fc2ブログ

記事一覧

伊勢外宮と山口大神宮と天の岩戸

前回の記事では、山口大神宮が伊勢神宮に大変似ていることを話題にしました。


11_convert_20230928112358.jpg

06_20230928141708885.jpg

43_convert_20230928113006.jpg


たとえば、伊勢神宮の最も大きな謎ともいわれる「心御柱」。(覆屋の中に秘められています)


99_20230930142241995.jpg


コンパクトながら、山口大神宮にも存在しました。


54_202309281308470c5.jpg


なぜこれほど似ているのか?
以前にも書きましたが、有力な戦国大名である大内義興が伊勢神宮に感銘を受け、わざわざ天皇の勅許を得てまで遷宮を行ったからです。
伊勢神宮から直接御分霊を受けて創建されたのは、明治以前では日本で唯一のお社で、あり、伊勢神宮と同様、20年に一度の式年遷宮も行われていました。

ということは、山口大神宮にあるものは、かつての伊勢神宮にもあった可能性が高いことになります。

 ★

さて、山口大神宮にある、この不思議な磐座。


21_2023093013465663b.jpg

22_20230930134701c53.jpg


この辺りから続く奥社参道を登ると、岩戸社があるのです。(地図左上参照)


25_202309301346555cf.jpg

28_202309301347265e0.jpg


ここを登る予定でした。
ところが、無風状態の猛烈な暑さと、ブヨ(ブユ)やアブの大軍が飛び回る光景を見て、残念ながら撤退することに。
特にブヨなどは皮膚を噛み切り吸血するので、患部が赤く膨れ上がって激しい痒みや疼痛、発熱の症状が1~2週間程現れることがあるのです(ブユ刺咬症)。
まだ国東へ行く予定があったので、泣く泣くあきらめた次第です(>_<)

で、その岩戸社の岩窟です。


35_20230930134705ef9.jpg
(「馬超の気ままウォーキング・趣味の記録」ブログ様よりお借りしました)

  ★

なぜ山口大神宮に、「岩戸社」があるのか?
それはもちろん、本家の伊勢神宮にも存在し、重要かつ有名な信仰要素だったからでしょう。

実際、外宮の山上にも、やはりこれがありました。高倉山古墳です。


31_20230930134721cca.jpg

32_202309301347288fb.jpg


この石室(岩窟)は、伊勢神宮ホームページの「域内マップ」はもちろん、リンク先の「Googleマイマップ」にもまったく記載されていません。

ただし、ウィキペディアには、こう記されています。

高倉山古墳
古墳時代後期の円墳で、墳丘の径が32m、高さが8mだが、墳丘に見合わない全長18.5m、高さ4.1mの両袖型の横穴式石室を持つ。長さ9.7メートル、幅3.3メートル、高さ4.1メートルの玄室をもつ。鎌倉時代には盗掘されていたと考えられている。神宮の敷地内にあり、室町時代末期から江戸時代末期までは天岩戸として参拝の対象となったが、高倉山への入山禁止により見ることができなくなった。当初は7世紀に作られたと考えられていたが、1975年に行われた発掘調査の結果、6世紀中ごろに作られた古墳であると推測されている。この調査で須恵器、土師器、馬具、鉄刀、刀子、玉類などが出土した。



鎌倉時代の文献には、高倉山に石窟が存在する旨の記述があり、少なくとも室町時代には信仰対象となって石室内に小祠があったことは確実です。
江戸時代には広く信仰対象となっていて、墳丘北側に神楽殿、付近に茶店が設置されていたそうです。
しかし、明治時代には諸施設が撤去され、高倉山は以後入山禁止となります。

墳丘に見合わない規模の巨大な横穴式石室であり、葺石や埴輪は認められず、石棺か木棺かさえ不明。
これは本当に古墳だったのでしょうか?

  ★

では、天の岩戸神話とは何か?


1280px-Amaterasu_cave.jpg


これについては、端的にまとめた文がありましたのでお借りします。

≪國學院大學メディア≫
「太陽」に重ね合わせた宮中行事の原点 ―天岩戸神話を読み解く―
文学部教授 谷口 雅博


天岩戸神話は何を意味する?
 皇室の祖神・日本国民の総氏神とされるアマテラス。彼女は、高天原を治める太陽神としての性格を持っています。ある時、弟のスサノオが高天原を訪れますが、その乱暴な振る舞いに堪えられなくなったアマテラスは、自ら岩屋に籠もってしまいました。すると高天原も地上世界も真っ暗闇になってしまいます。困った神々は相談をして、アマテラスを岩屋から導き出すための鏡や玉などを作って祭りを行います。そしてアメノウズメという女神が裸踊りをし、神々が歓声を上げて騒いでいました。何の騒ぎかと思ったアマテラスは岩屋を少し開けました。そこを見逃さずに力持ちの神がアマテラスを岩屋から引っ張り出します。そうすると高天原も地上世界も再び明るくなったと言うエピソードです。この話は、日食に対する人々恐れや驚きが神話化されたものと見ることが出来ます。

東南アジアにもある、日食を描く神話
 東南アジアには広く日食・月食の起源神話が伝えられています。もともと人間であった日と月の兄弟(或いは姉妹)、それともう一人の弟のうち、日と月とは死後に太陽と月になるが、行いの悪かった末弟は怪物になってしまう。日食・月食はこの怪物となった弟が兄達を飲み込もうとして起こる現象であると説くものです。アマテラスにも弟に月の神もいますし、末弟のスサノオが乱暴を働くことで太陽神が隠れてしまうという点で、この東南アジアの神話に類似していると言えます。

「太陽」を象徴とする神話・宮中行事
 自然現象との関係ではもう一つ、日の出から日の入り、つまり太陽の出現時間が最も短くなる冬至の神話化という見方もあります。冬至は日が一番短い日、すなわち太陽が最も弱っている時期にあたります。その翌日から日が長くなっていくので、冬至は太陽の復活・再生を象徴する日ともいえます。

 そうした太陽の死と再生に重ね合わせて、冬至の時期にあわせて行っていたとされる祭儀が「鎮魂祭」(天皇の忌み籠り)と「大嘗祭」(即位に係る儀式)」です。

 岩屋に籠もったアマテラスを導き出そうとする神々の行為(鏡や勾玉、踊りの奉納など)は、宮中で行われるこうした儀式の内容と重なるものです。岩屋籠もりの神話が先に生み出されたのか、儀式が先に生み出され、後にそれが神話化したのか、定かではありませんが、太陽への信仰が関係していることは確かでしょう。


このように、天岩戸神話の深層に冬至儀礼が関連するという説は、松前健氏や井上光貞氏も著書に明記されています。

一方、大和岩雄氏は、
伊勢氏中村町の「興玉の森(猿田彦の森)」という丘陵の頂上に「聖なる石」があり、そこは内宮の鼓ヶ岳と外宮の高倉山々頂に落ちる冬至・夏至の太陽を拝する場所である、と考えられました。

また、高倉山の石室については、筑紫申真氏の「天の神が乗る船」に関連して、
「東の海から昇った夏至の太陽は、高倉山の山頂に落ちる。この山頂は、黄泉の国の穴がある」
とし、さらに加えて、
「この石室の開口方位も、冬至落日方位である。高倉山々頂に、このような巨大な人工洞窟としての墓をつくったことと、興玉の森、更に二見ヶ浦の興玉石が、無関係とは思えないのである」
と書いておられます。
(「天照大神と前方後円墳の謎」六興出版)

 ★

余談ですが、高倉山々頂を日鷲山とも呼ぶそうです。天日鷲神(あめのひわしのかみ)は、日本神話に登場する神で、阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績の業を創始した阿波の忌部氏の祖神とされます。

『日本書紀』では天の岩戸の一書に「粟(あわ)の国の忌部の遠祖天日鷲命の作る木綿 (ゆう)を用い」とあり、ここから思い出すのは徳島県名西郡神山町鬼籠野元山にある、天岩戸立岩神社


40_202309301347150f3.jpg

41_20230930134707f0c.jpg

42_20230930134735848.jpg

43_20230930134728904.jpg


これはかなり重要なことだと思うのですが、この他、日本各地にも天岩戸神社があります。

福知山市大江町の皇大神社(元伊勢内宮)と豊受大神社(元伊勢外宮)と天岩戸神社は、元伊勢三社として知られていますが、最も秘境に鎮座するのが、この天の岩戸神社です。


52_20230930134737946.jpg

53_2023093013473669a.jpg


京都市山科区日ノ岡の日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)にも、内宮・外宮とともに、岩戸がありました。


55_202309301347344d8.jpg

56_2023093013473620b.jpg

57_2023093013473370e.jpg


宮崎県の高千穂峡に近い天岩戸神社では、対岸にある岩戸の撮影は厳禁。
下は天岩戸神社西本宮から、岩戸川に沿って徒歩約10分に位置する天安河原です。


61_20230930134846530.jpg

62_202309301348431ad.jpg


これは、天照大神が岩戸にお隠れになって天地暗黒となり、八百万の神がこの河原に集まり神議されたと伝えられる大洞窟なのだそうです。


これらは、どこが本家でどこがコピーという単純なモノではなく、それぞれが独自の神話伝説をもとに成立した、太陽信仰のローカル聖地なのかもしれません。

 ★

さて、大内義興が遷宮を行ったころは、外宮の「天の岩戸」は、伊勢信仰に必要不可欠なものであったのでしょう。そのため、山上に洞窟のある場所をわざわざ選んだか、あるいは人工的に洞窟を作ったものと推測されます。

ところが、本家の伊勢外宮では、「天の岩戸」が明治時代に立ち入り禁止となり、ホームページにも記されません。
さらに謎めいているのは、高倉山古墳の扉だったとされている亀石が、外宮境内で橋として人々に踏まれ続けていること。


71_20230930134850c74.jpg

72_20230930134858344.jpg


屈辱的とも思えます。いったいそこになにがあったのでしょう。
奈良の天石立神社 (あまのいわたてじんじゃ)では、天の岩戸の扉が飛んできたとされる巨石は、注連縄を巡らせて大切に祭られています。


81_20230930134859731.jpg

82_20230930134859a99.jpg


入山禁止であれ、神話に関わる岩なら大切にされてもいいはず。

「出雲王朝」における御魂神社の磐座のような、「実は不都合な真実」があったのでしょうか?


四苦八苦のネタ探し、三つクリックしていただくと励みになりますので、よろしくお願いいたします(^_^)/~
にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

神社・仏閣ランキング

コメント

亀石

確かにみんなにわざと踏ませているような「亀石」って、おかしいですよね。
修験道では「亀石」は神が降臨する「神石」で、「踏んではならない、避けて通れ」といわれていましたから、なんか変ですね。

お伊勢さんの謎

さざなみ様、いつも興味深い記事をありがとうございます。楽しく拝見しております。
お伊勢さんの謎といえば、成立以来、歴代天皇家が誰も参拝していなかったことも明確な理由は判りません。明治になってからは、ずっと参拝されています。が、どうして方針転換したかも理由が判りません。
よく行幸にはお金がかかるから、と説明されますが、もっと遠い熊野詣でをしてますので、理由には厳しいかと。何かの禁足事項があったと考えるのが妥当な気がします。それが、踏まれる石と関係するかも。

次の代か次の次の代でどうなるか不穏な感じがありますので、宮内庁も陵墓参考地を学者にどんどん開放して、宮廷秘儀も開帳して、天皇家をもっと臣民に近づけなあかんのちゃう?、というのが私の意見です。

Re: 亀石

ちから姫様

なるほど、修験道でもそうでしたか。「霊亀」なんていう元号もあったくらいですから、亀は大切にされて当たり前ですよね。迷惑なアカミミガメみたいな扱いの背後には、やはり何か隠れた動機があると思います。

Re: お伊勢さんの謎

鯨 様

昨日の『そこまで言って委員会』で、井沢元彦さんが、天皇家は伊勢より宇佐の神託を重要視していたと語っていましたよね。
天照大神はタテマエ上の皇祖神で、実質は№2なのだと思っています。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

フリーエリア