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宇佐神宮の亀山神社と阿波の御甌神社

これは、宇佐神宮の境内に鎮座する亀山神社です。


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なんと、大きな亀の上に乗っているではありませんか。


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亀の顔も、はっきりとあります。

それにしても、亀の上に建つ神社なんて、聞いたことがありません。この亀は磐座なのでしょうか。

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宇佐神宮のホームページには、こう書かれています。

亀山神社は、若宮神社より能舞台へ下る参道の途中に鎮座する神社です。御祭神は「大山積命(おおやまづみのみこと)」をお祀りします。亀山神社は八幡大神様が鎮座する小椋山を守護する山神・地主神であります。
古代より明治に至るまで、「亀ト(きぼく)」という亀の甲羅を用いた占いが行われていましたが、そこで使用した甲羅を亀山神社へ埋蔵したと伝えられています。


「亀ト」とは、21世紀の現代でも、宮中行事や各地の神社の儀式で行われています。
2019年(令和元年)5月13日に皇居で「斎田点定の儀」が行われた時は、東京都小笠原村でアオウミガメの甲羅が調達されたそうです。

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≪中国・殷王朝時代の卜甲(河南省安陽市・殷墟出土)・ウィキペディアより≫


いずれにせよ、そもそも宇佐神宮の本殿が建つのは、亀山(小椋山)の頂上部です。
宇佐信仰が、亀に深くかかわるのは確実でしょう。

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さて、場所は徳島県名西郡神山町に変わります。
鮎喰川に突き出した巨岩の上に、小さな祠が見えました。


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何でしょう、川の中の立石信仰(磐座信仰)でしょうか?

近寄ってみます。


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御甌神社・・・って、なんだか読み方がわかりません。
後で検索すると、「おかめ神社」なのだそうです。
「おかめ・ひょっとこ」のおかめ?

まあ、おかめのモデルは日本神話のアメノウズメと言われたり、各地の人身御供伝説で「おかめ」という女性が人柱になる例が多いなど、古い信仰と関係があるのかもしれません。

  ★

さて岩上の平場には白い砂が敷かれて整備され、斎庭(ゆにわ)感が漂います。
やや高いところには、石の祠と、鏡餅のような石。


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少し川上に見える、堤防から飛び出した岩もワケありに思えます。


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さて、あたりを見回していると気付いたのですが、鳥居が見えます。


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この岩と関係がありそうなので行ってみると、宇佐神社でした。


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由緒書きには、宇佐八幡より分霊を勧請し、永正4年(1507年)に神殿造営と書かれています。やはりあの宇佐神宮と関係があったようですね。

そして驚いたことには、大洪水で上流からながされてきた大岩大明神が、大亀岩に漂着したという由緒がしるされていてたことです。

なるほど、現在は「御甌神社(おかめ神社)」ですが、本来は「大亀(岩)神社」だったようです。
この岩自体は亀に似ているとは思えませんが、堤防から飛び出した小型の岩の方は、亀に似ています。
それらをひっくるめて、宇佐神社に関わる聖地のひとつなのかもしれません。

ちなみに地元では、弓削道鏡 が天皇位を得ようとした宇佐八幡宮神託事件の宇佐八幡とは、ここ神山町の宇佐神社のことである、という説まであるとか。
1507年(永正4年)に上桜城の城主である篠原左京大夫が、豊前国の宇佐八幡宮を勧請して再興した
というのがこちらの宇佐神社の由緒なので、時代的には苦しい説ですが、宇佐と阿波、知られざる関係があったのかもしれません。

  ★

古代中国では神亀・霊亀が神聖なものとされていました。また『列子』には、波に従って移動してしまう巨大な五つの山を固定するために、天帝は五山を十五匹の巨大な亀の頭上に乗せ、六万年で三交代するようにしたとされます。インドの宇宙観でも、大地を支えるのは大きなウミガメであるとされているなど、亀は世界の礎であるという神話は世界的なものです。


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(乳海攪拌の際にマンダラ山を支える亀の王のモチーフは、後にヴィシュヌ信仰と結びつき、ヴィシュヌ神の化身クールマの役目とされた。パリのギメ東洋美術館所蔵。WikipediaDdalbiezより )


記事冒頭の、亀山神社の土台となっている石の亀も、そんな古代ユーラシア的世界観を、はるかな起源としているのかもしれません。

日本においても、元正天皇の和銅8年9月2日には、瑞亀献上により元号を「霊亀」と改元しています。平成とか令和と同じ元号ですから、亀の重要さ、神聖さが分かります。

「神≒亀」とはよく聞く話ですが、それが妥当ならば「亀山≒神山」のはず。宇佐神宮の本殿が鎮座する「亀山(小倉山)」が「神山」でもあるなら、阿波の「神山町」は「亀山町」でもあるのでしょうか?
(ただし、神山という地名は町村合併でできた新しい名前です。では神山の名前はどこから来たのか、それが知りたいところです。)

  ★

なお、亀であろうとなかろうと、川の中に張り出した立岩は、しばしば聖なる場所とされています。最後に、川の中の立岩を二つ。

まずは国師岩
京都府南丹市日吉町四ツ谷を流れる田原川に国師岩という大きな岩があります。ここには、夢窓国師の伝説がありました。


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さらに、和歌山県海草郡紀美野町の立岩大明神


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立岩の上には、鳥居と祠があります。

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高野山にかかわる狩場明神が、巨大なイノシシを退治するために、「立ち上がれ」と岩に命じたところ、岩が立ち上がったので、そこから猪を射止めることができたという伝説があるそうです。

川にある聖なる巨石もまた、伝統信仰の研究対象になるべきかもしれませんね。


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コメント

おかまご

さざなみ様、またまた地方限定のモノを紹介して下さり、ありがとうございます。感謝いたします。
さざなみ様が写真で載せて下さっている、石の上の素朴な石組みの祠、おかまごと言います。阿波・徳島では非常にありふれていますが、あまり他では見かけません。
阿波の青石、つまり緑泥片岩(結晶片岩の仲間)は薄く割れやすい(加工しやすい)ので、板状になったものを組み合わせて、あのように簡単な祠にします。中には、河原の丸石を納めることが多いです。
山の中を歩いていると、ひょこっと、あの手のおかまごがあって、思わず手を合わせてしまいます。里山の頂上にも多く見られます。
https://yamap.com/mountains/9478
にで~んと出てくるのは、上級クラスのおかまごです。
これは辰ケ山の山頂のものです。この手のものは、佐那河内村から神山町、美馬市の南側(旧・木屋平村、旧・穴吹町)、つるぎ町などに沢山あります。

Re: おかまご

鯨 様


貴重な情報ありがとうございます。おかまごと言うのですね(^^♪
そういえば、美馬市の磐境神明神社にも、結構大きな石の祠がありますよね。いったいいつごろからこのような信仰様式ができたのか、研究している方はおられるのでしょうか? それとも古い民俗としかわからないのでしょうか?
対馬にも石の祠が結構あって、相当古い起源かなと思ったりします。


おかまご2

さざなみ様、レスをありがとうございます。
おかまごの起源や信仰の正体についての研究はあまり見たことがありません。が、阿波学会というのがあり、その中で、祠や神社、庚申さんなどの分布を調べていた紀要があったような。
で、検索してみると
library.bunmori.tokushima.jp/digital/webkiyou/46/277-283.pdf
が出てきました。おふなとさんですが、おかまごでもあります。
library.bunmori.tokushima.jp/digital/webkiyou/45/4525.html
には、ホトケノタオ(タオは峠のこと)のおかまごとして写真が収載されています。
真面目な阿波学会とは趣向が違って、林博章というカリスマ的な先生がおられます。元は高校教師でしたが、退職されて今は、阿波中心史観の敷衍に邁進されています。主張に確たる根拠が無く、決めつけが多いのが大いなる欠点の御仁です。で、
http://www3.tcn.ne.jp/~aska/
に紹介されている本の中に、忌部の遺構として、磐座や比較的大きいおかまごが沢山紹介されています。
御参考になれば幸甚です。

Re: おかまご2

鯨 様

またまた貴重な資料をご教示いただき、ありがとうございます。
阿波学会の研究は、まさに「阿波学」ですね。参考になります。

一方、林博章という方の著作には、「京都大学名誉教授・文学博士 上田正昭氏 推薦!」と書いてありました。あの上田正昭さんの推薦となれば、ただのマニアではなく、鋭い問題提起が含まれているのでしょうね。

ところで郷土研究発表会紀要第45号・穴吹町の伝説「旗屋の窪」などは、巨石マニアがざわめく巨石群でした。
阿波は奥深いですね!

旗屋の窪??

さざなみ様、興味を持っていただいたようで、嬉しく存じます。
旗屋の窪について、全然聞いたことがなかったので、どこなのだろうと調べてみました。場所からいって、既にさざなみ様が訪れている石尾神社のことではないかと。石尾神社のあるのは字平谷となっていますが、地図からいうと字喜来のようです。
ちなみに、谷筋が西に一つずれると、剪宇(きりう)峠に向かう道になります。剪宇峠の直下まで林道がついていますが、峠を越えてつるぎ町の方には下りられません。ふた昔前は、ツチノコで有名になり、ツチノコ神社ができたはずです。
穴吹町古宮の真ん中に聳える山が正善山で、杖立峠から頂上直下までいつのまにか林道を開削しています。神仙が憩うような良い雰囲気の巨石に囲まれた場所があって、初夏にはヤマシャクヤクが咲いて、登山中に一息ついたものですが、土捨て場になり果てました。

Re: 旗屋の窪??

鯨 様

なるほど、石尾神社なら規模的には合いますね。部外者ゆえ、詳しい地名はわかりませんが、地形的に合理性があるなら納得です。
神仙が憩うような良い雰囲気の巨石に囲まれた場所・・・いやー、巨石マニアにとっては理想郷でしたね(^^♪

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sazanamijiro

Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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