fc2ブログ

記事一覧

日本の超巨石文化は、古代海洋民の遺跡か?

これは、愛媛県今治市大三島町宮浦に鎮座する、伊予一の宮・大山祇神社。
全国にある山祇神社や三島神社の総本社です。


11_20231120102419bc7.jpg

16_20231120104355512.jpg

17_20231120104358989.jpg

12_20231120102423b8f.jpg

14_2023112010243015e.jpg


山の神・海の神・戦いの神として崇敬され、朝廷からは「日本総鎮守」の号が下賜されたというのですから、日本を代表するお社のひとつであることは言うまでもありません。

  ★

『古代史の謎は「鉄」で解ける』(PHP新書)という本の中で、著者である長野正孝氏の古くからの友人、大山祇神社神主家直系の三島規裕氏の言葉が載っています。

大三島は瀬戸内海最大の難所と言われる芸予諸島の中央に位置し、手漕ぎ、帆船を問わず、ここを通るすべての船に、水と食料を補給し、水先案内人を提供し、交易を行って繁栄を極めてきた。また、有事の際には、三島水軍という戦闘集団に、この海を鎮撫させることで、西瀬戸内海を睥睨してきた。

私たちはともすれば、神社と神主は、昔から神様を祀るだけの役目だと思いがちですが、どうもここでは、信仰と流通サービスの仕事とが一体のものであったように感じます。優れた航海術で地中海貿易を担った、フェニキア人のような側面を持っていたのではとさえ思うのです。

さらにこの本の中で著者は、「神社は人が、交差し、集うところに作られる」と推理しています。古墳についても、墳丘斜面には葺石が葺かれて、白く光って目立つのは、ここをいわば「道の駅」として、外来船が船を泊めて商談を行う、船員が飲み食いして歓談する、などの機能があったと、独自の歴史観を披露。


21_20231120102424045.jpg

22_20231120102427d16.jpg
(神戸市の五色塚古墳・ウィキペディア)


全面的に賛成はできませんが、従来の日本人歴史家になかった独自の視点は、重要な指摘を含んでいると思わざるを得ません。

  ★

とんでもない大きさの巨石文化の立地が、なぜ海岸沿いに多いのか?
どうもそこが、私には不思議でした。

例えば、私が日本最大のミステリーと思う、五島列島の王位石。


31_20231120102435fc1.jpg

32_2023112010244285b.jpg


これは、連絡船から見上げた写真です。


33_20231120102432c0f.jpg


どう考えても、航行する船からはっきり見え、その威容を誇示することが意図されているように感じます。

次は、愛媛県の生名島の海岸沿いにあるメンヒルです。


41_202311201024425ec.jpg

43_202311201024426f9.jpg


弥生時代から神として大切にされたとも言われる巨石で、どのように運ばれたかはまだ謎のままです。

さらに、岡山県玉野市の海岸から見上げる、番田の立石。瀬戸内海を航行する船からは、かなり目立ったでしょう。


51_20231120102439370.jpg

52_20231120102443fb2.jpg


山側からは、こんな景色になります。


55_2023112010244406a.jpg

56_202311201024441fa.jpg


そして、かつて広島県の西能美島に存在した、ウサギのような岩組みも波打ち際です。


61_202311201024400da.jpg

63_202311201024442da.jpg


最上部の、明らかに人工的に立てた二本の岩は、沖合から見ても不思議な存在感だったはず。


62_20231120102443139.jpg


次は、淡路島の西淡町にある「岩神様」です。簡素な拝殿の後ろに立つ、大きな岩がご神体ですね。


71_20231120102447ccd.jpg

72_20231120102448f92.jpg


同じ淡路島の淡路市一宮町にある、岩上神社。


81_20231120102602f59.jpg

83_2023112010260663f.jpg

82_202311201026055c6.jpg


これは内陸部だろうと言われそうですが、この岩からは海が見えます。


85_2023112010262350b.jpg

86_202311201026274d4.jpg


これだけ大きいと、朝日や夕日に照らされたら、海からでもはっきり見えたはず。

さらに、岡山県玉野市の、玉比咩神社。


91_20231120102625b1c.jpg

92_20231120102627da8.jpg


江戸時代初期まで、このあたりは波の打ち寄せる入り江だったそうです。

ラストは、岡山県笠岡市の高島。すぐ下が海です。


95_2023112010262756f.jpg


横から見ると・・・


96_20231120102628f7d.jpg


驚くべきことに、島のお年寄りの話では、かつてこの岩の下部には牡蠣殻がついていたそうです。
つまり、海岸から運び上げられたことになります。

これらの巨石文化・巨石信仰が、海からはっきり見える場所に数多く立地しているのは、単なる偶然で特に意味はないのでしょうか?

  ★

わたしは、これらの巨石文化が古代海人族の文化ではないかと思っています。そして単に神の依りつく磐座としてだけでなく、外国や他地域から来た者たちに、在地勢力の信仰を明示し、海洋系の安全な文化や信仰の土地であること、さらに言えば敵か味方かをしらせる役割があったのかもしれません。
ケータイもネットも、国道も高速道路もJRもない時代は、交通手段は船だけ。しかも、港を見つけても、敵対する勢力に襲われないという保証はないのです。

韓流ドラマの『朱蒙』では、戦乱と緊張関係の諸国をまたいで、才媛のソソノ率いる「商団」が交易を行っていました。歴史ファンタジーとはいえ、当然ながらそれなりに時代考証が行われているでしょう。少なくとも韓国民に違和感を持たれないようにしているはずです。
フェニキア人であれ朝鮮半島の「商団」であれ、塩や金属その他を交易する人々は活発に動いていたはず。日本ではそんな話はあまり聞きませんが、大山祇神社の三島一族が西瀬戸内海の信仰と流通を支配していたように、安全な物流はそれぞれの富の源泉として重要だったと思います。

私事ですが、日本各地を歩き回っていて、たまたま三角の里山を発見し、麓に神社があれば、なんとなく嬉しくなります。三角の山は神体山で、磐座も山中にあり、時を定めて山から神様が降臨するのだな、祭神は誰で、周囲に古代の遺跡や古墳はあるのかとか、ある程度予測して動けるのです。地元の方への聞き取りも、要所を押さえて無理なく早く行えます。

連絡手段も交通手段も限られ、下手をすると略奪と殺戮が待っている時代に、長野正孝氏が主張されるような目印としての側面が、巨石文化にもあったとして、不思議はないと思っています。宗教が政治や金銭とつながっているのは、今も昔も同じでしょう。巨石信仰もまた、願い事をするだけではなく、生々しい娑婆の風に吹かれていたと思っています。


というわけで、妄想に近い仮説ではありますが、たとえ的外れでも固定観念をはみ出す、ワイワイガヤガヤと多角的な視点は、現在の閉塞日本に必要かなと勝手に思う次第です。
よろしければ、ポチもよろしくお願いいたします(^_^)/~

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

神社・仏閣ランキング

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

フリーエリア