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阿波国分寺の圧倒的な巨石庭園

これは、前回記事で話題にしたメンヒル、その集合体です。


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(dolmeni-anteprimaより)


そしてこちらは、重森三玲氏が作庭した、京都の松尾大社庭園です。


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重森三玲氏の作庭は、力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される枯山水庭園が特徴的であるとされ、松尾大社庭園のほか、東福寺方丈庭園、光明院庭園、瑞峯院庭園などが代表作とされています。
なんとなくメンヒル群と似ていますよね(^^♪

「いやいや、古代遺跡のメンヒルと、わびさびの深淵な芸術文化である日本庭園とは、一緒じゃないだろう」
と言われそうですが、重森三玲氏のお孫さんで、重森三玲庭園美術館館長の重森三明氏は、エスクァイア臨時増刊号で次のように書いておられます。

元来、日本庭園の石組みの起源は磐座や磐境と呼ばれる古代の巨石(群)であり、よく神社の御神体になっている。庭園史において、石組みは古代中国の神仙蓬莱思想という、仙人が住み不老不死の薬が存在するという島を表したり、三尊石で仏の姿を表現した。枯山水の石庭を連想すると、石組みと「禅寺」を簡単に結びつけるが、日本庭園の始まりはもっと古く、古代にまでさかのぼる。元来、日本古来の山岳信仰と大陸思想の影響、更に古墳文化や浄土思想などが混ざりあいながらその時々の「庭」を形成していった。


松尾大社の「上古の庭」にも、このような解説がありました。


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つまり、重森三玲氏は巨石・磐座信仰という伝統を意識しながら、庭園造りをしたわけです。
メンヒル文化と日本の巨石磐座信仰を、グローバルな古代信仰文化の一環として考えるならば、メンヒルと日本庭園の立石は、深いところでつながっていると思っています。

  ★

では次に、何とも圧倒的な立石をご覧ください。


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巨石信仰であれ日本庭園であれ、こんな圧倒的な存在感の岩組みを見たことは今までありません。

実はこの岩組み、徳島県徳島市国府町の阿波国分寺(あわこくぶんじ)の庭園の一部です。
以前参拝した時には工事中でしたが、諸工事も終わっているので、改めて出かけました。
では、その庭園をご覧ください。


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重森三玲氏は、『日本庭園史大系』の中で、この庭園を絶賛しています。
「この石組みなどを一覧すると、第一に作者が鋭い感覚によって選んだ庭石材料であることが分かる。何人もアッと驚きの声を放つだけの剛健極まりない石組みである。これほどの石組みは、各時代の石組みの中にも見出せない。全く見る者をして圧迫感を感じさせるもほどのものであり、雄勁そのものである。」

ではここに記された、するどい感覚で石を選んだ作者とはだれなのか?

国分寺が発行する栞には、こう書かれています。

この庭園の特色は、地元阿波産の「青石」(結晶片岩)の巨石をふんだんに使った豪快な石組にあります。これら大石の使い方は、桃山時代の特徴ある意匠や様式を示しています。作庭時期、作庭者ともに確たる資料はありませんが、この時代のこの地方の豪族による作庭と推定されます。


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では次に、中世にこの辺りを支配した豪族とは誰なのか?

『山岳宗教史研究叢書12 大山・石鎚と西国修験道』のP.349には、高越山をとり巻く町村の中世についてこう書かれています。

・・・これらの地は古代、中央から忌部の一族が移住してきたことで知られており、また中世にそれらの地域を支配したのは忌部氏を名乗る豪族達である。この忌部氏は天日鷲命を祖先とし皇室の神事に仕えた古代忌部の後裔とする矜持をもち、大嘗祭に荒妙を奉献して、自らを「御衣御殿人」と称していた。

これは「忌部修験道」の成立に関して書かれた文ですが、前回載せた立石群を考慮に入れるならば、その宗教文化の影響を受けた者の作庭であったのではないかと思う次第です。

これが、前回記事で載せた、忌部系の立石。


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平安時代に書かれた日本最古の庭園書とされる『作庭記』には、作庭で石を立てることが呪術的な行為であり、下手をすると庭の持ち主に不幸が起こることが記されます。私たちが現在漠然と思い込んでいる、「日本庭園、とりわけ枯山水は伝統的な芸術」ではなく、呪術的・宗教的なものだったのです。それを考えると、日本神話に登場する伝統を持つ忌部系豪族が、修験道ともかかわりながら作庭にも関わったと考えると筋が通るような気がします。


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コメント

No title

立石群とメンヒル群、興味深く拝見しています。
こうしてみると古代の世界って案外狭かったのかな、
行き来が盛んだったのかなと思いました。
力石の置き方も安定性を考えて寝かせてあるところが多いのですが、
立てて置くところもたくさんあります。
この石も神聖なものとされていましたから、
立てることで神が宿ると考えていたのかと思ったりしています。

ところで松尾大社の3枚目の写真に亀がいますが、あれは置物でしょうか?

Re: No title

ちから姫様

いやもう、今年最高の難問です。あんなところに亀がいるとは、まったく気づいていませんでした(@_@。
慌てて他ブログなどを探し見たところ、同じところに亀がある画像がいくつもあったので、多分置物だと思います。神社の由緒では、松尾山の谷から不思議な亀が現れ、天皇は「嘉瑞なり」と「和銅」から「霊亀」へと元号を改めたとされます。亀は松尾大社の神使で、境内のあちこちになんやかやとカメさんが置かれているので、そのうちの一つなのでしょう。
実はこの私、松尾大社の氏子で、カニをとりに裏山の谷に分け入ったり、さんざんうろうろしていますが、亀は見たことがありません。大堰川の亀は阪急のレールを越えられないし、奉納は別として、亀は境内にいないとムキになって結論致します(^^♪。

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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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