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日向石神社とストーンサークル

(前回の続きです。)


これは、岡山県瀬戸内市長船町磯上の日向石神社跡に残る磐座です。

 
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ここからもう少し山道をたどると、ストーンサークルがあるということで、行ってみました。


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累々とした巨石を発見。果たして・・・・


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巨石群の中心かと思われる平石がありました。


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ここが祭祀の中心部なのでしょうか。

周囲にも巨石群。


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明確にストーンサークルかというと、よくわからないというのが正直なところです。元は円形だったものが、風雨による長年の浸食や地震などで、石の配列が変わった可能性はあります。

いずれにしろ、付近に日向石神社の磐座(祇園天王磐座)がある以上、巨石に畏怖感や神聖感を抱いた人々が、この巨石群にも何らかの祭祀を行ったという可能性は高いと思います。奥津磐座という位置づけかもしれませんね。
しかし出土物や伝説等、詳しい情報はありません。

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さて、日向石神社磐座(祇園天王磐座)の石垣に織り込まれた、屋根瓦類。


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下の説明を読むと、これらは旧日向石神社の屋根瓦なのでしょうね。油杉地区民の大切な場所と書いてありますが、天孫降臨にまで言及するというのは、地域における太陽信仰の聖地だったのでしょうか?


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ところで地元では「油杉(ゆすぎ)=弓月」という有力な説があるようです。
弓月君(ゆづきのきみ)といえば、多数の民を率いて渡来したと『日本書紀』に記述された、秦氏との関係があるかもしれません。

あるいは「長船町磯上」という地名からは、邪馬台国候補地とも言われる「磯神物部神社(福岡県みやま市)」のほか、奈良県天理市の石上神宮が思い浮かびます。


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また同じ岡山県の赤磐市石上にある石上布都魂神社も、物部氏と深い関係があります。


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つまり「石上=磯神=磯上=いそのかみ」なのです。日向石の太陽信仰も、物部系なのかもしれません。

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さらに、日向石神社の旧社殿は、多賀神社の美和神社に移築されたとありますが、ここから約3㎞南に鎮座する広高山の美和神社は、奈良の三輪山の大神神社との関係が深いとされます。(谷川健一編・日本の神々第2巻 P.127を参照)


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三輪山山頂には日向御子神を祀る高宮があり、その背後は有名な奥津磐座群です。そういえば、現在は禁足地である三輪山頂奥津磐座群の背後の稜線には、小ぶりですがストーンサークルがありました。

いずれにしろここが、秦氏・物部氏・大三輪信仰と何らかの関係があるとすれば、ストーンサークルとよばれる巨石群を含めて、古代の深い謎が秘められていそうです。

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謎と言えば、日向石神社跡の背後には、土塀の跡が見られます。半円状に取り囲んでいたという情報もあり、確かにカーブしている場所も見られます。何か太陽信仰との関連があるのでしょうか。


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一方、これは日向石神社磐座へと向かう山道ですが、途中の案内板で右に折れると、牛神社と道祖神へと向かいます。


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こちらは牛神社。


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太陽信仰や天孫降臨とは対極的な、農山村の民俗信仰ですね。
この山には、さまざまな神社・信仰・磐座が重なっているようです。

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さて、元は巨大な立石だった可能性が高い、祇園牛頭天王の磐座ですが、幟にはスサノオが描かれています。


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これらの信仰は織田信長や明治政府に忖度した結果である場合が多いといわれ、また本社たる京都祇園の八坂神社においても、牛頭天王・スサノオが祭神となったのは比較的新しい時代とされています。
ということは、やはり先の説明板の通り、巨大な立石は日向石という名称であり、太陽信仰の巨石であった可能性が高いというのが結論です。


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ひょっとすると、日向石の上に、特定の時季の朝日が昇るというような構造だったのかもしれません。想像をたくましくすれば、岩の上では巫女が舞ったり供物が置かれて、儀式が執り行われたかも・・・。

というわけで、かなりの謎を秘めた磐座群と日向石神社の紹介でした。


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コメント

No title

とても興味ある話題ですので、お待ちしていました。
恐らく二世紀の弥生時代のストーンサークルだと思います。吉備津彦神社の池の小島にもあるようです。【検証7】桃太郎はニギハヤヒだった?(*^▽^*)に記載しています。https://blog.goo.ne.jp/katumoku10/e/7df2f600e414d790a560c23badfe2e35
そしてご存じだと思いますが、「日本ピラミッドの謎?(@_@)?」に記載した庄原市葦嶽山の山頂に酒井将軍が複葉内宮式ストーンサークルがあります。https://blog.goo.ne.jp/katumoku10/e/e0fd56523137c78ee2920e275a64d100
葦嶽山の中腹に「奴国乃大王」の進学の鳥居があり、葦嶽山を遥拝できるようになっています。また葦嶽山の傍らにドルメンや多数の巨石が配置された遥拝所の鬼叫山というオドロオドロしい名前の山があります。本村町に蘇羅比古神社があり、祭神が数多く祀られていますが、神話で大吉備津彦とされたニギハヤヒを隠すためだと推理しています。この地から吉備の鬼退治に出かけたと、吉備津神社がいくつか途中に存在しますので、推理しています。吉備中山は龍蛇神(ナーガ)奴国王に因む名前です。ヤマト王権はニギハヤヒの子孫狗奴国王卑弥弓呼(ヒコミコの誤記だと思います)とされた記紀の開化・崇神天皇が纏向に王宮を遷し、各地の奴国王に関わる豪族を呼び集め、三世紀末にヤマト王権
を成立させたと推理しています。このストーンサークルでお気づきのことがありましたらまたお教えください。どうも有難うございました。

No title

申し訳ありません、酒井将軍が「指摘した」ということばを落としてしまいました。訂正してお詫びいたします。よろしくお願いいたします。

Re: No title

刮目天 一 様

いやーマニアックな話題が次々に出てくると、ニヤリと嬉しくなります。
葦嶽山へは、昭和50年代、まだ看板も何もないころに苦労していきました。雨がちな日でしたが、山中に仲間とテント泊したことを思いだします。鬼叫山を含めて山頂部も行きましたが、人工的なストーンサークルとか方位石とするのは、そのころすでに無理があると思いました。ただひとつ普通じゃないと思ったのは、鏡石前に立つ、上部に盃状穴のある石柱です。政府の弾圧で爆破される前はもっとたくさん立っていたという話もあるので、落下あるいは散逸した石柱の破片とかが確認できれば、もはや神殿と言っていいように思います。大湯ストーンサークル近くにあるクロマンタ山にも上りましたが、やはり特別な印象はなかったのが残念です。吉備津彦神社のように、有力な神社の境内遺跡として守られているストーンサークル以外は、建材に使われたり滑落したりで、建造時のまま残っているものは少ないのかもしれませんね。
ニギハヤヒという視点は、たしかに重要だと思います。物部に関係しているなら、日向石神社の祭神は本来ニギハヤヒですよね。ストーンサークルと言われている巨石群の中に、岩船的な形のものがなかったのか、探すべきでした。😥

No title

またまた、貴重な情報を頂き有難うございます。やはり葦嶽山は思い出深い山でしたのですね( ^)o(^ )
葦嶽山・鬼叫山について、さらネットでいろいろと調べたところ、平津豊氏の論文に巨石群の配置や方角など詳しく載っていましたので今検討しています。
https://mysteryspot.org/report/ashitake2/ashitake02.htm
しかし、以下の二点が不明です。
①葦嶽山を仰ぐ奴国乃大王の鳥居は鬼叫山側の登山道だったでしょうか?それとも灰原ルート側でしょうか?
②葦嶽山山頂の天狗岩の方角が気になっています。ひょっとして奴国王の王宮があった須玖岡本遺跡に向いていないのか?と考えていますが、もしもご存じでしたらお教えください(^_-)-☆

それから、おっしゃるとおり、日向石神社は表向きは崇神天皇が祭神ですが、ニギハヤヒの子孫ですので、ニギハヤヒを隠すためだと思います。奈良県三輪山の高宮神社の祭神日向御子神もニギハヤヒの可能性がありますので検討中です。
また天王は牛頭天王スサノヲのことでしょう。第18代奴国王で宮廷楽師師升らのクーデターで殺されたと推理しています(詳細は「倭王帥升(すいしょう)は何者だ?(´・ω・`)」
https://blog.goo.ne.jp/katumoku10/e/bf95b40a4ef2287da45d67252a787255 参照)。
そして天王という地名を葦嶽山の南西方向で発見しました。葦嶽山はスサノヲを祀る祭祀場で間違いないと思います(^_-)-☆

ニギハヤヒは奴国を脱出し、師升らの奴国に靡いた裏切り者の吉備の勢力を討って、吉備で奴国を再興したので宋史 王年代紀19代王天照大神尊とされました。楯築王墓の被葬者と推理しています。その南の真宮(しんみや)神社にも立派なストーンサークルがあるとのことです。ニギハヤヒが兄スサノヲの鎮魂祭祀を行ったと考えられます(詳細は「王墓山古墳(倉敷市)の被葬者は誰?(^_-)-☆」https://blog.goo.ne.jp/katumoku10/e/d0cf507164f0fd05f28de67905d8b649 参照)。

どうも有難うございます。また、記事にしますのでよろしくお願いいたします。

Re: No title

刮目天 一 様

結論を先に述べると、ご質問のどちらも、明確には分かりませんでした。(なんせ昭和の昔なもので)
奴国乃大王の鳥居については、そんなものを見た記憶が全くなく、果たしていつごろ建てられたのかも不明です。サンデー毎日の調査報告にも、多分この鳥居の事は載ってないと思います。天狗岩については、特に人工的だという意識もなかったので、立地点や角度の測定等、詳しい記録はありませんでした。前回述べたように、石柱(神武岩)以外は、明らかに人工的な構築物という確証は持てなかったというのが正直なところです。真宮神社の「蛇頭岩」については、2019/11/22 の記事にも書きましたが、吉備津神社・吉備津彦神社をはじめ、吉備中山の重要地点を貫く夏至線上に位置しているので、かなり深い謎が秘められていると思っています。


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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