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竹生島・神体島の新たな絶景

私事の回想になりますが、下の古い写真は、学生時代に所属していた歴史系サークルのフィールドワークです。現場第一主義の活動でした。


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上の白黒写真は、他大学の学生さん、読売テレビの某氏、さらに大和書房の大和岩雄氏も参加された、月讀神社(京田辺市)のフィールドワークです。右端の男性は大和岩雄氏で、「ここは前に来たことがあるよ。京大の上田正昭君と、隼人舞を見に来た神社だ。」と驚いておられました。

『古事記』の成立に関し、のちに大和氏は上田氏を批判しておられるので、この二人は仲が悪いと感じている研究者もあるでしょうが、どちらも現場重視の研究仲間なのですね。

余談ですが、その上田正昭氏は東大の井上光貞氏の論敵で、二人は激しい論争をしています。松本清張さんは「井上・上田論争」を東大閥と京大閥の論争例として評しました。しかし上田氏は『講学 アジアの中の日本古代史』のなかで、「プライベートな場では仲はよかった」と、二人でよく食事をしたこと等を書いています。相手の説を批判することを、人格否定のように感じる人が多い昨今、フェアな精神は見習うべきかもしれません。

脱線が過ぎましたので、話を元に戻します。
二枚目の写真は、サークルの一部部員でフィールドワークに出かけた写真です。この場所は滋賀県の安土駅前。
この撮影の後は二手に分かれ、私の属する神体山研究グループは、神体山で知られる太郎坊山と、そこから見下ろす紅かす山へと向かったように記憶しています。この小山は、太郎坊山のための祭祀丘ではないのかという疑問があったのです。


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これが紅かす山です。


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写っているのは一部ですが、忖度も遠慮もなく、笑って過ごせた、懐かしくて大切な仲間たちでした。
以来、太郎坊周辺へは何度も通い、岩戸山から太郎坊山へと縦走したり、夏至の朝に夫婦岩の隙間から昇る朝日を見に行ったり、山麓の旧家で民話採集を行うなど、さまざまに踏査してきました。(ちなみに、太郎坊山の夫婦岩も伊勢の夫婦岩も、さらにイギリスのストーンヘンジも、夏至祭祀に関しては驚くほど同一です。)

先ほどの夫婦岩の案内には、「近江高天原」という文字がありますが、同じ湖東にある守山市の伊勢遺跡では、弥生時代後期における国内最大級の超大型竪穴建物が発見されています。後の日本神話に登場する、高天原の祭祀思想がすでにあったのではないかという疑義を含め、結局は謎のままです。
そして琵琶湖の島々に、宗像や安曇の祭祀思想がどう隠されているかも、依然として不明です。

というわけで、退屈な私事をウダウダ書きましたが、ここからが今回の記事です。

  ★

湖東・湖北地域の古代信仰に関して、キーポイントとなる聖地は、いくつかあります。そしてそのひとつが、琵琶湖の北部に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)であることは間違いないでしょうね。
現場第一主義の立場から、竹生島の新たな画像を見ていただければと思います。


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ここは琵琶湖八景に「深緑 竹生島の沈影」として選ばれた風光明媚な観光地なのですが、島周辺の湖底は深く、西側付近はなんと104mもあり、琵琶湖最深。

さらにこの辺りの湖底からは、縄文時代早期から中世までの土器・須恵器などが発見されるなど(葛籠尾崎湖底遺跡)、いまだに解明されない謎がたくさんある、不思議な聖地なのです。


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上は、縄文時代早期、七千年ほど前の尖底深鉢です。
さらには、こんな奇妙な土器も。


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(長浜市郷土学習資料より)


これらは水深70m以上という、驚くべき深さに沈んでいました。地滑りなどの可能性もなく、最初から何らかの目的で沈められたようです。

縄文時代の若狭の海を、縄文海人たちはカヌーで盛んに行き来していました。
その若狭湾から琵琶湖まで、陸路わずか20㎞。琵琶湖からも、縄文カヌーがいくつも出土しています。

安曇系あるいは宗像系の古代人は、おそらく竹生島を神の島と崇めていたことでしょう。

 ★

さて、私たちの乗った島めぐりの観光船が竹生島に到着する直前、二つの新たな発見がありました。

ひとつは、立神信仰的な岩の小島を確認したことです。近江今津方面からの船だと、この前は通らないため、まったく気づいていませんでした。


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川や湖に突き出した岩場を、祭祀に関わる特別な場とする事例はたくさんあります。いくつか例を示します。


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さらにもう一つ、海から見た、かわらけ投げの岩場が撮影できました。

「琵琶湖水神 竹生島竜神拝所」では、かわらけという一種の土器を投げるのですが、鳥居の間を通れば願いが叶うと言われています。


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中日新聞の記事によると、かわらけ投げについて、都久夫須麻神社の生嶋厳雄宮司様は
「肉や豆を盛った皿ごと湖に投げ入れたことは想像できる。いったん供えたものは、皿も含め神のものであると考えたのではないか」
と話されたそうです。

もし皿や壺に神への供え物を入れて、深い湖底に沈めるのが「かわらけ投げ」の起源なら、単なる運試しではなく、湖の神への祭祀の一端を、観光客が知らず知らずに担っているということなのでしょうね。

その場を水上から撮ることができました。


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なるほど、祭祀の岩場としてふさわしい気がします。ここから湖底へと供物を捧げたのか、それともここに龍神などが依りつくのか、それはわかりません。

ところで竹生島の港には、こんな店もあります。


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帰りの船が出るまで、飲食コーナーでのんびりくつろぐこともできるのです。

まだ訪問されていない方は、この神秘の島へぜひ(^^♪


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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