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ゴトビキ岩と神武天皇と聖剣フツミタマ

物部の本拠地、石上神宮の奥の院ともいわれる八つ岩と、ここに刺さっていたという伝承がある聖剣の記事が前回でした。


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今回は、記紀神話の従来の解釈を変更すべきではないかという、大それた記事です(^_-)-☆
ではまず、和歌山県新宮市、速玉大社摂社の神倉神社から。

ここは、ゴトビキ岩の巨石信仰・磐座信仰を起源とするお社とされます。


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速玉大社のホームページには、
神倉神社は、熊野大神が熊野三山として祀られる以前に一番最初に降臨された聖地です。天ノ磐盾という峻崖の上にあり、熊野古道中の古道といわれる五百数十段の仰ぎ見るような自然石の石段を登りつめた所に御神体のゴトビキ岩があります。
と書かれています。つまり、ゴトビキ岩は熊野信仰の原点ともいえる、きわめて重要な磐座であるわけですね。

では、この神倉神社は、いったい誰を祀っているのでしょう?
一柱目は天照大神。これはお約束の有名神ですよね。で問題は、もう一柱の神が、高倉下命であることです。

この高倉下(たかくらじ)に関して、ウィキペディアにはこう書かれています。

「高倉下」という名前は「高い倉の主」の意である。

そしてさらに次のようにも。

『古事記』、『日本書紀』によれば、神武天皇とその軍は東征中、熊野で熊または悪神の毒気により倒れた。しかし、高倉下が剣をもたらすと覚醒したという。高倉下がこの剣を入手した経緯は次のようなものである。高倉下の夢の中で、天照大御神と高木神が、葦原中国が騒がしいので建御雷神を遣わそうとしたところ、建御雷神は「自分がいかなくとも、国を平定した剣があるのでそれを降せばよい」と述べ、高倉下に「この剣を高倉下の倉に落とし入れることにしよう。お前は朝目覚めたら、天津神の御子に献上しろ」と言った。そこで高倉下が目覚めて倉を調べたところ、はたして本当に倉の中に剣が置いてあったため、それを献上したのである。この剣は佐士布都神といい、甕布都神とも布都御魂ともいい、石上神宮に祀られている。

前回記事に関係の深い聖剣、フツミタマがここに登場するわけです。

で、今回問題にするのは、
「この剣を高倉下の倉に落とし入れる」
という「」あるいは「高い倉」とは何か、という問題です。

講談社学術文庫の『全現代語訳 日本書紀 宇治谷猛』によれば、

翌朝、夢のおつげに従って、庫を開いてみると、果たして落ちている剣があり、庫の底板に逆さにささっていた

と書かれています。
『倉』を底板のある『庫』としていますから、まさに「倉庫」という考えのようです。
このように一般的には「倉庫」とされ、「高い倉の主」とは、高床式倉庫の持ち主とも解釈されています。

しかし、果たしてそれでいいのでしょうか? 私は今までの通説が不適切だと思います。
三種の神器レベルの聖剣が、単なる倉庫に届くというのは、私はあり得ないと思います。後世に高床式倉庫が神社の社殿に進化するとしても、この時はただの「倉庫」なのです。
アメリカに国賓として招かれた岸田総理が、バイデン大統領に「ホテルは朝食無料のお得なビジネスホテルを予約してあるから」
と言われるくらい失礼な話ではないのでしょうか?

「倉」とは、倉庫ではないと私は考えています。

 ★

その根拠を示します。

① 「倉」という字の互換性
兵庫県丹波市山南町の高座神社(たかくらじんじゃ)は、主祭神が高倉下であるにもかかわらず、高倉神社ではなく高座神社です。「高座」をタカクラと読ませています。


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(丹波市観光協会様より)

おなじく高倉下命を祀る名古屋市熱田区高蔵町の高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ))でも、「」の字を「クラ」として使用され、地名は「高蔵」。

さらに、高倉下の別名である天香山命を祀る、岡山市北区の本宮高倉山の登山口には、高蔵神社が鎮座。


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つまり、「クラ」には「座」「倉」「蔵」などの漢字が相互に使われており、「倉」だから「倉庫」という短絡的思考は無意味だとわかります。

② 神倉神社の「倉」とは
そもそも神倉神社の「倉」を倉庫だと思う人はいないでしょう。カミクラとは、神の座すゴトビキ岩のはず。

③ 和歌山県の「矢倉神社」における実例
熊野地域には、矢倉神社というお社がたくさんあります。
しかし、
串本町田並上の矢倉神社
串本町串本の矢倉神社
古座川町峯の矢倉神社
古座川町洞尾の矢倉神社
古座川町小川の矢倉神社
などには今も昔も、倉庫どころか拝殿や本殿さえありません。そもそもほとんど社殿を建てる平地が無い、自然信仰あるいは原始神道のお社です。


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(串本と洞尾の矢倉神社・み熊野ねっとブログ様より)


その他の矢倉神社においても、小さな祠程度はあっても、建物はまずありません。
つまりこのような類例を考慮するなら、「倉」と社名につくから倉庫があるというのは明らかな間違いなのです。

さらに、新宮市熊野川町日足、川沿いのお社をご覧ください。


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ここは「高倉神社跡 相須神丸」と呼ばれる磐座で、熊野川町日足625の「高倉神社」に合祀されたのですが、祭神はやはり高倉下。
どう見ても、倉庫と呼べるほどの空き地はありません。そもそも台風等の豪雨で簡単に建物が流される場所に、高床式倉庫を建てるバカはいません。「倉」は磐座を表しているとしか考えようがないのです。船が交通手段であった昔は、川から見上げる、高い位置の磐座でした。
ついでながら、三重県熊野市育生町赤倉の丹倉神社も、やはり社殿のない巨石信仰のお社として知られます。さらに新宮市の高倉神社は例によって高倉下を祀りますが、『紀伊続風土記』には「高倉明神森」として「社なし」と記されます。

で、改めて結論を言います。
「倉」が「座」でもあるなら、「高倉下」の「倉」は「磐座」の「クラ」とするべきでしょう。
つまり、「高倉下」とは、高床式倉庫の持ち主ではなく、見上げるような高い位置にある磐座祭祀の主宰者と考えるべきだと結論します。簡単に言えば、磐座の祭祀者なのです。もちろん祭政一致の古代には、地域の最高権力者であったことは当然です。また、衰弱した神武天皇を助けたのですから、天皇の玉座たる高御座(たかみくら)との関連もあるかもしれませんが、いずれにしろ「倉庫」とは無縁です。


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 ★

そもそも古事記の原文には、こう書かれています。

此の刀を降さむ状は、高倉下が倉の頂を穿ちて、其より墮し入れむ。(神武記)

倉の頂とあり、屋根を壊して落下したとする説も有力です。しかし「頂」とは本来、山や頭の最も高い部分を指し、屋根ではありません。ゴトビキ岩の頂上部に窪みを造って安置するか、あるいはゴトビキ岩に聖剣がめり込んでいるか突き刺さっている状態を表現したものと私は考えます。

なお、神話に詳しい方からは、天の岩戸神話において、スサノオが「忌服屋の頂を穿ち、天の斑馬を逆剥ぎして堕し入る」という、屋根を壊す文が古事記に存在するではないか、という反論もあろうかと思います。

しかしこれは、忌み清めた神聖な機殿に皮をはいだ馬を落とし入れるという、最低最悪の天津罪であり、その結果として機織りの乙女は死に、天照大神は怒って岩屋に隠れて世界は闇に包まれます。
屋根を破って落すというのは、悪事の一環であり、タブーなのです。

前回も書きましたが、神聖な山の頂に立つ聖剣類は、天津神の権威の象徴でもあります。


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フツミタマの聖剣は、やはりゴトビキ岩の上に置かれたか差し込まれたと解釈すべきでしょう。なお現在はゴトビキ岩の横に拝殿がありますが、原始神道の時代には、社殿はありません。


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 ★

下の本には、宗像大社奥津宮、沖ノ島の岩上祭祀が詳しく記されています。


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このP.21には、≪21号岩上祭祀≫という写真があるのでコピーさせていただきました。


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ここには銅鏡とともに、剣、刀、槍、矛などの奉献品が巨岩の上に置かれていました。巨岩の上に奉献品を置くのは、最も古い神道祭祀の一つです。

さらにもう一つ、新潟県の最高峰である大日岳(小蓮華山)をはじめ、山頂部に鉄剣が立っている山岳もけっこうあります。
山頂の聖地に剣を立てる信仰様式も、はるか昔から続く伝統信仰のようです。

  ★

というわけで、日本神話における今までの通説は、僭越ながら修正した方がいいと私は思います。
そもそもフツミタマの剣は、稲佐の浜においてタケミカヅチの神が刃を上にして立て、その上にあぐらをかいて座るというパフォーマンスに使われた剣です。
そのタケミカヅチがフツノミタマの聖剣を神武天皇に与える時、「倉庫の床に落ちていた、刺さっていた」というのは地味すぎます。「巨大な磐座の上に突き刺さっていた」とする方が、威勢が良くてバエる行為が似合うタケミカヅチ神にはぴったりだと思うのですが・・・(^^♪。

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(これはイメージです。吉野ケ里遺跡)


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コメント

No title

おっしゃっていることに私も全面的に賛成です。
昔、山歩きをしていた時、「座」という名の山や石に出会いました。なんとなく気に留めた程度の記憶ですが、二つほど。

一つは山梨県身・延山の「高座石」(こうざいし)。日蓮上人がこの石に座って説法をしたと伝えられています。巨石にしめ縄がかけられていました。
もう一か所は山の名前です。長野県の千曲川沿いに「御座山」(おぐらやま)があります。行政の説明では「神の降臨するところ」「天皇が座るところ」となっていました。またこの山は「小倉山」ともいうとのこと。
この尾根続きに「御陵山」(おみはかやま)がありますが、これは皇族の墓という意味。近くに「男山」「天狗山」などの山岳信仰の盛んだった山もあります。

訂正

「身・延山」→「「身延山」です。

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Re: No title

ちから姫様

いつもながら元気になるコメントと地域情報ありがとうございます。
身延山は行ったことがないので調べてみたのですが、妙石坊の高座石とともに、七面大明神が現れたという奥之院の巨大な「影嚮石(ようごうせき)」も訳アリの重要な場所のようです。、
行く機会があれば、なんとかその二つは確実に訪問したいと思います(^^♪

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sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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