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宗像大社『沖ノ島』と日本の聖なる島々

陸地に近い小さな島が、聖地として祀られている場所は、国内にたくさんあります。
神社の起源は「聖なる島」にあるのでは?・・・そんな気さえしてなりません。

たとえば、和歌山県すさみ町の稲積島


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神武天皇伝説の残るこの島は、上陸することが禁止されています。しかし鳥居の奥には積み重ねたような磐座があり、祠には××が祀られています。(海上からは見えません。)
これを海上の神体山として見るならば、頂上には奥津磐座などの祭祀場があるはずですが、おそらく知る人はいません。


こちらは、同じ和歌山県の串本町に浮かぶ弁天島です。


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禁足地ではなく、大潮の干潮時には歩いて渡れるので、鳥居の背後が踏査できます。


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うっそうとした樹林の中に、岩壁や石柱がありました。


その弁天島から少し離れた大島寄りには、熊野信仰の権現島


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案内板にはこう書かれています。

史蹟 権現島

 往昔熊野権現新宮に鎮座したまいし時、この地にてひとときご休息の後、かの地に向かわれたと伝えられています。権現島の名称はこれにもとづくものであります。

 和歌山県指定無形文化財速玉大社(熊野権現)の御船祭には古来よりこの地にて求めたる三掛の魚と萱穂を献じるならわしが今もなお存続しているのも、大社と権現島の深い歴史的かかわりを示すものであります。

 当地より献じたる三掛の魚は熊野権現御船島(熊野川の砂洲)にご上陸遊ばされし故事により、島上にて祭祀の贄にささげられる。また萱穂は御輿を先導する神馬に乗りたる一物と呼ばれる人形に、矢を擬して用いられるのであります。

 このような古例の故に、大島住民のこの島に寄せる尊崇の念篤く、往古より祠と鳥居を建て、神域として崇め奉っており、権現島の由緒を記し永く後世に伝えんとするものであります。

平成20年4月吉日  大島区・串本町 



大変重要な信仰の島であることが分かります。


また、熊野にかかわる島と言えば、三重県熊野市の鬼ヶ城(おにがじょう)


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その沖合には、魔見ヶ島が浮かびます。


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矢印は釣り人です。かなり巨大であることがわかります。


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香川県三豊市三野町大見の津島神社では、赤く美しい橋が、沖の小島にある本殿へと続いています。


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ここには、こんな伝説がありました。

文禄年間の6月から8月にかけて、この浦に女のうたう声が聞こえ、その声を村の人は怪しみたずねてみました。何も見当たりませんでしたが、巫女に託して「我は海中に住む神。名は津嶋神という。今よりこの島に祭るべし。祠など造る必要は無い。何よりまず、木を植えるべし。それが我神体なり。さすれば、村の子供、牛馬を病から守るなり。」というご神託がありました。 里の人たちは早速、鳥居をたてて島に祭り、以降旧暦の6月24、25日の両日に祭りごとを営みました。これが、現在の夏季大祭の始まりとされています。


次は、出雲大社に近い、日御碕神社・日沈の宮の故地である経島(ふみしま)です。


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湖にも、聖なる島はたくさんあります。
例えば、青森県の十和田湖に浮かぶ、恵比寿大黒島です。


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荒々しい柱状節理のこの島には、開運や商売繁盛などのご利益があるとされる「大黒神社」と「恵比寿神社」が祀られます。すぐ近くには十和田神社が鎮座していて、おそらく何か深い関係があったものと思います。

野本寛一さんは、『石の民俗・(雄山閣)』の中で、

一般に、島は石や岩に恵まれ、その中の秀でた部分に神が依ると信じられたのである。
万葉集にも島嶼信仰の歌が見られる。島に対する古代人の意識は、現代人とは比較にならないほど敬虔なものであった。


と記されています。

また、筑紫申真さんは『日本の神話・(河出書房)』の中で、伊勢神宮にも古くは宗像のような中津宮・辺津宮があったとし、

プレ・プレ・皇大神宮の沖津宮は、おそらく伊勢湾口に浮かぶ孤島の神島であったのだろう

と推理しておられます。


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  ★


さて、いくらでも「聖なる島」の実例はあるのですが、日本の古代史における、最も重要な祭祀遺跡の島と言えば、もちろん宗像大社の沖ノ島でしょう。


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上のジオラマでは、矢印が社殿の位置です。祭祀巨石に囲まれています。


さて、宗像大社の祭神は天照大神の三女神で、沖津宮(沖ノ島)、中津宮(大島)、辺津宮(本土)にそれぞれ祀られ、この三宮を総称して、宗像大社といいます。

下の地図をご覧ください。




三宮が一直線上に、見事に並びます。宗像三女神は、お行儀よく?まっすぐ並んでおられるわけですね。

これは過去にも記事にしましたが、今回は、青色の?マークを拡大してご覧ください。(紫色ポイントに重なっています。)

左の小屋島と右の御門柱・天狗岩の間を、ラインが見事に通っています。


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宗像大社にかかわる島々や岩礁の位置は、ありえないほど見事に、直線上に位置します。本土にある宗像大社本殿の位置は、これらの直線の延長線上に選ばれたのでしょう。

陸上にある古い神社の手前に、立石が二本、まるで古代の鳥居のように立っている事例は何度か記事にしています。
その起源は、この沖ノ島の手前の岩礁であったかもしれないほど、重要なパターンです。

  ★

古代信仰上の重要な島の手前に、門のような岩礁があるというパターン・・・
ひょっとすると、これもそうではないのかと、ふと思い浮かびました。

それは、淡路島北端、岩屋港の両側に位置するふたつの島です。
まずは絵島


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そして、今では陸地につながった大和島


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二つの島の間隔は、岩屋港を挟んで260m。神戸や大阪から来た船は、昔からこの二つの奇妙な島のあいだを通って、港に着岸します。
そしてその正面には緑の丘陵があり、その麓には、岩樟神社(いわくすじんじゃ)が鎮座。
ここは、イザナギ、イザナミ、そしてこの二神より生まれた蛭子(ひるこ)の三柱を祭神とします。


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上の洞窟はイザナギの幽宮であるともいわれ、日本神話に直結する重要なお社でした。
そもそも淡路島は、日本神話では日本で最初に造られた島ですから、その島の手前に二つの岩礁があることは重要かもしれません。

そして、昨日までの記事にあった、満珠島と干珠島


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ここもまた、同じパターンではないのでしょうか?


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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