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救馬渓観音と小栗判官と熊野信仰

和歌山県西牟婁郡上富田町生馬の救馬渓観音。
ここは、約1300年の歴史を持つ、和歌山県南部で最古・最大の開運・厄除の霊場とされます。

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1300年前の飛鳥時代、修験道の開祖「役の行者」によって開山され、その後天暦7年(953)、空也上人が自ら刻んだ観音像を奉安。後に熊野詣でに行幸された鳥羽天皇が堂宇を建立され、寺名を「岩間寺」といったのがはじまりです。

ここには、小栗判官こと小栗小次郎助重にかかわる由来が語られます。

常陸の国小栗城で足利持氏の軍に破れ逃れた後、小栗判官は病気を治すため、妻の「照手姫」と紀州湯の峯温泉に湯治に向かいます。しかしこの辺りまで来たとき、突然愛馬が病に冒され動けなくなってしまいます。

この時、従者と共にこのお寺に参拝し祈願すると馬の病は全快し、無事湯の峯にたどり着くことができました。愛馬が救われたことに感激した小栗判官は応永33年(1426)堂宇を再建し、「救馬渓観音」と名付けられたのです。

では、この由緒ある救馬渓観音をご覧ください。
本堂の後ろが巨大な岩であることからわかるように、ここにもまた、巨石信仰、岩窟信仰がありました。


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さて、2006年03月01日付け 「歌舞伎/歌舞伎関連情報 」様のブログに、

≪今度の『小栗判官』は昼夜二部に。二部に分かれて、”猿之助十八番”の伝奇ロマン復活1≫
という評論を五十川 晶子様が書かれています。

土俗的な匂いのする「古い日本のドラマの原点!」という印象が強かった。現代人が補綴し監修し手を入れているはずなのに、だ。

と、その不思議な魅力を語り、さらに、

特に、熊野を舞台とした「道行」「熊野湯の峯」の場は結構ショックだった。可憐な照手姫(てるてひめ)が、足の悪い小栗判官(おぐりはんがん)を車にのせて、何度も力尽きそうになりながら曳いていくその姿はインパクト大。そして直視してはいけないような、聖なるもの、不可侵なものを、その二人の姿に感じてしまった。


では、小栗判官が蘇ったシーンと、照手姫に引かれて進むシーンを、救馬渓観音ホームページよりお借りします。

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このシーンは、史実としての「救馬渓観音」縁起譚とはことなり、説経節など中世から近世にかけて流行した語り物文芸に登場する、伝説上の人物としての『小栗判官』ストーリーです。

そのあらすじが次です。

およそ600年の昔、戦に敗れ常陸の国に逃れた小栗判官は、相模の大富豪、横山家の長女である照手姫と出会い恋におちます。しかし二人の関係に立腹した横山家は、小栗判官に毒を飲ませ殺してしまいます。

毒殺された小栗は、10人の家来とともに閻魔の前に行きます。

一緒に死んだ10人の家来が自分の身に替えて小栗の助命を願い、感動した閻魔は小栗の命を助けます。しかし生き返った小栗の肉体は、目も見えず耳も聞こえず、口もきけません

「熊野の薬湯に連れて行って湯に入れるように」という閻魔の指示どおり、藤沢の上人が
「一引き引いたは千僧供養、二引き引いたは万僧供養」
と札に書いて、 小栗を土車(台車程度の粗末な車)に乗せます。

「ひと引きで千僧供養に相当する功徳が得られる」という札の威力か、次から次へと見知らぬ人が交代で引き、照手姫が働いている美濃を通ります。ひどい姿の病人が小栗だとは当然気付かない照手姫ですが、「引くと千僧供養、万僧供養」とあるのを見て、死んだ小栗のために車を引きたいと思い、京都の近くまでひたすら引いて進みます。その光景が、先のシーンなのです。

遊女屋の主人との約束で、照手姫は美濃へ帰り、また小栗判官は見知らぬ人々の善意で熊野の霊湯に至り、見事に回復します。


先に書かせていただいた五十川 晶子様の評論に、

「土俗的な匂いのする「古い日本のドラマの原点!」という印象が強かった。現代人が補綴し監修し手を入れているはずなのに、だ。」

「そして直視してはいけないような、聖なるもの、不可侵なものを、その二人の姿に感じてしまった。」


とあるのは、率直で見事な表現だと思います。

この話には、中世から近代にわたる日本人の琴線に触れる要素に溢れています。最初は前述の救馬渓観音縁起譚に見るような、シンプルなストーリーだったのでしょう。しかし、説教師などが説いて回るうち、人々が納得し、感度し、涙を流すストーリーに少しずつ変化してきたのです。ですから実際にたくさんのバリエーションがあります。

権力者や貴族ではなく、普通の民衆が磨き上げた文化だから、普通の日本人の心に深く食い込むストーリーなのは当然でしょう。(まあ昭和生まれまでの感性かもしれないですが。)

私がいちばん感動するのは、見知らぬ人々が、次から次へと、ひどい姿の小栗判官の土車を引いていくことです。
「そんなこと実際にはありえないだろう」と思う方もおられるでしょうね。しかし全くありえないストーリーに民衆は涙を流さないし、何百年も伝わることもないでしょう。


伊勢参宮には、「抜け参り」というスタイルがありました。
親や主人、村役人に無断で家を 抜け出し、伊勢神宮に参拝することで、帰ってからも叱責されなかったといいます。

ある記録では、現在の福島県に住む少年二人が、誰にも言わず伊勢参りに出て、何週間か後に無事に帰って来たと書かれています。もちろん所持金なしです。

「伊勢にお参りに行く」と言うだけで、道々で親切にしてもらえ、食事も寝るところも、なんとかなったのです。関所も通れるのですから、
「農民や町人が、移動もままならない厳しい監視下に置かれていた封建社会」という教科書的なイメージとはかなり違います。
熊野詣でも同様でしょう。

一般の参詣者だけではなく、小栗判官と同じく、粗末な車に乗せられ、万難を排して熊野や霊湯を目指した重病人や障害者はたくさんいたようです。そんな事実があったからこその「小栗判官」ストーリーでしょうね。
逆にまた、その説話を聞いた人が、小栗判官のような人が通りかかった時に、自分にできる手助けをしようと決意する、そんな社会だったと思います。

「そんな気持ちの悪い人に関わって、病気が移ったらどうするの、やめときなさい。」といわれても、
「ひとつ引いたら千僧供養なんだよ。すごい功徳なんだ。」
と言い返せた日本の中世社会は、ある意味素晴らしかったと思います。

そして、小栗判官伝説に史実としてかかわる救馬渓観音が、巨石信仰と洞窟信仰を起源とする聖地らしいことも、熊野信仰の層の厚さ、信仰の重層性を如実に表しているように思えます。

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         (お地蔵様を持ち上げて、軽く感じたら願いがかなうそうです(^'^)


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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