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何とも奇妙な「倶呂孫仏」の景観を考える!

27日の土曜日、奈良市都祁吐山町の不思議な光景を求めて、凍った林道を歩いてきました。


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国道369号線の「貝が平口」バス停から、西へ西へと1km近く歩き、さらに笠間川沿いの林道を数百メートル進んだ場所です。
そして、目指す光景がこれでした。


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少し斜面を登ってみます。


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ここには祠も注連縄もなく、ただの風化地形と認識されているようです。
事実、この近くの谷には、柱状節理の岩盤が見えています。


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しかしそれが節理と風化で、まるで空に突き出すメンヒル群のような様相を呈するのは、不思議としか言いようがありません。

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この不思議な場所を知ったのは、朝日新聞社が昭和58年に出したこの本のP.79に「倶呂孫仏」として書かれていたからです。


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ここには、天邪気(あまのじゃく)の伝承がありました。

むかし、吐山のこのあたりに、天邪鬼が住んでいました。天邪鬼は天に昇って、神様になってやろうと思い立ちます。せっせと山の石を集め、台を高く積み上げました。そして天邪鬼が天に昇りつめようと駆け上がった時、神様にけり落とされ、石の台もろともまっさかさまに落ちてしまったというのです。
というわけで、この倶呂孫仏といわれる石の群れは、そのときの名残だと伝えられています。


天と地をつなぐ岩という概念は、風土記の時代からあるようです。『播磨風土記』では「八十の岩橋」が天まで届き、神々が天上界と地上を往来したと記されています。

岩ではありませんが、『丹後国風土記』逸文には、イザナギが天と地を結ぶため作った「天の橋立」が、寝ている間に倒れ伏したと記されています。

また天と地ではありませんが、大阪府の河南町にある岩橋山には、役行者が金御嶽へ通うために、一言主神に架けさせた「久米の岩橋」と呼ばれる謎の石造物があります。

一方あまのじゃくに関しては、和歌山県串本町の橋杭岩が知られます。


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弘法大師と天の邪鬼が、串本から沖合いの島まで橋をかけることが出来るか否かの賭けを行ったそうです。弘法大師が橋の杭をほとんど作り終えたところで、天の邪鬼はこのままでは賭けに負けてしまうと思い、ニワトリの鳴きまねをしました。弘法大師はもう朝が来たと勘違いし、作るのを諦めてその場を去ったとか。そのため橋の杭のみが残ったという伝説です。

 ★

吐山の「倶呂孫仏」の伝説は、これらの伝説類型が混交したものであると思いますが、その背後に存在する伝統信仰については、明確ではありません。

岩石群の最上部にあるこの岩などは、なにか意味ありげで、たんなる自然石とは思えないのですが。


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さて、兵庫県豊岡市竹野町床瀬に「狗留尊仏(くるそんぶつ)」という類似名の巨石柱がそびえています。


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さらに、「太陽の道」のライン上にあるのは、倶留尊山(1037 m)の倶留尊仏(くろそぶつ)とよばれる立石です。


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倶留尊仏とは、釈迦仏までに登場した過去七仏(かこしちぶつ)の中で、.毘婆尸仏、尸棄仏、毘舎浮仏の三仏に次いで現れた仏様なのだそうですが、素人には意味が分かりませんよね。このクロソあるいはクルソン系の立石もまた謎が深い信仰です。山中の巨大な立石を求めて、あちこちさまよう僧がいたのでしょうか?
巨大ではありませんが、吐山の倶呂孫仏もまた、謎めいた類型のグループであることは確かです。

というわけで、他愛ない伝説とただの柱状節理、というだけではすまない複雑な背景を感じる、倶呂孫仏の紹介でした。
ちなみに岡山県西粟倉村の山中には、倶呂孫仏に似た「ストーンサークル・謎の巨石群」と呼ばれる場所がありますが、いずれにしろこれらは、きわめて珍しいものです。

なお、ここを車で訪問しようとされる方は、林道が1車線ぎりぎりで狭いのでご注意を。倶呂孫仏前には、わずかな駐車スペースがあります。しかしそれ以外は浄水場のような建物の手前と水汲み場くらいしか、Uターンできる場所はありません。グーグルマップでは林道の様子が運転者目線で見られますので、情報はしっかり把握して訪問なさって下さい。


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コメント

No title

もう30年ほど前になりますが、これと似た巨石群を見たことがあります。柱状節理ではなかったのですが、巨石群が薄暗い原生林の中に突如現れて驚きました。

そこは掛川市の粟ケ岳という山で、かつては阿波々神社、無間山観音寺が栄えたところだったようですが、寛政9年の「東海道名所図会」に「堂舎、庫裏等大いに零落し、境内荒廃の体なり」とありますから、早くから廃れたと思いますが、私が登ったときは,阿波々神社はまあまあの状態でしたが、観音寺は荒れ果て、墓石が草に埋もれていました。
伝説の「無間の井戸」は健在でした。

江戸後期の国学者が「阿波々神社に登りてつくれる歌」として、「群山を麓に成してとりよろふ阿波々高嶺は神さびにけり」という歌を残しています。明るい茶畑と歴史を秘めた暗い原生林が表裏一体になっているという不思議な空間でした。

追記

巨石群があるところは「地獄穴」と呼ばれていました。

Re: 追記

ちから姫様

詳しい情報ありがとうございます。都道府県別のネタ数でいえば、静岡県は空白地帯に近いので、大変参考になりました。グーグルマップにも磐座のポイントが出ていましたから、けっこう有名なんですね。機会があれば、ぜひ行ってみたいです(^^♪。

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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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