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吉野ケ里遺跡と神武天皇と巨石信仰

古代史研究者や邪馬台国マニアから注目されていた、佐賀県の吉野ケ里遺跡。


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(ウィキペディアより)


石棺墓は、残念ながら「空っぽ」だったようです。
「ひょっとすると卑弥呼の墓かも」という大発見への期待が生まれていましたが、副葬品や人骨は見つからず、なんだか微妙な結果でした。

邪馬台国畿内説を唱える、奈良県桜井市の観光まちづくり課では
「確定的なものが出ず、ひと安心です。」
とほっとした感満載。


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(箸墓)


テレビ朝日の玉川徹さんは
「・・・何も出なかったというのは意外でした。インディー・ジョーンズ的には、アークを開けると何も入っていなくて、呪いが噴き出すという結論でした」
と話したそうです。
いやいや、ツタンカーメンの呪いじゃあるまいし、呪いが噴出して、関係者が次々に不幸に見舞われたら大変ですがな(@_@)

さて、発掘の結果次第では、神武天皇の東征神話に新たな意味づけが出てくるかと思っていたのですが、それもなくなりました。なんせ、神武天皇に関わる巨石信仰は、以前から記事にしてきたように、とびきり異質・異様な物が多いのです。


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それが単なる偶然なのか、それとも意外な理由があるのか、次にまとめて載せる写真から、皆様も考えていただければと思います。

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まずは、日向灘に面した宮崎県日向市美々津(みみつ)。
ここには、第一代神武天皇の出港伝説があります。


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神武天皇は45歳のとき、兄の五瀬命(いつせのみこと)らとともに国家統一を決意し、ここから兵をまとめて出港したとされます。
この立磐神社は、神武天皇と航海神の住吉三神を祭神とするお社で、「神武天皇御腰懸磐」があります。


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神武天皇が出航の際にこの岩に腰掛け指揮したとされ、ウィキペディアでは社名の「立磐」もこれに由来すると書かれています。

ところが境内の背後までしっかり見ると、不思議な磐座があったのです。下は、対岸から望遠で写した写真です。


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本殿の背後にある巨石は、本来のご神体(磐座)だったというのは一般的なセオリーです。本殿建設前には、間違いなくこの立磐を信仰の対象としていたはずです。しかも、見たことのないような柱状節理?。
神社名の「立磐」とは、間違いなくこちらの事だと思います。

美々津は、古くから海の交易の拠点として歴史を刻み、町の背後にある遺跡からは、畿内、瀬戸内様式の弥生土器が出土しているそうです。このことは、美々津が相当古い時代から、各地と交流があったということを示しています。神武伝説は全くの架空、造られた神話だというご意見の方もあるでしょうが、後世の比定であれ、なぜこの美々津が出発地とされたのか、その歴史的背景や人々の意識を探ることは必要だと思っています。

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さて、東征に出た神武天皇は、宇佐で宇佐津彦・宇佐津姫に歓迎されます。このエリアには、宇佐神宮奥宮をはじめ、不思議な巨石が多いのですが、とりわけ意味不明なのは、このカンナビ。


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JR宇佐駅の東側にある「栗山」ですが、山頂に巨大な竜神様の頭があり、そこから尾の部分へと尾根に巨石が集められているというのです。
これがその頭。


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背中から尾です。


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樹林のため、グーグル写真では全貌がつかめないのですが、はたしてナスカの地上絵の様な巨大な龍が岩石で造られているのでしょうか?
信じるのも信じないのも、アナタ次第という話なのですが・・・・

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次に神武天皇は、筑紫・安芸を経て吉備の高島宮に入ります。『日本書紀』では三年、『古事記』では実に八年も滞在するのです。
この高島はいくつも候補地があり、児島湾に浮かぶ高島が有力とされます。
この島では岩盤山山頂の巨岩群(磐座)を中心として島の大半に祭祀遺跡(備前高島遺跡)が広がっているそうですが、行ったことはないので、もう一つの有力地である笠岡市の高島を紹介します。


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何といっても、この巨石。


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風化と節理でこんな形状になったなどと考えるわけにはいきません。土台は風化がないのですから。
背後には巨大な亀石もありました。

これは対岸です。


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なお広島県福山市金江町、磐田山の山頂近くにも、神武天皇の祭祀遺跡とされる天津磐境があります。


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この石組みの背後にも壁のような巨大な岩があり、そこは二重環状列石だという話もあるようですが、私自身はまだ確認していません。また、ここからは祭祀土器も出土しているそうです。

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さてその後、神武軍は河内の国の白肩津に上陸しますが、ナガスネヒコ軍に敗れ、遠く熊野へと迂回します。
下は和歌山県新宮市の三輪﨑に設置された、「神武上陸地」と書いた看板です。


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ここには、奇妙な立石や巨石群がありました。


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そして、ゴトビキ岩。


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神倉山は、『古事記』『日本書紀』に載る、「神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あまのいわたて)」とされ、ここで神剣を得た神武は、八咫烏の道案内で軍を進め、熊野・大和を制圧したとされているのです。

そして大和への途中には、最近載せた井光などの巨岩があったわけです。


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戦前戦中は、神武神話は歴史的事実とされましたから、郷土にその遺跡があるのは名誉なことでした。それまで神武伝説などはなかったのに、急遽神武東征の関係遺跡に比定された場所もあったでしょう。
しかし、全くのでっち上げでは、のちに非難される可能性もあります。少なくとも、「昔から神様や貴人の住んだ聖地とされてきた」というような口碑があるからこその誘致であったろうと推理します。

神武東征は、100%の事実でも、100%のウソでもありません。何かしらの歴史的事実を核としていることは確実だと思います。なかなか難しいとはいえ、奇妙な巨石信仰と考古学的知見から、その謎に少しでも迫ることができればと思う次第です。


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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