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継体天皇と原始信仰の謎②・福井平野の岩神とミニピラミッド

(今回は継体天皇と福井県の神社について書きます。)

まず紹介するのは、福井県越前市大虫町に鎮座する大虫神社です。
武生駅周辺から、県道190号線をまっすぐ西へ進むと、大虫川を渡るころに、鳥居が見えてきます。延喜式神名帳には「越前国丹生郡 大虫神社」と記載され、越前国で2社だけの名神大社という、この地方を代表する格式の高いお社です。

社伝によれば、崇神天皇7年、南越地方を平定・開拓した天津日高彦火火出見命の霊を鬼ヶ嶽の山頂に祀ったのに始まると伝えます。垂仁天皇の時代にイナゴが大発生したけれど、当社に祈願した所たちまちイナゴは退散したそうです。天皇はこれを喜び、当社を大虫神社と称し、山頂から現在地に遷座したと伝えられています。

こんなレトロモダンな橋を渡ると、境内です。

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本殿裏手には、大岩神社という小さな社殿があります。正面からのぞくと、裏へシースルー。

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社殿裏がご神体だと思って背後にまわると、磐座がありました。

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ご神体の「お岩さま」です。この大きさは、巨石信仰と言っていいでしょう。鬼ヶ嶽山頂に当社の奥社があるそうです。そこにも磐座があるのでしょうか。

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この「お岩さま」には、不思議なことが書いてありました。

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この石がみずから動いて、山の下や 山の上など、居場所を変える事があるというのです。「人力の及ぶ 所にあらず」とまで書かれていますから、きわめて特別な力を持つと信じられていたようです。全国各地には、石神、磐座の類は何千とありますが、ここまで神威が強い岩はほとんど見かけません。

またその横には池があり、「石神の湧水」でご神水をいただくことができます。たまたま車にあったポリタンにしっかり汲んで、持ち帰りました。

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崇神天皇7年という年代が大きく違わないなら、同じ福井の平野部ですから、後に式内明神大社となる大虫神社のことを、支配者としてのオホド王(継体天皇)が知らないとは思えません。他所から運ばれてきてぽつんと立つ磐座は、継体天皇の父、彦主人王の御陵を守るように立つ近江高島の田中神社の磐座と、形式的には同じです。



さらにもう一つ、原始信仰の様相を残す神社を紹介します。
福井県越前市芝原にある飯部磐座神社( いべいわくらじんじゃ)です。

福井鉄道・家久駅の西500mほどの芝原に鎮座。周囲が住宅地で、そこだけが小さな丘になっています。道路に接していきなり階段と鳥居があり、見上げると異様な巨石がごろごろと集積しているのが見えます。

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ふつう、これだけの巨石がある神社は、人里離れた片田舎や山中にあることが多いのですか、ここは全くの平野部。民家の上に巨大な磐座が眺められるというロケーションは、まず他ではないと言って過言ではありません。

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ここに来た人が等しく思うのは、「なぜこんなところに?」という疑問のようです。

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享保十一年(1726)失火し、旧記録等は焼失したといいます。しかし社伝によると、貞観十五年(873)、土地の豪族伊部造豊持が遠方より大磐石を運び積み重ねて磐座を造り、社殿を建てたといいます。

この伝承が正しければ、全くの平地にかなりの労力をかけて、巨石を運んで神社(磐座)としたことになります。神の座として磐座を設置するにしても、田中神社や大虫神社のような一個の巨石を据え付けるだけでも良いはずです。なぜここまで巨石累々としなければならなかったのか、その答えは謎です。

さらに、土台となった丘自身も、人為的に土砂で積み上げたと考えるのが自然でしょう。
近江高島の白鬚神社には明らかに神体山があり、麓に磐座がありました。水尾神社も山麓にあり、巨大な磐座が存在します。田中神社も山麓の磐座でした。
前述の大虫神社では、鬼ヶ嶽山頂に大岩神社の奥社があり、神体山とみなすことができます。それらを、聖なる山に降りた神や霊を麓に導くための磐座だと考えるならば、飯部磐座神社の丘の謎が解けます。そう、神が降臨する山を、平野の真ん中に作ったというわけです。いわば、ミニピラミッドです。

さて飯部磐座神社の創始年代が貞観十五年(873)という伝承が正しければ、継体天皇より後の世になります。多くの場合、公的な伝承より創始年代は古い場合が多いのですが、伝承通りとしても、地元の豪族が巨石を集める動機には、古くからの伝統的宗教観念があったとみるのが自然でしょう。それにしても、巨石累々たるミニピラミッドを実際に目にすると、原始神道に対する観念が揺らぐ程の衝撃を受けます。

結論です。

福井平野は、原始神道的な観念がかなり濃いところです。少なくとも継体天皇の周辺には、山上に降臨する神を、麓の磐座で迎えるという観念が確実にあったと思います。
むろんこれは珍しいことではありません。天孫降臨神話では、邇邇藝命(ににぎのみこと)が、天照大神の神勅を受けて日向国の高千穂峰へ天降りました。その系統の神話や信仰を、継体天皇も地元で身近に感じていたというのは無理な結論ではありません。

ただしこれは、次回への伏線となります。

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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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