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雨乞山と加茂神社(淡路市)の巨石信仰

神社の奥宮やご神体としての巨石・磐座祭祀は、神社それぞれの祭祀スタイルと関係が深いのでしょうか?
そんなことを考えさせてくれるのが、兵庫県淡路市生穂の雨乞山です。

グーグルマップでも検索可能な雨乞山へは、山麓南側のこんな場所が登山口です。


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この北側100mほどには、広い駐車スペースもある便利なところです。
山道をしばらく上ると、こんな景色に出会います。


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巨大な岩はあまりないのですが、累々とした岩石は何か特別な意味を感じさせます。
湯津石村(斎つ磐群・ゆついわむら)と表現される磐座群でしょうか。

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この祠から上にも巨石が続き、明るく開けた頂上があるようです。


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上がってみます。


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説明板にはこう書かれていました。


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淡路八景 雨乞山公園
昔から水不足に悩まされた淡路島、江戸時代の明和(1766年)から天明年間(1784年)にかけての大飢饉は、淡路島にも大きな被害をもたらし、当時島内各地で盛んに雨乞祈願が行なわれていました。往時この山の頂に水の神様の「貴船」の神と、火の神様の「愛宕」の神を祀って雨乞祈願をしたところ大雨が降ったので雨乞山と名付けたのがこの山の名の起こりとされています。
干ばつの年にはこの山頂で松薪を焚き、地元生穂の里人が交代で数日間山に篭り、蓑笠の雨具をつけて「大雨たんもれ、じんぐいな、天に大雨ないかいな・・・」と唱えながら、鉦と太鼓を打ち鳴らし祈願を続けたといいます。
雨乞山は海抜159.4米で、古くから「淡路八景」のひとつとして知られており頂上からは大阪湾を広く望み、また郷土津名が一望出来る景勝の地です。この頂上には、御社岩、焚火岩、龍越の岩、覗岩等の自然の巨岩が神秘的な姿で磐座として信仰されています。
雨乞山保勝会



さて、この頂上部でどうも気になるのは、八咫烏(ヤタガラス)が描かれた賀茂神社のパネルです。


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調べてみると、山麓の賀茂神社ホームページには、こう書かれていました。


雨乞山は巨石信仰の山としても有名です。当社は神が宿る奥の院として往古よりこの山を遥拝してきました。山頂付近では、御社岩、焚火岩、龍越の岩、覗岩等の自然の巨岩が神秘的な姿を見せています。雨乞い祈願が始まる江戸時代よりはるか昔から磐座(いわくら―神が宿る巨石)として信仰されていたのです。


なるほど、この山は賀茂神社奥の院の神体山と、その巨石信仰の場なのですね。

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これは、賀茂神社系の本家である、京都の上賀茂神社。


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このお社の起源は、北北西2キロにある神山の山頂にある磐座に、賀茂別雷大神が降臨したことに始まります。


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ちなみに厄払いの「盛り塩」の起源とされるこの立砂は、その神山を象ったものとされます。


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本家の上賀茂神社で神体山と磐座が祭祀の起源なのですから、こちらの賀茂神社でも雨乞山とその磐座が祭祀の中心と考えて無理はありません。

  
   ★

雨乞山山麓の賀茂神社ホームページには、パネルに描かれていた八咫烏について、こんな説明が。

八咫烏の伝説と賀茂氏
八咫烏(ヤタガラス)は、日の神アマテラスによって窮地に陥っていた神武天皇の元に遣わされ、天皇を熊野国から大和国へ導いたとされる三本足のカラスです。

日本神話では、イワレヒコ(後の初代天皇・神武天皇)が日向の国(高千穂)から大和への東征の折、熊野で地元の豪族たちの激しい抵抗を受け、山中で道に迷い孤立してしまいます。それを高天原から見ていた天照大御神は、八咫烏を遣わして道案内をさせて進軍を助けたと記されています。


前回記事では、聖剣フツミタマで復活した神武天皇の話題でしたが、元気を取り戻した神武天皇一行は、次にヤタガラスに導かれ、ヤマトへと向かいます。つまり記紀神話においては、フツミタマとヤタガラスが神武建国の最大の功労者とされているのです。

ちなみにこれは、熊野本宮『大斎原』のヤタガラス。


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加茂神社ホームページの説明は、さらにこう続いています。

元々、賀茂氏は三本足のカラスを神の使いとして信仰しており、「導きの鳥」ということから人々を幸福に導いてくれると考えてきました。三本足は、智・仁・勇、また、天・地・人、あるいは、過去・現在・未来を表すとも云います。

代々の天皇の即位礼に用いられた袞竜衣龍には、左胸に「三足鳥」、右胸に「ひきがえる」、背面には「北斗七星」と「四神」が描かれています。
また、勝利に導く鳥として、日本サッカー協会のエンブレムにもこの八咫烏は登場しています。


確かにサッカーで有名な三足鳥。


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しかし左胸に「三足鳥」、右胸に「ひきがえる」という妙な組み合わせ・・・・実はコレ、大変謎が大きい言葉です。

ウイキペディアの青蛙神という項目には、こう書かれていました。

青蛙神(せいあじん、ちんわせん)は、中国の妖怪。ただ「青蛙」とも。蝦蟇仙人が従えている三本足の蟾蜍(ヒキガエル)の霊獣とされる。3本の内訳は前足が2本、後足が1本で、後足はお玉杓子の尾のように中央に付く。

概要
天災を予知する力を持つ霊獣もしくは神。大変に縁起の良い福の神とされ「青蛙将軍」、「金華将軍」などとも呼ばれる。道教徒の間で特に信仰されていた。

清の蒲松齢の小説『聊斎志異』にも登場する。日本では青蛙神を題材に岡本綺堂が『青蛙堂鬼談』を執筆し、彼の養子の岡本経一が創立した出版社は青蛙神にあやかって「青蛙房」と命名されている。

本来は、いぼを多く持つヒキガエル、いわゆる蝦蟇蛙がモデルであるが、名称からアオガエルと取り違えて描かれている例も見られる。

伝承
中国では月に青蛙神がいるとされている。蝦蟇仙人はこの三足の蛙を捕えるために、金貨で釣り上げて従えたといわれている。 家の庭先に青蛙神がでると、その家に金運があり、幸せが訪れるとも言われている。



一方、ウイキペディアのヤタガラス(八咫烏)には、こんな説明も。

中国神話では三足烏は太陽に棲むといわれる。陰陽五行説に基づき、二は陰で、三が陽であり、二本足より三本足の方が太陽を象徴するのに適しているとも、また、朝日、昼の光、夕日を表す足であるともいわれる。 中国では前漢時代(紀元前3世紀)から三足烏が書物に登場し、王の墓からの出土品にも描かれている。三脚の特色を持つ三脚巴やその派生の三つ巴は非常に広範に見られる意匠である。

上述のように三足烏の伝承は古代中国の文化圏地域で見られる。中国であるならば金烏。朝鮮半島ならば、かつて高句麗があった地域(現在の北朝鮮)で古墳に描かれている。高句麗の人々は三足烏が太陽に棲み、亀が月に棲むと信じていた。



韓国の人気ドラマ、『朱蒙』から期間限定で画像をお借りします。


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高句麗の建国神話でも日本と同じように、三足烏が重要な役割を果たします。

「神武天皇実在論」は今も昔も存在しますが、そもそも「神社」も「天皇」も、もともとは道教由来の言葉と言われます。「神武天皇の建国神話は、日本の成り立ちを伝える立派な伝説だ」というのはその通りですが、東アジアからの視点を無視するならば、単なる低レベルのお国自慢にしかなりません。漢字がそうであるように、中国文化圏の一員として、日本の古代には様々な文化が混交していることを認識する必要があります。

では三本足のヤタガラスもまた、全くの輸入品かというと、そうではないようです。

以下再びウィキベテアより。

八咫烏が三本足であることが何を意味するかについては、諸説ある。熊野本宮大社では、八咫烏の三本の足はそれぞれ天(天神地祇)・地(自然環境)・人を表し、神と自然と人が、同じ太陽から生まれた兄弟であることを示すとしている。また、かつて熊野地方に勢力をもった熊野三党(榎本氏、宇井氏、藤白鈴木氏)の威を表すともいわれる。三本足の意味が、古来より太陽を表す数が三とされてきたことに由来するとする見方は、宇佐神宮など太陽神に仕える日女(姫)神を祭る神社(ヒメコソ神社)の神紋が、三つ巴であることと同じ意味を持っているとする説もある。元々日本神話にあった「神の使いとしての鳥」の信仰と中国の「太陽の霊鳥」が融合した可能性がある。

元々日本神話にあった「神の使いとしての鳥」・・・・そういえば、奈良県田原本町の『唐古・鍵遺跡(からこ・かぎいせき)』の復元楼閣には鳥が・・・。


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そして鳥のシャーマン。


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(@_@)

あるいは佐賀県の吉野ケ里遺跡で見た、鳥居の原型のような門には、やはり鳥が。
・・・そのまんまやがな(@_@)

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ヤタガラスひとつにも、実に様々な由来があることを感じます。

 ★

さて、加茂神社ホームページには、約1500年前から生穂・佐野地域の氏神として祀られてきたと書かれています。
この磐座群もまた、そのころから信仰が始まったのでしょうか。
いずれにせよ、東アジアの文化と縄文・弥生期の文化の影響が複雑に入り混じった信仰文化が賀茂信仰にもあるとしたら、「磐座」として大雑把にくくられる巨石信仰・岩石信仰にもまた、場所により時代により、様式の異なる複雑な信仰がそれぞれ存在したのかもしれません。


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コメント

No title

当地でも雨乞いには鉦や太鼓や幟を持って行列を作り山に登ったという記述がありますが、その時必ず持って行ったのが牛の生首です。
これを山の池や川に投げ込んで雨乞いの行事をしたことが郷土史に書かれています。淡路市の雨乞山には牛の首は出てこないのでしょうか。

Re: No title

ちから姫様

ここでは箕笠をつけ、鐘や太鼓を打ち鳴らして踊るようですが、動物の死体や内臓を水神の谷などに投げ入れ、わざと水を汚して怒りの雨を降らせる雨乞スタイルもよく聞きます。枚方市の穂谷にある三宮神社では、ご神体の岩を谷川に投げ入れるそうですから、「祟り」を逆手に取る農民の知恵と度胸の産物かもしれません。
ひょっとすると昔は生首とかの供儀があったところでも、大人の事情で「なかったこと」にしているお社も多いかもしれませんね。

牛の首 馬の首

いつも興味深い記事を掲載下さりありがとうございます。毎日拝読させていただいております。

牛の首といえば、小松左京が全盛期だった頃にSF作家の中で流行った『牛の首』伝説を思い出します。あまりに恐ろしいので、書くことができません。
それはともかく、阿波・徳島では、馬の首伝説があちこちで残っています。西部でも北部でも南部でも限局的にあります。神への供物の話ではありません。
夜に首のない馬に乗った首のない武士が闊歩してそれを見ると身体の不調を起こしたり死んでしまう話。馬の首だけが飛び回り追いかけてくる話。子供の頃はけっこう怖くて、それが出るという地域には行きたくないと真剣に思ったものです。
今みたく西洋妖怪のデュラハンもしくは首無し騎士が周知される以前の江戸時代から伝わる民話ですが、オチはなくって何でそんなものができたのか不思議です。

Re: 牛の首 馬の首

鯨 様

ジョニー・デップが主人公役の『スリーピー・ホロウ』では、何とも薄気味悪い首なし騎士が登場しますが、同じ幽霊とか怨霊とかでも、首がある方がいくら恐ろしげでもマシな気がします。相手の顔から敵意や友好の度を素早く推し量る本能は、人類が生き残るためのマストな方法だとすれば、首がない相手は根源的な恐怖なのかもしれませんね。首切れ馬という馬の妖怪も気持ち悪いし・・・。
まあ生首も怨念がこもって目が開くなんて話もあって、どうもこの手の伝説は後味が悪いです。

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sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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