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三内丸山遺跡と縄文信仰の謎

さてこの写真は、何をしているところでしょうか?

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レトロな建物の中で、300人を前にして、何かの講義が行われています。
これは何なのか、その正解です。


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ここは、青森県の三内丸山遺跡に復元された大型竪穴建物の中で、早稲田大学の菊池徹夫先生が講義をされているところです。
縄文時代に300人収容の建物があったというのは、驚愕の事実ですよね。


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外観です。


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長さ32メートル、幅10メートル、もはや体育館。いったい縄文人たちは、ここで何をしていたのか。
いずれにしろ、ドングリを拾ったり、狩りをしたりしながら、ごく少人数で細々と暮らしていたのではなかったのですね。

隣りにある、六本柱建物跡です。


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ウィキペディアにはこう書かれています。

現在まで三内丸山遺跡で検出された遺構の中で最も重要視されているものである。その柱の大きさで評価されることも多いが、それとともに注目すべきは、柱穴の間隔、幅、深さがそれぞれ4.2メートル、2メートル、2メートルで全て統一されていることである。これはその当時既に測量の技術が存在していたことを示すものであり、ここに住んでいた人々が当時としては高度な技術を持っていたことを示すものである。特に4.2メートルというのは35センチメートルの倍数であり、35センチメートルの単位は他の遺跡でも確認されているので、「縄文尺」とも言うべき長さの単位が広範囲にわたって共通規格として共有されていた可能性が考えられる。さらに、これほど大規模な建造物を建てるには多くの労働力を必要としたはずであり、集落居住者の団結力と彼らを的確に指導できる指導者がいたことも推測できる[11]。また、柱本体にも腐食を防ぐため周囲を焦がすという技術が施されており、長い間腐食を防ぐことのできた一因となっている。柱は栗の木でできている。柱は2度ほど内側に傾けて立てられていた。現代の内転(うちころび)と同じ技法で一体この様な技術がどうしてあるのかは謎である。


下の写真左側は、「冬至の日没」です。


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『縄文学の世界(小林達雄編集)』からお借りしました。
天文学的な知識も高かったのでしょう。

そのうえここでは、東日本全域、広範囲な地域と交易をしていました。


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 ☆

京都大学名誉教授の梅棹忠夫氏は、この6本柱をみて、ある場所と同じだと感じられたそうです。
「ある場所」・・・それは、これです。


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出雲大社ですね。
このモデルは、福山敏男・京都大学名誉教授が戦前に想定した設計図を元に、1980年代に入って株式会社大林組の復元プロジェクトで部分修正し製作されたものです。

さらにこれは、弥生時代の土器に描かれた「高楼」です。(鳥取県稲吉角田遺跡)


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出雲に限らず、かつてはあちこちに、想定外の高いお社が建っていたと思います。

私たちは、古代の人々は幼稚で原始的だと、軽く考えすぎていたようですね。

  ☆

三内丸山遺跡の東側、陸上自衛隊青森駐屯地を挟んで、西滝川が流れています。
その西滝川を、源流へとさかのぼると、やがて入内川になり、御鈴大滝や石神神社周辺は八甲田山の西麓。

その御鈴大滝。


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石神神社。


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八甲田の峰々を越えると、そこに広がるのは、神秘の湖である十和田湖です。


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十和田湖にひっそりと佇む、謎めいたキリスト像。


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まあこれはご愛敬ですが、十和田神社は文句なしに原始信仰のお社です。


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これらを地図で確認すると、ほぼ一直線に並びます。





オレンジ色・・三内丸山遺跡
紫色・・・・・御鈴大滝と石神神社
黒色・・・・・十和田神社

縄文時代に山岳信仰・神体山信仰があったことは確実です。
三内丸山遺跡から振り仰ぐ、神々しい八甲田山の中腹に、御鈴大滝や石神神社の聖地エリアがあり、その八甲田の峰の背後には、神秘の十和田湖と、現・十和田神社があるのです。

大湯ストーンサークルやクロマンタ山(ピラミッド?)を含めて、三内丸山遺跡とどんな関係にあったのか、大変興味深いところです。
おそらく、私たちが見過ごしていた、重要な事実がまだあるように思います。

私たちが思い込んでいたより、はるかに高度な知識と行動力と組織力があった人たちなのですから。


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Author:sazanamijiro
古代史マニアですが、特に自然神道期の多様な信仰遺跡に魅せられています。

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