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伊勢神宮に隠された巨大古墳を再考する‼

夏至と冬至、あるいは春分と秋分の朝日や夕日が、特別に重要な意味を持つ古代遺跡は世界各国にあります。

下は、アンコールワットです。


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春分と秋分の朝日が、中央の塔の上に昇ります。
この瞬間、これを一目見ようと詰めかけた数百人の人々から、大きなどよめきや拍手が聞こえるのです。この現象のために、高度な計算と設計がなされたと言われます。

次は、5500年前に造られた、マルタ島の神殿です。


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ここは春分と秋分の日の朝日が、神殿の奥の祭壇まで差し込みます。


マヤのピラミッドでは、やはり春分と秋分の日の朝日が、ククルカン神の蛇体を浮き上がらせます。


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もちろん春分と秋分だけではなく、冬至と夏至の朝日もまた重要であることは、ストーンヘンジその他の遺跡から解ります。
一例として、5000年前に建設されたアイルランドのニューグレンジ遺跡は、冬至の明け方に太陽光が長い羨道に真っ直ぐ入射し、部屋の床を照らすように建設されていることで有名です。


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(ウィキペディア・spudmurphy)

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外国の遺跡における春分と秋分、冬至と夏至の朝日や夕日の意味はよく研究されていますが、なぜか日本ではあまり意識されていません。
神社の研究史においても、専門家が現地に赴いて、太陽信仰との関連を研究したというのはほとんど聞かないのです。
せいぜい、伊勢志摩の夫婦岩が、夏至の朝日で知られることが話題になるくらいだと思います。


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さて、下の画面は、伊勢神宮で冬至の朝に見られる光景です。


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「日常の世界と神域を結ぶ架け橋」とされる宇治橋に、冬至の朝日が見事に昇るのですから、かなり緻密に設計されたのでしょう。
ところが、この現象は昔から知られていたのではないのです。

1980年代、これに気付いた参拝客の情報により、神宮の広報誌の『瑞垣』(みずがき)に紹介されてから有名となり、冬至前の数日から1月初旬の間は鳥居からの日の出を見る人で賑わうようになったというのです。

すくなくとも、室町時代には宇治橋はあったそうで、遠い昔にいったい誰が、何のために設計したのか・・・?
そして現代の伊勢神宮にそのことが伝承されていないことについて、太陽信仰の断絶ともいうべき、重大な何事かがあったのではないかと疑われます。

さらに伊勢神宮における信仰の断絶と言えば、正宮(内宮)の背後に位置するこの巨岩が、伊勢神宮のホームページに一切触れられていないのも、何か深い理由があるものと考えています。


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さらに極め付きは、外宮。


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境内から登った山上には、古墳の巨大な石室があります。(現在は封印)


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(斎宮と古代国家・斎宮歴史博物館)


この巨大な両袖式の横穴式石室は、全長で全国第6位、玄室の長さと面積では第2位という、驚くべき大きさです。
かつて神宝庫、霊窟といわれ、岩戸信仰も重なって江戸時代には参詣者が多く訪れました。
そして重要なことは、この石室に冬至の夕日が差し込むという事実です。


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考古学的な知見では、この石室の建築様式にヤマト王権の直接的影響はなく、あくまでもこの地域の様式の巨大なものだというのです。土着の渡会氏が祖先の古墳を奥宮として祭祀した場所だったのでは、とも推理されていますが、真実は霧の中。
マルタ島の神殿の様な、太陽信仰の神殿的な要素はないのでしょうか?

いずれにしろ、こんな山の上に、石舞台古墳レベルの巨大な石室があるというのは驚異的です。膨大な労力と建築費が必要なのですから。

伊勢神宮の創始は、第11代垂仁天皇の皇女倭姫命が天照大御神の鎮座地を求めて伊賀、近江、美濃などの国々を巡り、最後に伊勢の五十鈴川の川上国にたどり着いたとされます。
しかしこの古墳や内宮背後の巨大な磐座を考慮するならば、伊勢神宮創始以前に、すでに大掛かりな祭祀がこの地で行われていたことは確実です。

特定の時期の夕日が差し込む構造になっている、トンネル状の遺跡は、世界各地に見られます。そして高倉山古墳も、冬至の夕日が差し込む構造ではないかと過去の記事で書きました。
ところがそれと同じことを、大和岩雄氏が著書に書いておられたことを最近知りました。

「築造年代は、遅くとも六世紀末に比定されているが、この石室の開口方位も冬至落日方位である。高倉山々頂に、このような巨大な人工洞窟としての墓をつくったことと、興玉の森、更に二見ヶ浦の興玉石が無関係とは思えないのである」
(天照大神と前方後円墳・ロッコウブックス)

興玉の森(または猿田彦の森)とは、五十鈴川畔の小高い丘で、頂上にしめ縄を巡らせた3m×1mの平石があると書かれています。

神話上の伝承はともかく、実際に伊勢神宮が整備されたのは、天武持統朝の頃だと思われます。それ以前にこの地にあった太陽信仰とはどんなものなのか、そして高倉山の巨大な石室の正体は何なのか、興玉の森にそのヒントがあるのかもしれません。
そのうち踏査して、報告したいと思います。

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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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