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継体天皇と原始信仰の謎①・近江高島の古代文字と磐座

第26代継体天皇は、従来の大王家とは血縁のない「新王朝の始祖(初代大王)」とする、水野祐氏の「三王朝交替説」は、戦前にはありえない衝撃的な内容でした。しかしその後、いろいろな説が出るものの、結局謎に包まれた天皇として現在に至っています。
現天皇家の祖先として、存在が確実な天皇とされながら、生年月日も古墳も、あやふやなままなのです。

例えば、生まれたのは、『古事記』では485年、『日本書紀』では允恭天皇39年(450年?)。
亡くなったのは、『古事記』には丁未4月9日(527年5月26日?)、『日本書紀』には辛亥2月7日(531年3月10日?)または甲寅(534年?)。
こんな事情のため、『朝日日本歴史人物事典』では「生年:生没年不詳」と記述されているくらいです。

さて、いずれにしろ継体天皇は、近江国高嶋郷三尾野(現在の滋賀県高島市あたり)で誕生し、幼い時に父を亡くしてからは、母の故郷である越前国高向(現在の福井県坂井市丸岡町高椋)で育てられました。

そこで私がふと思ったのは、「継体天皇は、どんな信仰環境で育ったのだろう?」
という疑問です。

このブログは、「風土記の時代から続く原始信仰」をテーマとしていますが、時代からいえば「風土記以前」の原始信仰の中で、オホド王(継体天皇)は育ったはずです。滋賀県高島市と福井県坂井市の周辺にある原始信仰の色濃い神社には、幼少期や青年期のオホド王も信仰や祭祀にかかわったのではないか、そしてそれが彼の精神に大きな影響を及ぼしたのではないか、そう考えて、探ってみました。


まず近江高島市周辺です。

下は、近江高島市の三尾里集落の南、田園地帯に築かれた『胞衣塚(えなづか)』です。
オホド王を出産した際、胞衣をここに埋めたという伝承が残されています。

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このすぐ南を流れる川を『御殿川』、付近の小字を『上御殿』『下御殿』と呼び、継体天皇にまつわる伝承がぎっしりあります。


下は、安閑神社です。継体天皇の後を受けて、66歳にして即位したものの、わずか4年で崩御した安閑天皇を祀るお社でしょうか。文禄年間(1593-96年)に権現堂として創祀されたともいわれ、由来は定かではありません。

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少なくとも安閑天皇後の創設ですから、継体天皇の時代にはなかったお社です。しかし、そのお隣に不思議なものがあります。
『神代文字碑(じんだいもじひ)』です。

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花崗岩の巨石に、絵画とも文字とも判別できないものが刻まれています。古くから伝えられているものだそうですが、それ以上のことはわかりません。
ひょとすると、幼少のオホド王も「大昔はこんな文字が使われていたんだよ。」と教えてもらっていたのでしょうか。



次は、大字田中郷の総氏神、田中神社です。

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流鏑馬の神事や、艶やかな笠鉾が参道を一巡し、一大絵巻を繰り広げる「田中祭り」が有名です。ただし創祀年代は不詳。一説に貞観年間(9世紀後葉)の創祀ともいい、あまり古くからあったとは限りませんが、気になる立石が本殿前にあります。

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場所的に見て、現社殿の建立前には、祭祀の中心たる磐座だった可能性もありそうです。

このお社の裏には、継体天皇の父、『彦主人王(ひこうしおう)』の古墳とされる王塚古墳があります。宮内庁の陵墓参考地で、約70基ある田中古墳群中最大のものです。
苔を敷き詰めたような不思議な回廊空間の先に、直径58mの帆立貝式古墳(または円墳)がありました。

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本来、田中神社の創始は、彦主人王を含む古墳群の祭祀にあったのかもしれませんね。


次は、鴨稲荷山古墳です。
全長60mの規模を持つ前方後円墳で、豪華絢爛な副葬品が出土しています。極めつけはこの王冠と靴。

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この古墳は、継体擁立に力のあった三尾氏の首長クラスでしょうが、かなりの富と権力が伺えます。家型石棺の石材は、奈良の二上山産の白色凝灰岩なので、被葬者は大和や奈良の有力者と関係があったことは間違いありません。

また副葬品には百済の影響も見られることから、継体天皇は単に土地の風土と文化のみならず、海外を含めた先進文化にも接していた可能性が伺えます。


さらに重要な神社があります。第11代垂仁天皇皇子で三尾君の祖とされる磐衝別命(いわつくわけのみこと)と、継体天皇の母の振姫を比咩神(ひめがみ)として祀る『水尾(みお)神社』です。ここが継体天皇と直接かかわるのは言うまでもありません。
ここには、巨大な磐座がいくつもあります。
例えばこれです。

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ここは山麓にあたりますから、神体山と磐座の関係でしょうか。



最後は、昨日の『白鬚神社』です。
湖中鳥居は新しいとしても、秀麗な神体山は昔からありました。第10代崇神天皇が、すでに神体山である三輪山祭祀に苦労していますから、神体山信仰という信仰的概念は継体の時代にもありました。さらに檀君神話をはじめとする北方ユーラシア系の祖先神降臨伝説も、交流の幅広い継体天皇周辺は知っていたでしょうから、現白鬚神社の神体山と磐座はかなり意識されていたのではないかと思います。



(福井編に続く)

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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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