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椿大神社に偽物がある?・まさかの疑いが浮上!

三重県鈴鹿市山本町の椿大神社


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伊勢国一宮で、三重県では伊勢神宮・二見興玉神社に次いで3番目に参拝者数の多い神社だそうです。

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さて、椿大神社は猿田彦大本宮とも呼ばれ、猿田彦大神を祀る全国のお社の総本社とされます。
上の絵図にも描かれるように、背後の入道ヶ嶽は神体山で、境内からこの山にかけてたくさんの磐座が存在する由緒深い古社なのです。

これは境内の御船の磐座


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神社の案内には、
謡曲「鈿女」(うずめ)にうたい込まれている神代の神跡で、天孫瓊瓊杵尊(ニニギ)が御船でここに御到着された場所だと伝えられています。
と書かれています。

御船の磐座のすぐ隣にあるのが、土公神陵です。


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これは猿田彦大神の御墓とされ、直系の子孫である山本家が神代から守り続けているのだそうです。

参拝の栞には、こう書かれていました。

・・・倭姫命の御神託により、磯津(鈴鹿川)の川上、高山短山の麓、土公神陵の前方御船磐座辺りに、「道別大神(ちわきおおかみ)の社」として社殿を造営し奉斎された日本最古の神社であります。

元々は、ここが本殿よりも重要な場所であり、神社信仰発祥にもかかわる場所だというのです。
しかし、古墳と小さな磐座が椿大神社の一番大切な場所かというと、そう単純ではありませんでした。

椿大神社が昭和45年ころに発行された「猿田彦大本宮物語」という冊子の最終ページには、巨大な三角岩を背後に、山本宮司様が写っている写真が載っています。


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ここは、入道ヶ嶽山頂からさらに奥へと入り、その名も「いわくら尾根」という険しい尾根をたどった先にある場所でした。
そして背後の岩が《奥の院の磐座》であり、冊子には
「その周囲は、実に清浄荘厳、神聖のたたずまいである」
と記されるとともに、
「後代の城の天守に当たる地点」
とも表現されています。

いうまでもなく城郭の天守閣は、その城の中心であり、シンボルです。
ということは、社殿のない原始信仰の時代には、この岩が信仰上もっとも神聖な岩であり、椿大神社信仰のシンボルでもあったと考えられます。

これは、以前にも載せた、その《奥の院の磐座》です。例によって昭和時代のフイルムなので、劣化はご了承ください。


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これ以外にデジタル化作業で発見した《奥の院の磐座》と、至近距離に位置する《重ね岩の磐座》をご覧ください。悪い画像ですが、大きさや形程度ならわかると思います。

まずは《重ね岩》

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この重ね岩周辺から鈴鹿山脈主稜方向を見ると、《奥の院の磐座》の側面がチラっと見えます。(矢印の下)

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そして目指す《奥の院の磐座》

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磐座の上に乗るのはお行儀が悪そうですが、登山者にとっては、注連縄も表示もないただの岩にすぎませんでした。磐座という言葉さえあまり知られていない、昭和という時代背景があったのは確かです。

  ★

さて、ここからが本題です。
あまり知られていませんが、椿大神社には、こちらこそが本物の椿大神社なのだというライバルが、実は存在するのです。

その名は、鈴鹿市一ノ宮町の都波岐・奈加等神社(つばき・なかとじんじゃ)。
明治時代に都波岐神社と奈加等神社を合併したもので、やはり「伊勢国一ノ宮」を名乗ります。

勝手にそう名乗っているだけと思われがちですが、昭和10年(1935年)、内務省神社局の調査により、全国約2千社の猿田彦大神を祀る神社の総本社「地祗猿田彦大本宮」とされたのは、こちらの神社の方なのです。

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(ウイキペディアより)

そういえば、昭和の昔、私が椿大神社のご神職に磐座のことで質問した時、
「椿論争があって、つばきなかとの方が総本社ではないかと質問されるのですが、こちらとしては当然・・・」
などと、その時の私には意味不明なことを言われたのを覚えています。
今でこそパワースポットとしても知られて、椿大神社の参詣者は絶えませんが、当時は静かなお社でした。

いったいこれは、どう考えればよいのでしょう。
昭和10年(1935年)の内務省神社局による調査結果が正しいのなら、現在の椿大神社は由緒ある「全国約2千社の猿田彦大神を祀る神社の総本社」ではなくなるのです。それどころか、「椿大神社」という名前も譲らないといけないかもしれないのです。現在の椿大神社の方が有名だからといって安心はできません。
もし現在の椿大神社が、猿田彦信仰の本家ではない単なる地方の神社なら、いったいあれらの磐座の意義はどうなるのでしょう。神話伝承とは無関係な、大して意味のない、ただの珍しい岩にすぎないのでしょうか。

いずれにしろ、どちらかが本物で、どちらかが偽物なのだとしたら、なかなか大変な話になりますよね。

この問題を、なんとか円満に解決する方法はないのでしょうか。
これには、発想の転換が必要だと思います。


続く

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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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