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鹿児島神宮に秘められた謎・秦氏とユダヤと縄文

正月明けは、鹿児島県に行っておりました。

私の地元、京都のお年寄りの中には、薩摩・長州をよく思わない方もほんの少しおられます。
「天皇はんを、無理に江戸へ連れていかはったさかいなぁ。」
などという、はんなりした理由なのでしょうか(?_?)

たしかに、西郷隆盛などに代表される薩摩藩は、京都の伝統とはかなり違う感じもします。
ところが、島津の殿様のご先祖は秦氏です。平安京の土台を造ったのも秦氏。どっちみち、日本の歴史の背後には「フィクサー秦氏」がいますから、明治維新をどう思おうが、結局は秦氏の掌の上で操られているだけなのかもしれませんね!(^^)!


いきなり余談です。
第80代内閣総理大臣の羽田 孜(はた つとむ)氏が昨年8月28日に亡くなられましたが、羽田家の先祖は秦氏です。秦一族の主流がもしユダヤ系ならば、日本の歴史を操っているのはユダヤだという説が成り立つわけです。まあ、「信じるか否かはあなた次第」のトンデモ説とするのがふつうなのでしょうが。


石體神社訪問

さて、鹿児島へいった第一の理由が、霧島市隼人町の「石體(せきたい・しゃくたい・いわた)神社」を訪問するためでした。このお社は鹿児島神宮の境内にあるのですが、元はと言えば、この地こそ鹿児島神宮があった場所でした。神宮が今の地に移った後も、石のご神体だけはそのまま留まり、摂社として祀られたようです。

鹿児島神宮のホームページにも
御創建は遠く神代の頃、御祭神彦火火出見命が高千穂宮を営んでいたところと伝えられる旧社殿地。
と書かれています。鹿児島神宮の創建にかかわる極めて重要な故地であることは、疑う余地がありません。

では、その「石體神社」は、いったい何を祀っているのか。
撮ってきた写真が下です。

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神社手前の看板には、側面に次のような説明がありました。

御祭神:天津日高彦穗穗出見尊、豊玉比賣命
 由緒:当石體神社の位置は御祭神天津日高彦穗穗出見尊、豊玉比賣命が都として高千穂宮を経営された正殿の在った所で、そのまま社殿として祀ったもので鹿児島神宮の起こりでもあります。
和銅元年(708)現在の鹿児島神宮の位置に遷り、その跡に社殿を造ったのが石體神社であります。
御妃は御子鵜鴎葺不合尊を鵜の羽根で葺く産床の葺き終えないうちにお産みになった程お産の軽かった方で、その御神名よりして伺えます。現在本殿の前の石塔に小石が沢山ありますが、御神体の代わりにその一つを頂いてお産後は一つ加えてお返しする慣習があります。岩田帯はこの石體神社より出た言葉という説があります。



ここから進んで、参道入口には、まず二つの巨石が門のように鎮座していました。

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「2018/01/04:生名島のメンヒル・ヨーロッパと同じ巨石文化なのか・・・」の記事でも書きましたが、門のような岩の鎮座する神社はかなりあります。その例が下です。

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いずれも起源が弥生時代より古い可能性のある磐座あるいは古社ばかりです。鳥居やしめ縄のように、神域を示すものと考えられます。
つまり、この石體神社も、かなり古い起源である可能性があるのです。


さらに緩やかな坂を進むと、比較的新しい拝殿がありました。
その横を見ると、こんなものが。

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ここは、名前の通り、石を祀るお社でした。

ところが、ご神体はこの岩ではありません。
石體神社のご神体は秘物になっていて、藁薦をもって覆ってあるというのです。毎年その藁薦をかえるときは、神官のみが潔斎して内陣に入り、薦更の式をします。そしてそのあと深く密閉して、誰もそれを見ることができないのです。

いったい何が隠されているのか。
小さな本殿の周りをぐるぐる回って覗き込みますが、当然見えません。

このお社の場所には縄文早期の貝塚があります。ひょっとすると、縄文時代からの熊襲や隼人の氏神が祀られていた可能性があり、それを示唆するようなご神体石なのでしょうか。
それとも、宇佐神宮の宮司家の系譜に繋がる、秦一族の「辛島氏」が後に持ち込んだご神体なのでしょうか。



鹿児島神宮訪問

この後、すぐ近くの鹿児島神宮を訪問しました。

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驚いたことに、本殿の背後には、岩がいくつもありました。普通、本殿背後にあるのは古いご神体です。これは磐座なのでしょうか。

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さらにそのまた奥には、稲荷の祠があるのですが、その参道も岩がごろごろしています。つまり、かつては本殿の背後にかなりの規模の磐座があった可能性があります。

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その稲荷のお社の先には、神体山としか思えない、きれいな山がありました。

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「鹿児島神宮の背後に神体山? 聞いたことないなあ・・・。」

おそらくみなさんそう思われるでしょうが、実際にあるのです。樹木に隠れて見えにくいのですが、宮地嶽神社や防府天満宮でお見せしたように、「鳥居の上の三角」がここにもあったのです。

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参考までに、宮地嶽神社や防府天満宮の神体山。

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実は、ここに来る前、「隼人」とか「熊襲」と呼ばれる人々の文化は、ひょっとすると畿内の文化とはかなり違うのではないかと内心思っていたのですが、磐座と神体山の文化は全く同じでした。というより、この信仰文化が入ってきたのは、こちらの方が先なのかもしれませんね。



鹿児島という名前の起源

さて、「かごしま」という名前はどこからきたのでしょうか。
ウィキペディアにはこうあります。

鹿児島神宮(霧島市隼人町)に由来する。「鹿児島」の語源は、天津日高彦穂々出見尊(山幸彦)が海神宮(わたつみ)に行く際に乗った舟が鹿児山で作られたという説や、「神籠もる島」という説、「カゴ」は崖という意味で、四方が崖に囲まれている桜島は「カゴ島」と謂われ、鹿児島は桜島の古い名であるという説、など諸説ある。

「鹿児島(麑島)」という地名は奈良時代後半以降に使われており、最近では鹿児島神宮より地名の方が早いと見る研究者も多いようです。しかし、南九州唯一の「大社」となるには、それ以前の長い歴史があるはずであり、とりわけ石體神社の歴史の古さを見れば、鹿児島神宮から鹿児島という地名が始まったものと私は考えます。

ズバリ結論を言います。

「かごしま」とは、「かご・かーご・こご・こーご」系の、いわゆる「神籠石」信仰が石體神社にあり、かつて「かごの社」というような名前で呼ばれていたのではないか。それが鹿児島神宮となり、鹿児島県になったのではないか。


以前にも書きましたが、日本全国には、皮籠石、神籠石、川籠石、神向石、高後石、香合石、向後石、皇后石、交合石、川子石、交互石、古語石など、この系統の岩がたくさんあります。高良山などの朝鮮式山城を連想する方も多いでしょうが、本来「こうご石」とは、特定の形状の岩でもなく、山城でもなく、「こうご」という謎の言葉を冠した、不思議な岩石を指すのです。

「2017/10/18:神功皇后・神籠石・籠池氏と 謎の言葉について」で、籠池氏もこの系統の言葉を冠した苗字の可能性があると書かせていただきました。意外に身近にあると思っています。


またウィキペディアにも、こう書かれています。

神籠石は、当て字で皮籠石・交合石・皇后石などとも書き、「こうご」の本来の意味は分かっていない。本来高良大社の参道脇にある「馬蹄石」など、神の依り代となる岩石のことを指す名称であったが、近くにある列石(高良山では「八葉石塁」「八葉の石畳」と呼ばれていた)と混同して学会に報告されたため、列石遺構の方にこの名が付けられた。その後、他の類似した石積み遺構にも神籠石の名を冠するようになったが、命名の経緯からすれば明らかな誤りである。

「こーご(こご)」や「かーご(かご)」などと発音する岩のことを、漢字の当て字で表現したため、今度はその漢字の意味が伝説を生むという歴史的変遷があったようです。

では、こーご、かーごというのは、いったい何語で、どういう意味なのか? それは謎のままです。ただ、ひょっとしたら縄文時代にさかのぼるかもしれない、古い石の信仰なのです。


鹿児島神宮と石體神社をとりまく大量の磐座信仰を見る時、それは単なる論理の飛躍とは言えない現実性があると思います。

こういうと、「そもそも南九州にも、かご石なんてものがほんとうに存在するのか?」という質問が予想されます。その答えは、また改めて記事とさせていただきます。

(続く)


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コメント

No title

こんにちは
私も秦氏について興味あるので、秦氏関連の場所には好んで訪れています。
鹿児島旅行の際は石體神社にも行きました。
行っただけで、まだまだ自分なりの全体像を描けていません
・・・勉強不足です(^-^;
かご・かーご・こーご、なるほどです。

Re: No title

石體神社行かれたのですね。今は拝殿が新築されていますが、昔の写真を見ると、拝殿と本殿の間に岩があったように見えます。新築前に行きたかったです。
島津以前から、辛島氏とか秦氏がすでにかかわっていたのか、秦氏にかんする歴史は、想像がふくらんで楽しいです。また秦氏でおもしろいところがありましたら、ご教示いただけると幸いです。
なお「かご石」説も、まぐれ当たりをねらった怪しい思い付きですので、論拠不十分なところは笑って見過ごしていただけると幸いです(^'^)

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sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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