あまりに皮相的ではないでしょうか。

新羅系渡来文化と原始神道が混在する地で、親新羅の皇子が、親百済でのちには親唐の天皇に隠れて、新羅系の美人?に袖振りを見せる・・・・何か深い意味があっても不思議ではありません。


「君が袖ふる」の言葉には、宗教的、呪術的な意味があるとされますが、それだけでなくこの地域の聖地性と巫女的な立場としての額田王という側面を重視するなら、そして当時の東アジア情勢を視野に入れるなら、この歌にはもっと別の暗喩が隠されているのかもしれません。あるいは「蒲生野の遊猟」そのものの意味にも、ひょっとすると別の深い意味が・・・・。



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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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